フォッカー フレンドシップF-27は、小生の現場作業、技術部(耐空性管理課)の技術スタッフ業務ですべてに係わった思い出深い機種です。システムがシンプルで整備しやすい飛行機でした。DC−3の後継機として、最も成功した機種だと思います。今でも現役で世界のローカル線で飛んでいることでしょう。
生産機数が786機と言うことが、成功を証明していると思います。航空先進国の米国が200機あまりもライセンス生産していることも忘れることができません。
全日空で初めての高翼機(極東航空時代はHPマラソンが高翼)でした。従来機との違いは油圧でなく空圧を使っていたことでしょう。
エンジンはロールス・ロイス・ダートエンジンですから、ヴァイカウントと同じ系列です。
・ 初飛行
1962年の入社当時、中古のDC−3と違い新品のF−27が次々にデリバリーされ、輸入耐空検査その他で、テスト飛行が数あり、どうしても乗りたくて、休日(シフト勤務で平日)にあるフライトに頼んで乗せてもらったのが、F-27での初めての飛行でした。窓が楕円形で高翼のため 、離陸滑走で、主脚のオレオが段々伸びて、滑走路を離れ、車輪がくるくる回っているのが手に取るように見えます。その後、主脚が、後方に折れ曲がり、引込む様子を興味深く見たことを思い出します。
データを取るとか業務上の乗務ではないので、気楽に、あちこち見ることができました。高翼機は主翼が邪魔しないので、どの席からも下界が良くみえますが、翼が上にあるためか客室全体が暗い感じがした印象があります。
・ 10個目の窓の増設
客室際前方の窓(後方から10個目)について、番外編2に増設の記事があります。当初はプロペラ回転面で、冬季プロペラに付着した氷が跳ね飛ばされて、胴体に当たるため窓は考えてなかったようです。その後の生産機には通常の二枚の窓ガラス(ガラスではないが)の外側に、さらに氷対策で3枚めのウインドペーンを取り付けて保護していました。
受領済で9個しかない機体は、フォッカー社から部品と図面を取り寄せ、全日空で改修作業をしたと記憶しています。
・ FRP(繊維強化プラスチック)
F−27で初めて経験した機体構成材料でした。ガラス繊維をレジンで固めたもので、成形が簡単に出来るので、各種フェアリングに使用されていました。欠点として、前縁部分のエロージョン(風圧で表面が削られた状態)が問題になり、前縁部分のみアルミ合金の板金で成形した保護板を接着していました。フォッカー社でも、翼端のFRP部材は、途中からアルミ合金に変更したと記憶しています。
修理はガラス繊維にレジンを浸したもので貼り付け、乾燥後やすりで成形します。この作業が大変でガラス繊維が肌に着くとかゆみが出てやっかいでした。
もちろん粉じん対策マスクはしていたと思います。
・ ベルクロ・テープ(マジックテープ)
当時はまだ日本ではなじみのなかった現在のマジックテープ(クラレの商品名)が客室の窓のカーテンの取り付けに使用されていた。現在の窓は組み込みロールのシェードや787のような電気的に不透明にできる味気ないものですが、F−27は左右にスライドする、カーテンがマジックテープで取り付けられ 、洗濯時に簡単に取り外すことが出来るようになっていました。
補給に行くとベルクロ・テープ(スイスの商品名?)が巻いてあるロールがあり、適当な長さに切ることができました。珍しいテープで、面ファスナーとも言われる便利なテープで
、腕時計のバンドに加工して、トリスバーなどの女性に見せびらかして優越感に浸る人もいたと聞いたことがあります。
飛行機の整備は、このような最先端の製品に接することがあり、その意味で、面白い仕事でした。
・ 金属に接着剤
主翼の部材がリベットでなく接着剤で取り付けられてる部位がありました。エポキシ系接着剤(Redux?)で、全日空として初めての経験でした。接着部の点検をどういう方法でやっていたかは定かではありませんが、強度的にそれほど重要な部位ではなかったように思います。
