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航空歴史館

掲載10/04/08
追加19/12/07
 

宗谷時代の南極観測支援航空機について

 

解 説

  表1 宗谷時代の南極観測の概要
  表2 航空機 の参加状況と要員派遣元)
  表3 参加した航空機の経歴
  航空機の用途について
写真  朝日新聞社機による水上機訓練
真  南極観測船 宗谷
写真  デハビランドDHC-2 ビーバー JA3111 昭和号
写真  宗谷ヘリコプター甲板上の川崎ベル47G-2
写真  シコルスキーS-58 JA7201とデハビランドDHC-2 ビ-バー JA3111 昭和号の訓練
写真  氷上ヘリポートのシコルスキーS-58
写真  ソ連の砕氷船 オビ号とLi-2輸送機
写真  米海軍砕氷艦バートンアイランドから宗谷に飛来したベルHUL-1 
写真  日の出桟橋に帰還した宗谷船上のデハビランドDHC-2 ビ-バー JA3111 昭和号 
写真  1958年、1959年、1961年の朝日新聞社機
質問  第一次南極観測隊のベル47Gについて

 解説 佐伯邦昭

1 解説 

 広島航空クラブは、1965(昭和40)年3月21日広島市西区南観音町広島空港内の第六管区海上保安本部広島航空基地において例会 を開催し、福原秀一飛行長から南極観測船に飛行士として参加した回顧談と共に貴重な写真の数々を頂きました。 観測隊員名簿によりますと、福原秀一さんは、第2次から第4次まで宗谷の飛行士として乗船されております。その写真を中心として宗谷に搭載されて南極観測を支援した航空機についてまとめてみました。( 提供写真は日本航空協会へ寄贈済み 2010/04記)

表1 宗谷時代の南極観測の概要   表1

第1次南極観測隊 同越冬隊

1956〜1957

朝日新聞社のセスナ180とベル47Gを南極仕様に改装
セスナ180は宗谷に、ベル47Gは随伴船海鷹丸(ヘリ甲板付き)に塔載
宗谷、オビ号の救援を受けてプリンスハロルド湾を南極大陸に向けて接近
オングル島に昭和基地建設

第2次南極観測隊 越冬断念

1957〜1958

宗谷、ヘリコプター空母型に改装 以下各年次ごとに改装
ベル47G2を防衛庁から移管 デハビランドDHC-2新規購入
デハビランドDHC-2が孤立した第1次越冬隊11人と樺太犬9頭を救出
悪天候のため越冬を断念 樺太犬数頭置き去り
宗谷、バートンアイランド号の救援を受けで外洋へ離脱

第3次南極観測隊 同越冬隊

1958〜1959

物資搬送用としてシコルシキーS58を調達 運用は海自に依頼
宗谷の飛行甲板を補強し、大型航空燃料庫設置
氷上に板でヘリポート設置 シコルシキーS58で物資輸送開始
樺太犬タロ ジロの生存を確認

第4次南極観測隊 同越冬隊

1959〜1960

宗谷、オビ号と共同接岸
シコルシキーS58(#202)のエンジンが故障
オビ号搭載のヘリコプターが物資輸送を援助

第5次南極観測隊 同越冬隊

1960〜1961

シコルシキーS58(#202)が三菱で修理後の試運転で大破
海上自衛隊からシコルシキーS58(HSS-1)を移管 #203

第6次南極観測隊 観測終了

1961〜1962

セスナ185を調達 宗谷に同機搭載用架台設置
セスナ185は航空測量と写真撮影に従事
昭和基地閉鎖作業完了

第7次南極観測隊 観測再開

1965〜1966

観測艦ふじ就航


表2 航空機 の参加状況と要員派遣元)表2

 

第1次

第2次

第3次

第4次

第5次

第6次

着陸・着水装置

 

1956

1957

1958

1959

1960

1961

 

セスナ180 JA3059 朝日新聞 さち風

宗谷

         

車輪 フロート 橇

川崎ベル47G JA7024 朝日新聞 ペンギン

海鷹丸

         

