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航空歴史館 日本におけるダグラスDC-8研究

A Study of Douglas DC-8 in Japan

 

C 経歴と写真 DC-8-50 JA8007〜8019 N803 N806 N109

 

  登録番号 愛 称 導 入 日 抹 消 日    備    考
日本航空のダグラスDC-8-50シリーズ 16機 (内リース3機)
DC-8-53 JA8007 YOSHINO 1962/03/27 1981/06/04 -53の日航1号機
DC-8-32 JA8003 HAKONE 1960/09/27 1961/07/03

東京国際空港でオーバーラン 修理してDC-8-53 JA8008に 復活

DC-8-53 JA8008 MATSUSHIMA 1963/02/04 1981/07/01
DC-8-53 JA8009 SHIMA 1963/07/10 1982/03/05  
DC-8-53 JA8010 KIRISHIMA 1964/01/13 1981/08/20  
DC-8-53 JA8011 TOWADA 1964/06/16 1981/03/02  
DC-8-53 JA8012 AKAN 1964/11/21 1972/06/28 インドで墜落
DC-8-53 JA8013 HARUNA 1965/01/14 1972/10/19 インドの地方空港へ誤着陸
DC-8-55F JA8014 ASAMA 1965/02/22 1982/06/16 -55の日航1号機
DC-8-55 JA8015 SETO 1965/11/10 1976/11/09 N100JJへ
 
貨物機 リース

DC-8-55F

N100JJ

  -

1977/07/21

1980/10/20

DC-8-55 JA8016 SHIKOTSU 1966/02/14 1980/06/30 機体外装変更1号機
DC-8-55 JA8017 BANDAI 1966/09/27 1980/06/02  
DC-8-55F JA8018 ISE 1966/10/26 1980/10/14 貨物機
DC-8-55 JA8019 ASO 1967/09/20 1980/06/23  
DC-8-55F N109RD   - 1968/03/30 1969 貨物機 リース
DC-8-55F N803SW   - 1970/04/01 1972/03/31 貨物機 リース
DC-8-55F N806SW   - 1970/01/31 1972/03/31 貨物機 リース

DC-8-50シリーズとは

 CONTRAIL No126  日本におけるDOUGLAS DC-8 第1章 DC-8のプロフィールから

    

 

ダグラスDC-8-53 JA8007 YOSHINO
1961/06/15 JA8003HAKONE事故の代替として発注 33億4360万円
1962/03/27 c/n45647 JA8007登録 愛称YOSHINO  定置場東京国際空港
1970/10/01 グアム線第1便
1975/08/08 日本アジア航空に移籍 定置場東京国際空港 1978/07/01新東京国際空港
1981/06/04 JA抹消登録  OVERSEAS NATIONALへ売却  N903R

CONTRAIL126号 (写植印刷の誌面から複写)



 日本アジア航空 撮影1977/09/17 東京国際空港 鈴木一弘


日本アジア航空 撮影1980/11 大阪国際空港 KUPANBA

08   

ダグラスDC-8-53 JA8008 MATSUSHIMA  

1960/09/02 c/n45420 日本航空へ引渡
1960/09/13 東京国際空港到着
1960/09/27 JA8003登録 愛称HAKONE 
1961/04/24 東京国際空港でオーバーラン事故 大破
1961/07/06 JA8003抹消登録
1962/06 ダグラス社へ搬入 修理改修
1963/02/04 DC-8-53としてJA8008登録 愛称MATSUSHIMA 定置場東京国際空港
1963/03/30 東京国際空港到着
1975/08/15 日本アジア航空 定置場東京国際空港 1978/07/01新東京国際空港
1981/07/01 JA8008抹消登録 AERONAVES DEL PERUへ売却 OB-R-1223 
1981/07/03