・ バルサ・サンドイッチ床板
客室の床板が、軽量化でバルサ材をサンドイッチにした表面はアルミ合金でできた床板が使用されていました。当時の女性はかかとの細いハイヒールが流行りでした。当然のことながら、体重の相当部分が細いかかとにかかり、床板をへこませ、問題になりました。
・ ニューマチック・システム
通常旅客機は脚の上げ下ろし、車輪ブレーキやステアリングなどは油圧を使用してい
ます。ジェット機など高速機は動翼を作動させるのも油圧サーボを使用しています。F−27は油圧の代わりに空圧(ニューマチック・システム)を採用した珍しい機種でした。空圧は油圧に比べてオイルを使わないので、軽量化でき、空気は無限にあり
、油漏れによる不具合がありません。予備のボンベに高圧の空気をため非常用に使用できるなどの利点がありました。
欠点は、配管等の接続部に空気漏れがあっても目に見えないので発見しにくい。空圧の空気に水分が混入、水分除去の目的でシステムには、デハイドレーターはありますが、それでもわずかな水分が上空で凍結すると装備品に問題が発生します。
前脚のアップロックが凍結して動かなくなりましたが、高度を下げたら気温が上がって作動し、無事着陸できたbこともあります。
当時25機のF−27を運用しているのは世界最大のオペレーターで、ボーイング社がB747の開発で空圧を採用するか検討され、空圧システムの運用について問い合わせがあったと記憶しています。
ローカル飛行が中心だったF−27は、ローカルでも簡単に装備品名と配管のつながりが分かるよう、前方貨物扉の左手にあったニューマチック・コンパートメントのドアの内側に装備品と配管に着色した大型の図を張り付け、装備品の名称などがすぐわかるように改修し、作業の利便性を図っていました。
・ 洋食のマナーとおなじ段取り
飛行機の整備には特殊工具を使う作業があります。プロペラ交換などもその作業の一つです。後に役員を務めたことのある当時の班長が我々班員に指導されたのは、作業のほとんどは段取りで決まるということで、作業が始まる前に特殊工具を使う順番に、作業台にならべるよう指示されたものです。
洋食の皿の左右に使う順番にならべたフォークとナイフを思い出します。職人はそういう事を経験で覚えており、弟子には教えてくれません。弟子は仕事を通じて、その技を覚えます。会社組織では、部下を如何に指導するかは重要なことであり、部下の育成の上手い人が昇進したように思う。
・ 社内改修 @
ニューマチック・コンパートメント扉裏にシステム図の拡大図を彩色して取付け、ローカル空港で、整備点検作業の利便性を図った改修を紹介しましたが、同様に、前方貨物室右側に、電気関係の部品が設置されているメインジャンクション・ボックスにも写真を拡大して取付け、装備品の名称を書いたパネルを取り付けて、整備作業の参考にしてもらいました。
こういう改修は、エアラインの経験に基づくもので、メーカーには、なかなかできないことだと思います。いわゆる運用面での改善です。
ANAのF−27を中古で買ったオペレーターは、種々の改修を見てどう思ったか聞いてい見たいものです。飛行機を作らないエアラインの技術レベルは、運用面での不具合にどう対処するか、パイロットやCAの要望にどう応えるかなどいろいろありますが、整備性の向上まで手が回るのは、日本人のきめ細やかさの一つではないでしょうか。
・ 社内改修A 改修の必要工具は5円のボンナイフ
フレンドシップの客室読書灯は、ハットラック(客席上部の物入れは 、名前の通り帽子を置く棚で重いものは置けなかった)下面に取り付けられていました。
そのスイッチは押してON、OFFでしたが、慣れない乗客が、読書灯を消灯するとき、四角いプラスチック製のスイッチの角を引っ張り、厚めのプラスチック板が脱落紛失する不具合が多数発生しました。対策として、スイッチのプラスチックの角を削り指がかからなくしましたが、その改修作業手順で使用する工具として、当時文具屋に、鉛筆削りとして売っていた片刃の髭剃りにブリキの柄を付けた5円のボンナイフを使いました。現在なら、さしずめ、折刃式のカッターナイフということになります。この改修後は読書灯プラスチックスイッチの紛失は無くなりました。