ゴムフロート 

川崎ベル47G JA8806 海上保安庁 

宗谷

          ゴムフロート

川崎ベル47G JA8807 海上保安庁

宗谷

          ゴムフロート

川崎ベル47G-2 JA7106 海上保安庁

 

宗谷

宗谷

宗谷

宗谷

宗谷

ゴムフロート

川崎ベル47G-2 JA7107 海上保安庁

 

宗谷

宗谷

宗谷

宗谷

宗谷

ゴムフロート

デハビランドDHC-2 JA3111 文部省 昭和

   

宗谷

宗谷

宗谷

 

車輪 フロート 橇

シコルスキーS-58 JA7201 海上保安庁

   

宗谷

宗谷

宗谷

宗谷

車輪

シコルスキーS-58 JA7202 海上保安庁

   

宗谷

宗谷

使用不能のため#203と交替

車輪

シコルスキーS-58 JA7203 海上保安庁

       

宗谷

宗谷

車輪

セスナ185 JA3202 海上保安庁

         

宗谷

車輪 フロート 橇

飛行士・整備士等 

朝日新聞社 社会部記者を含む      

 

海上保安庁 航空通信士を含む

 

   

海上自衛隊 シコルスキーS-58要員
海上保安庁へ出向

 


表3 参加した航空機の経歴表3

 

製造

JA登録

      南極用途終了後

セスナ180 朝日新聞 さち風

JA3059

1953/02/25

1953/07/01 

1968/05/18 昭和航空へ譲渡

川崎ベル47G 朝日新聞 ペンギン  (海鷹丸塔載)

JA7024

1955/08/01

1955/11/24 

1960 川崎航空機工業へ譲渡

川崎ベル47G 防衛庁→海上保安庁→防衛庁 

JA8806 

19

1956/09/07

1964/06/17 海上自衛隊8726

川崎ベル47G(-2) 防衛庁→海上保安庁→防衛庁 

JA8807 

19

1956/09/07

1964/06/17 海上自衛隊8727

デハビランドDHC-2 文部省 昭和

JA3111

1957/06/17

1957/09/04 

1961/02/17 釜石沖で水没

川崎ベル47G-2 海上保安庁   陸上自衛隊から移管

JA7106

1957/07/10

1957/09/24 

1962/08/11 陸上自衛隊30109

川崎ベル47G-2 海上保安庁   陸上自衛隊から移管

JA7107

1957/07/10

1957/09/24

1962/08/11 陸上自衛隊30110

シコルスキーS-58 海上保安庁

JA7201

1958/08

1958/10/15

1974/01/10抹消

シコルスキーS-58 海上保安庁

JA7202

1958/08

1958/10/15

1960 三菱で修理後横転大破

シコルスキーS-58 海上保安庁  海上自衛隊から移管

JA7203

1960/10/18

1960/10/14 

1962/03/13海上自衛隊へ返還

セスナ185 海上保安庁

JA3202

1961/06/15

1961/09/18

1964/04/28 広島 空港で大破

             以上 文部省発行「南極 六十年史」及び日本財団電子図書館の“宗谷”データ等により作成


・ 航空機の用途について用途

 ベルヘリコプターは、主として偵察観測を任務とします。第1次観測隊の宗谷が氷海を前にして、進入できる割れ目などを探索するために、朝日新聞のペンギン号が船長や隊長をのせて何十回も飛び立ち、宗谷を誘導したり、荷物運搬の雪上車を先導した活躍ぶりから、翌年からは47Gのエンジンを強化し、木製ローターを金属製に替えた47G-2を2機体制としています。

  シコルスキーS-58は、雪上車に頼る物資輸送に限界があるために、大型ヘリを導入したもので、接岸した宗谷の傍と昭和基地にヘリポートをつくり、ピストン輸送を行いました。これは日本隊に大成功をもたらし、大型の固定翼機を用いていた米ソからも注目されたと言われています。