日航の胴体ライン塗装のままで羽田発アンカレッジ経由でペルーへ 
同日、アンカレッジで撮影下記

撮影1967/11/15 東京国際空港 戸田保紀


日本アジア航空  撮影1976/09/15 大阪国際空港 高尾  真
 

日本アジア航空 撮影1976/05/03 大阪国際空港 KUPANBA

日本アジア航空 撮影1979/08 新東京国際空港 KUPANBA


AERONAVES DEL PERU  OB-R-1223  撮影1981/07/03 アンカレッジ空港 CTSsuga  アン

09    

ダグラスDC-8-53 JA8009  SHIMA

1968/07/16 c/n45662 JA8009登録 愛称SHIMA 定置場東京国際空港
1963/10/06 池田首相訪豪の帰路 シドニー・羽田 8120q無着陸飛行新記録
1967/03/06 日本航空世界一周西回り第1便 
1976/10/29 日本アジア航空 定置場東京国際空港 1978/07/01新東京国際空港
1979/03/29 日本航空 定置場東京国際空港
1982/03/05 JA8009抹消登録 フランス MINERVE F-GDPM

撮影  名古屋空港 高田和彦




新塗装 撮影1976/05/18 大阪国際空港 鈴木博之


撮影1980/02 福岡空港 KUPANBA

10

ダグラスDC-8-53 JA8010  KIRISHIMA

1964/01/31 c/n45651 JA8010登録 愛称KIRISHIMA 定置場東京国際空港
1972/09 天皇陛下御訪米の随伴機
1981/08/20 JA8010抹消登録 AEROVIAS COLUMBIANAS HK-2667X

撮影1979  大阪国際空港 濱野博司


撮影1979/06/09 大阪国際空港 鈴木博之

 

 

11

ダグラスDC-8-53 JA8011  TOWADA

1964/06/16 c/n45664 JA8011登録 愛称TOWADA 定置場東京国際空港
1960/08〜09 ニューヨーク J.F.ケネディ空港への就航テストに使用
1981/08/20 JA8011抹消登録 フランス MINERVE F-BYFM

撮影1979  大阪国際空港 濱野博司




撮影1974/03/18 大阪国際空港 KUPANBA


 撮影1977/07/22 東京国際空港 鈴木一弘

 

12

ダグラスDC-8-53 JA8012  AKAN

1964/11/21 c/n45664 JA8012登録 愛称AKAN 定置場東京国際空港
1972/06/28 ニューデリー バラム空港南東25qに墜落

撮影1966/06/13 東京国際空港 戸田保紀




撮影  大阪国際空港 濱野博司



 撮影1969 東京国際空港 鈴木一弘




CONTRAIL No130  日本におけるDOUGLAS DC-8 第4章 DC-8の事故から


航空情報1972年8月号

日替わりメモ 2019/08

 20年間乗客死亡事故ゼロ、The World's safest airlineの評価を誇ってきた日本航空の悪夢の始まりが1972年6月のJA8012AKAN号のニューデリー墜落事故でした。松尾静磨社長から朝田静夫副社長にバトンが渡され、日航二十周年を盛大にお祝いし意気揚々たる社内に響き渡った晴天の霹靂でした。慌てて、安全対策に取り組みますが、同年9月にはJA8013HARUNA号が短い滑走路しかないインドの飛行場へ誤認着陸事故、11月にはJA8040HIDA号がモスクワ空港離陸直後に墜落と息付く間もないほどで、社内には敗北感と挫折感が充満していたと社史が述べています。 実際、飛行機は落ちるもの、安全神話なんぞはこの世に存在しません。要は、再発防止のために如何に心を入れ替えるかでしょう。実際、日航は、この後のオイルショックを乗り越えて攻めの経営に入っていくのであります。

 

13

ダグラスDC-8-53 JA8013  HARUNA

1965/01/14 c/n45681 JA8013登録 愛称HARUNA 定置場東京国際空港
1972/10/19 ボンベイ ジュフ空港へ不時着大破

撮影1966/03/15 東京国際空港 戸田保紀



撮影 大阪国際空港 濱野博司


 

CONTRAIL No130  日本におけるDOUGLAS DC-8 第4章 DC-8の事故から

航空情報1972年12月号


                              
 

 