・ 社内改修B アルクラッド・ケーブルの磨滅対策
飛行機の動翼を操作するには、ケーブルが使用されています。飛行機の機体構造はアルミ合金で、ケーブルはスチールなので膨張係数が異なります。当然季節による気温差でケーブル・テンションが変化します。
この対応として、F−27のケーブルはケーブルの上にアルミ合金のチューブをかぶせてかしめてありました。
補助翼のコントロールケーブルは、主翼の前桁の前方を走っていて中間のガイドはフェノール樹脂
で、この樹脂とケーブルのアルミ部分がこすれて、磨滅する不具合が発生しました。磨滅対策として、樹脂製ガイドに変えて、MILスペックにあるゴム製のプーリーと交換し、以後磨滅の不具合は解消しました。
この改修は、後日フォッカー社のSB(メーカーが発行する改修や点検を指示する文書)に採用されました。当時乗員は○○時間無事故で表彰されており、地上職もという意見に、申請があればと本社から言われ、この改修によりグループとして社長表彰を貰いました。
・ エアラインの技術について
以前、所沢航空発祥記念館でYS−11シンポジウムが開催され、YS−11の技術対策で日本国内航空で苦労された方のお話を聞く機会があ りました。日本初の旅客機が運航当初如何に不具合がいろいろ発生したか、その対策に追われたか、お蔭で、技術担当者の技術レベルが向上したというような話しでした。
どんな大メーカーでも飛行機は作れるが、運航経験はゼロであり、就航後発生する、種々の不具合に迅速に対応するのは難しいです。お金を頂いている乗客からの苦情など、生の声に接しているエアラインは、その対応を急ぐ必要があります。ただ、整備系の人間は、安全に対しての不具合は直ちに処理すしますが、客室の問題にはやや
関心が薄い傾向があることは否めません。
・ システムの簡素化で故障を防ぐ仕様
旅客機を発注するときに、どういう仕様で購入するか決めることは大変重要な作業になります。当時の全日空は、中古機しか使用経験がなかったので、当初はメーカー標準仕様の航空機を購入したと思います。仕様が明確に出せるには 、ある年月の運用経験があり、その経験に根差した要望がまとめられている必要があります。
F−27の購入段階ではっきりしていたのは、ローカル線主体の運航に対して故障を減らすことで、ウエザー・レーダーとオートパイロットを装備しないことでした。
レーダーについては当時の乗員が慣れていなく
、さほどの必要性を感じていなかったように思いますが、オートパイロットに関しては、静穏なフライトであれば、トリムタブの調整で飛べたようですが、今から思えば、随分思い切った決断だと思いますが、現在の感覚で過去の事例を云々してもあまり意味がないでしょう。
エンジンの信頼性の向上により、旅客機のエンジンの数が4発から3発になり、現在は双発が当たり前になり、燃費の向上もさることながら、エンジンの数が減れば補機を含めて、それだけ故障が減ることになり、整備担当としては有難いことである。
さて、長い昔話にお付き合いいただき感謝します。現場の整備体験、技術スタッフの経験の中から差し障りのないと思われる部分を記しました。
私は、あの時代のあの会社だからこそできた貴重な経験をさせていただき、会社と上司、先輩、同輩、後輩の方々にに感謝の気持ちで一杯です。
編集者付記
同じ筆者によるバイカウント828整備の思い出と併読をお勧めします。また、全日空のフレンドシップ全般については、航空ファン2001年4月号
【全日空フレンドシップの研究 文と写真茶谷昭雄】を推奨します。
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