 苛酷な自然の中の運用ですから、整備は大変でした。第4次で#202のオイルに金属片が発見され、エンジンのどこかが壊れたものですが、現地では修理不能とされ、共同接岸していたオビ号のヘリコプター(機種不明)にドラム缶の空輸を助けて貰っています。ソ連にしてみれば、日本隊の成功に学んだということになりましょうか。

 ヘリコプターが宗谷の中にどのように積まれたかについては、S-58は甲板上に露天で車輪を外して固縛され、その場合、ベルは分解されて船倉に格納されていたようです。一度にヘリ4機と固定翼1機を運ぶのですから、その積載設計には苦労したことでしょう。S-58の塔載に当っては大型の航空燃料庫も増設しているのでなおさらです。

 固定翼のセスナ180ビーバーセスナ185機は、やはり偵察、観測、写真撮影、人員輸送と多角的に使用されたようです。これらも、フロートをつけて海面から飛び、あるいはスキー板を履いて氷上から飛ばしましたので、その整備も大変だったろうと察しられます。

 余談ですが、南極任務を終えて帰途につくと、余った航空燃料は危険予防のために途中の港で売却したそうです。船も軽くなりますからね。


 朝日新聞社機による水上機訓練 (朝日新聞社 1956年11月刊 世界の翼1957年版より)1-1

ベル47G JA7024 ペンギン(参加)   パイパーPA18-125 JA3008 小鳩(訓練のみ)


セスナ180 JA3059 さちかぜ (参加)


世界の航空機1956年2月号国内ニュース

パイパー JA3058 世界の航空機1956年4月号表紙


 南極観測船 宗谷1-2

以下印は、第6管区海上保安本部広島航空基地の福原秀一飛行長から頂いたものです。

  南極観測船 宗谷


 デハビランドDHC-2 ビーバー JA3111 昭和号 ビーバー 

 宗谷の前甲板に固定された デハビランドDHC-2 ビーバー JA3111 昭和号


 

 


 宗谷ヘリコプター甲板上の川崎ベル47G-2ベル47G-2

  宗谷ヘリコプター甲板上の川崎ベル47G-2 JA7106

    

宗谷ヘリコプター甲板上の川崎ベル47G-2 JA7107

    


シコルスキーS-58 JA7201とデハビランドDHC-2 ビ-バー JA3111 昭和号の訓練訓練

 撮影1958年 木更津飛行場   提供かかし


 氷上ヘリポートのシコルスキーS-58S-58

  氷上ヘリポートのシコルスキーS-58 JA7201 (国立科学博物館筑波倉庫に保管)


同 シコルスキーS-58 JA7202

1958/10/15 c/n58946 シコルスキーS-58 JA7502登録 海上保安庁 定置場海上自衛隊館山航空基地
1958・1959 南極観測隊
1960/09/16 新三菱重工業名古屋製作所でオーバーホール後の試験飛行で横転ローター等破壊
1966/09/04 羽田沖に墜落水没





 シコルスキーS-58 JA7203
1960/10/14 c/n581237 シコルスキーS-58 JA7503登録 海上保安庁
  南極観測隊
1962/03 海上自衛隊 HSS-1として運用 8555
1968/12/19 不時着水喪失 長崎県池島

 撮影1960年頃 三菱重工業小牧工場  古谷俊郎   南極行き準備中


 ソ連の砕氷船 オビ号 とLi-2輸送機オビ号

  ソ連の砕氷船 オビ号


オビ号に搭載されていたLi-2(ソ連製DC-3)CCCP-04214


 米海軍砕氷艦バートンアイランドから宗谷に飛来したベルHUL-1 HUL-1 

 米海軍砕氷艦バートンアイランドから宗谷に飛来したベルHUL-1 



所属部隊はHU-1DET.16
艦艇はAGB-1/USS BURTON ISLAND (米海軍砕氷艦バートンアイランド)
バズナンバーは143143,143145,143146,143147
4機のうちの1機と考えられます。(山内秀樹さんより)


 日の出桟橋に帰還した宗谷船上のデハビランドDHC-2 ビバー JA3111 昭和号 日の出 

1-8  第二次南極観測隊の帰還 東京港日の出桟橋 撮影1958/04/29 ET
 
拡大









 