14  

ダグラスDC-8F-55 JA8014  ASAMA

 -55型は、-35型のJT3D-3エンジンの離陸最大重量142.9トンを147.4トンに引き上げた タイプで、Fは貨物専用機を示す。但し、JA8014は当初後部に客席を設けて貨客混用型として運用された。

1965/03/05 c/n45678 DC-8-55 貨客混載型 JA8014登録 愛称ASAMA 定置場東京国際空港

1965/04/01

太平洋線に就航 前方に貨物、後方にエコノミークラスの乗客を搭載  週3便
日航の宣伝コピー JAL DC-8F COURIER JET TRADER

1967/06/07 サンフランシスコから羽田へ向かう途中、人工衛星経由の無線連絡に我が国で初めて成功
1967/10/17 客席を廃止し、貨物専用便として就航
1972/10/28 北京から上海経由でパンダ2頭空輸
1978/06 定置場 新東京国際空港
1982/06/16 JA8014抹消登録   INTERNATIONAL AIRPANAMA HP-950

航空情報1965年5月号




新塗装 撮影1973/04/29 大阪国際空港 KUPANBA 


 撮影1977/07/22 東京国際空港 鈴木一弘


JAL CARGO 撮影1977/10/10  大阪国際空港 高尾 真

日替わりメモ 2019/08

〇 JAL DC-8F COURIER JET TRADER

 JALはこの宣伝パンフレットで大いに稼ぎました。カメラ、トランジスタラジオ、テープレコーダなどの輸出品の増大に伴って、航空貨物輸送の黄金時代が到来したからです。太平洋線の貨物実績は、1966年6,085トンだったものが4年後には18,817トンと3倍にもなっております。

 JA8014 YOSHINO号は、最大離陸重量を増した貨物型として登場できた時期もよかったし、北京からパンダの特別輸送など脚光も浴びました。まさに高度経済成長 Japan as No1真っ只中の旅客機でした。

15

ダグラスDC-8-55 JA8015  SETO

ダグラスDC-8F-55 N100JJ

 -55 JA8015として引渡を受けた後、エアカーゴの増大に対処するため、INTERNATIONAL AIR SERVICE社に売却して、同社で貨物専用機に改造し日航がリースした。

1965/11/10 c/n45763 DC-8-55 JA80153登録 愛称SETO 定置場東京国際空港

1966/11/12

ニューヨーク線(東京国際空港〜J.F.ケネディ空港)の第1便として飛行

1972/08/15 ミュンヘンオリンピック選手団輸送 僚機はJA8031 AWAJI
1976/11/09 JA8015抹消登録
  INTERNATIONAL AIR SERVICEに売却 貨物機-55Fに改造
1977/07/21 N100JJ 日本航空がリース
1978/03/30 N100JJ INTERNATIONAL JET LEASING Co.に移転 引き続き日本航空がリース
1980/10/20 日本航空のリース終了 INTERNATIONAL JET LEASING Co.に返還

撮影1966/11/01 東京国際空港 戸田保紀



撮影1969 大阪国際空港 濱野博司

新塗装 航空情報年1970月5号

撮影1971 大阪国際空港 KUPANBA 


更 撮影1977/09/17 東京国際空港  鈴木一弘


INTERNATIONAL AIR SERVICEに売却 貨物機-55Fに改造
JAL CARGOにリース 
CONTRAIL128号 複写
 撮影年は77〜80年の間のミスプリか?


撮影1978/03/06  東京国際空港 高尾 真

 

16

ダグラスDC-8-55 JA8016  SHIKOTSU

 日本航空は1969/07/03に機体外装のデザイン改正と機体愛称の廃止(既に予定しているものを除く)を決定し、1969/10/09から1970/05/07までの間にDC-8と727をを塗り替えた。DC-8では、このJA8016 SHIKOTSUがデザイン改正と愛称廃止の1号機となった。

