1 解説 か
広島航空クラブは、1965(昭和40)年3月21日広島市西区南観音町広島空港内の第六管区海上保安本部広島航空基地において例会 を開催し、福原秀一飛行長から南極観測船に飛行士として参加した回顧談と共に貴重な写真の数々を頂きました。 観測隊員名簿によりますと、福原秀一さんは、第2次から第4次まで宗谷の飛行士として乗船されております。その写真を中心として宗谷に搭載されて南極観測を支援した航空機についてまとめてみました。(
提供写真は日本航空協会へ寄贈済み 2010/04記)
表1 宗谷時代の南極観測の概要
表1
第1次南極観測隊 同越冬隊 |
1956〜1957 |
朝日新聞社のセスナ180とベル47Gを南極仕様に改装
セスナ180は宗谷に、ベル47Gは随伴船海鷹丸(ヘリ甲板付き)に塔載
宗谷、オビ号の救援を受けてプリンスハロルド湾を南極大陸に向けて接近
オングル島に昭和基地建設 |
第2次南極観測隊 越冬断念 |
1957〜1958 |
宗谷、ヘリコプター空母型に改装 以下各年次ごとに改装
ベル47G2を防衛庁から移管 デハビランドDHC-2新規購入
デハビランドDHC-2が孤立した第1次越冬隊11人と樺太犬9頭を救出
悪天候のため越冬を断念 樺太犬数頭置き去り
宗谷、バートンアイランド号の救援を受けで外洋へ離脱 |
第3次南極観測隊 同越冬隊 |
1958〜1959 |
物資搬送用としてシコルシキーS58を調達 運用は海自に依頼
宗谷の飛行甲板を補強し、大型航空燃料庫設置
氷上に板でヘリポート設置 シコルシキーS58で物資輸送開始
樺太犬タロ ジロの生存を確認 |
第4次南極観測隊 同越冬隊 |
1959〜1960 |
宗谷、オビ号と共同接岸
シコルシキーS58(#202)のエンジンが故障
オビ号搭載のヘリコプターが物資輸送を援助 |
第5次南極観測隊 同越冬隊 |
1960〜1961 |
シコルシキーS58(#202)が三菱で修理後の試運転で大破
海上自衛隊からシコルシキーS58(HSS-1)を移管 #203 |
第6次南極観測隊 観測終了 |
1961〜1962 |
セスナ185を調達 宗谷に同機搭載用架台設置
セスナ185は航空測量と写真撮影に従事
昭和基地閉鎖作業完了 |
第7次南極観測隊 観測再開 |
1965〜1966 |
観測艦ふじ就航 |
表2 航空機
の参加状況と要員派遣元)表2
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第1次 |
第2次 |
第3次 |
第4次 |
第5次 |
第6次 |
着陸・着水装置 |
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1956 |
1957 |
1958 |
1959 |
1960 |
1961 |
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セスナ180 JA3059 朝日新聞 さち風 |
宗谷 |
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車輪 フロート 橇 |
川崎ベル47G JA7024 朝日新聞 ペンギン |
海鷹丸 |
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ゴムフロート |
川崎ベル47G JA8806 海上保安庁 |
宗谷 |
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ゴムフロート |
川崎ベル47G JA8807 海上保安庁 |
宗谷 |
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ゴムフロート |
川崎ベル47G-2 JA7106 海上保安庁 |
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宗谷 |
宗谷 |
宗谷 |
宗谷 |
宗谷 |
ゴムフロート |
川崎ベル47G-2 JA7107 海上保安庁 |
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宗谷 |
宗谷 |
宗谷 |
宗谷 |
宗谷 |
ゴムフロート |
デハビランドDHC-2 JA3111 文部省 昭和 |
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宗谷 |
宗谷 |
宗谷 |
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車輪 フロート 橇 |
シコルスキーS-58 JA7201 海上保安庁 |
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宗谷 |
宗谷 |
宗谷 |
宗谷 |
車輪 |
シコルスキーS-58 JA7202 海上保安庁 |