日替わりメモ2010/04/08から

○ 宗谷時代の南極観測ヘリコプターなど

 第51次南極観測隊運搬の任務を終えて二代目しらせは、間もなく無事東京港に帰ってきます。
 初代しらせも、無事引き取り先が決まり、艦名をSHIRASEと変えて船橋港で余生を送ることになりました。

 そのうれしいニュースに思いついて、45年前に頂いた古い写真を探し出してみました。
 海上保安庁のベル74G-2とシコルスキーS-58、厚い氷で身動きできなくなった宗谷を救出してくれたオビ号と、驚くなかれ船上にはソ連製DC-3が分解されて塔載、同じく宗谷を救出してくれたバートン アイランド号から飛来したベルUHL-1(H-13)のプリントが出てきました。長らく箱の底で眠っていたものですが、マニアックな面はもとより、学術航空史でもあまり目にすることがない宝の山と言って差し支えないと思います。

 これらは、広島航空クラブ例会で6管広島航空基地の勉強会を行い、福原飛行長さんの南極土産として頂いたものですが、その時は目の前の現役航空機が主体になって、南極体験談を副次的に考えていたらしいです。そのため、メモも失い、具体的な撮影年次が分からなくなってしました。

 詳しく渉猟した訳ではありませんが、宗谷、海鷹丸(宗谷を支援した水産庁所属船)、ふじ、しらせと続く船(艦)の多くの記録に対して、航空機に関する古い記録は見当たりません。そもそも、南極観測隊が 注目をあびるのは越冬隊を含む観測隊員であって、それを支援する船(艦)員と航空関係者はその任務が当たり前と考えられているのでしょう。ここは、どなたか奮起一番、南極観測支援航空機の歴史を掘り起こして頂きたいものです。 

・ 日本航空協会航空遺産継承基金への協力について
 なお、以上の貴重な写真(名刺判のプリント)は、当方で死蔵するに忍びないので日本航空協会航空遺産継承基金へ寄付しました。

 

 

1958年、1959年、1961年の朝日新聞社機        8

 

JA3059の経歴

 

c/n30058 伊藤忠航空 定置場八尾空港

1953/07/01

JA登録 朝日新聞社 愛称さちかぜ 定置場東京国際空港

 

1956年 第一次南極観測隊に参加

1968/05/16

昭和航空 定置場八尾空港

1975/03/11

平塚利弥 定置場岡山空港

1981/07/09

抹消登録 


宗谷塔載の 朝日新聞社機の1958年と1959年の写真を送ります。9のGeta-oさんの撮影よりも前で、JAナンバーの位置などが微妙に異なっています。 

セスナ180 JA3059 
東京国際空港  撮影1958/03/24 戸田保紀(以下同じ)


撮影1958/03/29 東京国際空港


撮影1959/11/01 東京国際空港


撮影1959/11/20 東京国際空港



ベル47G JA7024  ペンギン号 撮影1959/09/21 東京国際空港 





 朝日新聞社のセスナ180 JA3059 東京国際空港  撮影1961/10/18 geta-o(以下同じ)

 第1次観測隊の参加からかなり後の写真ですが、朝日新聞は国際地球観測年の表示は消さずに使用していました。


朝日新聞社のベル47G JA7024 1961/10/18 東京国際空港 

拡大 ペンギンの絵が側面に書いてあります。
  


 海上保安庁のセスナ185 JA-3302 1961/10/18 東京国際空港

JA-3302の経歴

1961/08/18

c/n0158 N11B JA登録 海上保安庁 定置場羽田航空基地 

1961/11

第六次南極観測隊に参加

 

定置場広島空港 海上保安庁パイロット訓練に使用

1964/04/28

広島空港へ着陸時に横転大破

1964/10/12

抹消登録

ビーバーを水没(1961.02.17)させてしまって急遽購入したセスナ185。登録番号を決めるときに事故の無い番号ということでS-58からゲンを担いで302にしたと聞いています。色は海上保安庁が当時国内で使用していた濃紺で無く南極色のオレンジ色(シコルスキーS-58と同じ)です 。