1966/02/04 c/n45763 DC-8-55 JA8016登録 愛称SHIKOTSU 定置場東京国際空港

1970/01

日本航空機体外装変更のDC-8の第1号機

1978/06 定置場新東京国際空港
1980/06/30 JA8016抹消登録 
1980/07/01 UNITED AIR REASING CORPへ売却  N907R
1981 DC-8-55Fに改修 
1989 TRANS CONTINENTAL AIRLINES  N812TC 登録
2007 HEWA BORA AIRWAYS(コンゴ民主共和国) 9Q-CHM登録
  2011年 HEWA BORAが航空運送事業許可が事故で停止。 その後は不明。

旧塗装時 撮影1969 大阪国際空港 濱野博司


新塗装   航空情報1970年1月号


DC-8-55Fに改修(1981)

 元JALのDC-8-55(JA8016/45764)の後年の姿で、この時には既にオールフレイターに改修されていました。
 撮影は1998年7月8日、デトロイトのウイローラン空港をトランジットで訪れた際のもの。八時間位時間が有ったのでレンタカーを借りだし訪問、目的自体はザントップの機体でした。 それらと同じ並びに居たのがこのトランスコンチネンタルのDC-8-55F(N812TC)でした。この数ヶ月前までTMC Airlineにリースされていた為かタイトルは有りませんでした。 (濱野善行)

補足: オールフレーターというのは貨物機のことです。 旅客と貨物兼用のコンビと言う仕様が存在するのでフルと区別する業界用語です。

撮影1998年07月08日  Detroit Willow Run Airport  濱野善行

 
17

ダグラスDC-8-55 JA8017  BANDAI

1966/09/27 c/n45854 DC-8-55 JA8016登録 愛称BANDAI 定置場東京国際空港
1978/06 定置場新東京国際空港
1980/06/02 JA8017抹消登録
1980/06/03 OVERSEAS NATIONALへ売却  N910R

撮影1969 大阪国際空港 濱野博司

 

18

ダグラスDC-8F-55 JA8018  ISE

1966/10/26 c/n45882 DC-8-55F JA8018登録 愛称ISE 定置場東京国際空港
  当初は貨客混載型として使用 約1年後貨物型に戻す
1978/06 定置場新東京国際空港
1980/10/14 JA8017抹消登録
  AERONAVES DEL PERUへ売却 OB-R-1200

撮影1969/05/09 東京国際空港 戸田保紀

撮影 大阪国際空港 濱野博司


新塗装 撮影1976/03/13 大阪国際空港 鈴木博之


 撮影1977/07/22 東京国際空港 鈴木一弘

 

19

ダグラスDC-8-55 JA8019  ASO 

 -50シリーズの最終号機 機体サイズと-50の最新鋭機ということで、1967年からVIP専用機として最も多く使用された。 

1967/09/20 c/n45916  DC-8-55 JA8019登録 愛称ASO 定置場東京国際空港
1978/06 定置場新東京国際空港
1980/06/23 JA8019抹消登録
  ONE Evergreenへ売却 N915R
CONTRAIL127号 第2章 日本におけるDC-8-50から

撮影1969/08/15 東京国際空港 戸田保紀


撮影1975 大阪国際空港 KUPANBA


撮影1980/05 千歳空港 CTSsuga

 

 

以下 日航がリースした-50シリーズの貨物専用機 (N100JJは上記掲載済み)

109

ダグラスDC-8-55F N109RD 

1964/06/17 c/n45674  DC-8F-54 AIRLIFT INTERNATIONAL  N109RD 
1968/05/01 日本航空がウエットリース  N109RD 
1969 リースバック

CONTRAIL128号 (写植印刷の誌面から複写)

 
803

ダグラスDC-8-55F N803SW

1966//03/17 c/n45821  DC-8F-55 FLYING TIGER  N803SW 
1970/04/01 日本航空がウエットリース  N803SW 
1972/03/31 リースバック

CONTRAIL128号 (写植印刷の誌面から複写)

 
806

ダグラスDC-8-55F N806SW

1976/10/20 c/n45883  DC-8F-55 SERBOARD WORLD  N806SW 
1970/02/01 日本航空がウエットリース  N806SW 
1972/03/31 リースバック

CONTRAIL128号 (写植印刷の誌面から複写)


 

 

日本航空のダグラスDC-8-50シリーズ 終了