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宗谷 |
宗谷 |
使用不能のため#203と交替 |
車輪 |
シコルスキーS-58 JA7203 海上保安庁 |
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宗谷 |
宗谷 |
車輪 |
セスナ185 JA3202 海上保安庁 |
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宗谷 |
車輪 フロート 橇 |
飛行士・整備士等 |
朝日新聞社 社会部記者を含む |
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海上保安庁 航空通信士を含む |
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海上自衛隊 シコルスキーS-58要員
海上保安庁へ出向 |
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表3 参加した航空機の経歴表3
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製造 |
JA登録 |
南極用途終了後 |
セスナ180 朝日新聞 さち風 |
JA3059 |
1953/02/25 |
1953/07/01 |
1968/05/18 昭和航空へ譲渡 |
川崎ベル47G 朝日新聞 ペンギン (海鷹丸塔載) |
JA7024 |
1955/08/01 |
1955/11/24 |
1960 川崎航空機工業へ譲渡 |
川崎ベル47G 防衛庁→海上保安庁→防衛庁 |
JA8806 |
19 |
1956/09/07 |
1964/06/17 海上自衛隊8726 |
川崎ベル47G(-2) 防衛庁→海上保安庁→防衛庁 |
JA8807 |
19 |
1956/09/07 |
1964/06/17 海上自衛隊8727 |
デハビランドDHC-2 文部省 昭和 |
JA3111 |
1957/06/17 |
1957/09/04 |
1961/02/17 釜石沖で水没 |
川崎ベル47G-2 海上保安庁 陸上自衛隊から移管 |
JA7106 |
1957/07/10 |
1957/09/24 |
1962/08/11 陸上自衛隊30109 |
川崎ベル47G-2 海上保安庁 陸上自衛隊から移管 |
JA7107 |
1957/07/10 |
1957/09/24 |
1962/08/11 陸上自衛隊30110 |
シコルスキーS-58 海上保安庁 |
JA7201 |
1958/08 |
1958/10/15 |
1974/01/10抹消 |
シコルスキーS-58 海上保安庁 |
JA7202 |
1958/08 |
1958/10/15 |
1960 三菱で修理後横転大破 |
シコルスキーS-58 海上保安庁 海上自衛隊から移管 |
JA7203 |
1960/10/18 |
1960/10/14 |
1962/03/13海上自衛隊へ返還 |
セスナ185 海上保安庁 |
JA3202 |
1961/06/15 |
1961/09/18 |
1964/04/28 広島
空港で大破 |
以上 文部省発行「南極
六十年史」及び日本財団電子図書館の“宗谷”データ等により作成
・ 航空機の用途について用途
ベルヘリコプターは、主として偵察観測を任務とします。第1次観測隊の宗谷が氷海を前にして、進入できる割れ目などを探索するために、朝日新聞のペンギン号が船長や隊長をのせて何十回も飛び立ち、宗谷を誘導したり、荷物運搬の雪上車を先導した活躍ぶりから、翌年からは47Gのエンジンを強化し、木製ローターを金属製に替えた47G-2を2機体制としています。
シコルスキーS-58は、雪上車に頼る物資輸送に限界があるために、大型ヘリを導入したもので、接岸した宗谷の傍と昭和基地にヘリポートをつくり、ピストン輸送を行いました。これは日本隊に大成功をもたらし、大型の固定翼機を用いていた米ソからも注目されたと言われています。
苛酷な自然の中の運用ですから、整備は大変でした。第4次で#202のオイルに金属片が発見され、エンジンのどこかが壊れたものですが、現地では修理不能とされ、共同接岸していたオビ号のヘリコプター(機種不明)にドラム缶の空輸を助けて貰っています。ソ連にしてみれば、日本隊の成功に学んだということになりましょうか。
ヘリコプターが宗谷の中にどのように積まれたかについては、S-58は甲板上に露天で車輪を外して固縛され、その場合、ベルは分解されて船倉に格納されていたようです。一度にヘリ4機と固定翼1機を運ぶのですから、その積載設計には苦労したことでしょう。S-58の塔載に当っては大型の航空燃料庫も増設しているのでなおさらです。