 

 

第一次南極観測隊のベル47Gについて質問質問

 東京都船の科学館3階読書ルームで平成8年宗谷航空の会発行の「南極の空を翔ぶ 南極観測船宗谷航空科の記録」を閲覧してきました。

 第一次観測隊のヘリコプターの詳細を調べるためです。

 第一次観測隊(1956〜1957)においてはっきりしたのは、次の事柄です。

 宗谷搭載 朝日新聞社 セスナ180(JA3059 さち風)
 宗谷搭載 海上保安庁 ベル47G (海上保安庁106 海上保安庁107)
 海鷹丸搭載 朝日新聞社 川崎ベル47G(JA7024 ペンギン)

・ 問題は、宗谷に搭載した2機の47Gです。同書では、ベル47G型106号 107号と記しています。つまり、航空機登録記号で言えばJA7106とJA7107であり、1956年11月8日芝浦埠頭から出航した宗谷に搭載されたことになっています。
 ところが、不思議なのはJA7106とJA7107は、翌1957年に陸上自衛隊がH-13Hとして取得し、 すぐに海上保安庁へ移管し、川崎ベル47G-2型となっているのです。(表は下郷松郎資料による)

c/n

JA

製造年月日 (’71日本航空機全集)

陸上自衛隊所属の期間

機名変更 海保機としてJA登録

121

7106

川崎ベルH-13H  57/07/10

57/08/31 - 57/09/02

川崎ベル47G-2 57/09/24 海保106号

122

7107

川崎ベルH-13H  57/07/10

57/08/31 - 57/09/02

川崎ベル47G-2 57/08/31 海保107号

 1957年7月にロールアウトした47G-2型機が、前年の1956年11月に47G型機として宗谷に載っているという のは怪談です。
 
 どなたか解明してくれませんか。

2011/11/27 回答 Aokiさんから

豊田市の丹羽八十さんから、以下の情報をいただきました。


 朝日新聞発行「世界の翼・別冊[航空70年史]2 (1941-1970)」の174ページに、「朝日機」のタイトルで社有機紹介があります。

 雪原に駐機中のJA3059と一緒にJA8807が写っています。当時、問合せに柄沢英一郎編集長から丁寧な返信では、防衛庁のBell47G-2とのこと。なお、朝日のJA7024「ペンギン」も南極へ行ったのかについては記載が有りません。

 調べてみると、防衛庁のベル47Gは、海自館山向けにJA8806JA880719569月に登録されており、「宗谷」の出港(1956118)にぴったり符合します。

 また、極地研究所の資料「日本南極地域観測隊航空部門報告」における「ベル47G」の記述とも矛盾しません。 

川崎ベル47G JA8806の経歴(下郷資料)

1956/09/07

c/n1019 JA8806登録

1956/09/10

海上自衛隊へ引渡 タ (館山航空隊) 

 

ベル47G-2へ型式変更

1964/06/17

抹消登録 海上自衛隊 8726 タ/211

1971/12/15

用途廃止


川崎ベル47G JA8807の経歴(下郷資料)

1956/09/07

c/n1020 JA8807登録

1956/09/19

海上自衛隊へ引渡 タ (館山航空隊) 

1957

ベル47G-2へ型式変更

1964/06/17

抹消登録 海上自衛隊8727 タ/211

1971/06/30

用途廃止

   以上のことから、「宗谷の会」発行資料にある「ベル47G106号、107号」とは、JA8806およびJA8807のことだと判断してよいだろうと思います。


佐伯から : 
ありがとうございました。 更に当時の資料を当たってみましたら、下記のリストがありました。

航空情報1956年11月号 日本国籍の航空機一覧表(1956.10.1現在)

 

日本航空機全集1962年版 登録航空機一覧表 (運輸省航空局 1961/11/06現在)

 航空情報が1956年10月現在(第一次南極観測隊出発の直前)において所有者を海上保安庁としているのが正しいのか誤りなのかは分りませんが、両機を運用したのが海上保安庁であることは間違いないと思われます。

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