固定翼のセスナ180、ビーバー、セスナ185機は、やはり偵察、観測、写真撮影、人員輸送と多角的に使用されたようです。これらも、フロートをつけて海面から飛び、あるいはスキー板を履いて氷上から飛ばしましたので、その整備も大変だったろうと察しられます。
余談ですが、南極任務を終えて帰途につくと、余った航空燃料は危険予防のために途中の港で売却したそうです。船も軽くなりますからね。
朝日新聞社機による水上機訓練 (朝日新聞社 1956年11月刊 世界の翼1957年版より)1-1
ベル47G JA7024 ペンギン(参加) パイパーPA18-125 JA3008 小鳩(訓練のみ)
セスナ180 JA3059 さちかぜ (参加)
世界の航空機1956年2月号国内ニュース
パイパー JA3058 世界の航空機1956年4月号表紙
南極観測船 宗谷1-2
以下福印は、第6管区海上保安本部広島航空基地の福原秀一飛行長から頂いたものです。
福 南極観測船 宗谷
デハビランドDHC-2 ビーバー JA3111 昭和号 ビーバー
福 宗谷の前甲板に固定された
デハビランドDHC-2 ビーバー JA3111 昭和号
宗谷ヘリコプター甲板上の川崎ベル47G-2ベル47G-2
福 宗谷ヘリコプター甲板上の川崎ベル47G-2 JA7106
宗谷ヘリコプター甲板上の川崎ベル47G-2 JA7107
シコルスキーS-58 JA7201とデハビランドDHC-2 ビ-バー JA3111 昭和号の訓練訓練
撮影1958年 木更津飛行場
提供かかし
氷上ヘリポートのシコルスキーS-58S-58
福 氷上ヘリポートのシコルスキーS-58 JA7201 (国立科学博物館筑波倉庫に保管)
同 シコルスキーS-58 JA7202
1958/10/15 |
c/n58946 シコルスキーS-58 JA7502登録 海上保安庁 定置場海上自衛隊館山航空基地 |
1958・1959 |
南極観測隊 |
1960/09/16 |
新三菱重工業名古屋製作所でオーバーホール後の試験飛行で横転ローター等破壊 |
1966/09/04 |
羽田沖に墜落水没 |
新 シコルスキーS-58 JA7203
1960/10/14 |
c/n581237 シコルスキーS-58 JA7503登録 海上保安庁 |
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南極観測隊 |
1962/03 |
海上自衛隊 HSS-1として運用 8555 |
1968/12/19 |
不時着水喪失 長崎県池島 |
新 撮影1960年頃 三菱重工業小牧工場 古谷俊郎 南極行き準備中
ソ連の砕氷船 オビ号
とLi-2輸送機オビ号
福 ソ連の砕氷船 オビ号
オビ号に搭載されていたLi-2(ソ連製DC-3)CCCP-04214
米海軍砕氷艦バートンアイランドから宗谷に飛来したベルHUL-1 HUL-1
福 米海軍砕氷艦バートンアイランドから宗谷に飛来したベルHUL-1
所属部隊はHU-1DET.16 艦艇はAGB-1/USS BURTON ISLAND (米海軍砕氷艦バートンアイランド) バズナンバーは143143,143145,143146,143147の4機のうちの1機と考えられます。(山内秀樹さんより)
日の出桟橋に帰還した宗谷船上のデハビランドDHC-2 ビバー JA3111 昭和号 日の出 晴
1-8
第二次南極観測隊の帰還 東京港日の出桟橋 撮影1958/04/29 ET
拡大
日替わりメモ2010/04/08から
第51次南極観測隊運搬の任務を終えて二代目しらせは、間もなく無事東京港に帰ってきます。
初代しらせも、無事引き取り先が決まり、艦名をSHIRASEと変えて船橋港で余生を送ることになりました。
そのうれしいニュースに思いついて、45年前に頂いた古い写真を探し出してみました。
海上保安庁のベル74G-2とシコルスキーS-58、厚い氷で身動きできなくなった宗谷を救出してくれたオビ号と、驚くなかれ船上にはソ連製DC-3が分解されて塔載、同じく宗谷を救出してくれたバートン
アイランド号から飛来したベルUHL-1(H-13)のプリントが出てきました。長らく箱の底で眠っていたものですが、マニアックな面はもとより、学術航空史でもあまり目にすることがない宝の山と言って差し支えないと思います。
これらは、広島航空クラブ例会で6管広島航空基地の勉強会を行い、福原飛行長さんの南極土産として頂いたものですが、その時は目の前の現役航空機が主体になって、南極体験談を副次的に考えていたらしいです。そのため、メモも失い、具体的な撮影年次が分からなくなってしました。
詳しく渉猟した訳ではありませんが、宗谷、海鷹丸(宗谷を支援した水産庁所属船)、ふじ、しらせと続く船(艦)の多くの記録に対して、航空機に関する古い記録は見当たりません。そもそも、南極観測隊が
注目をあびるのは越冬隊を含む観測隊員であって、それを支援する船(艦)員と航空関係者はその任務が当たり前と考えられているのでしょう。ここは、どなたか奮起一番、南極観測支援航空機の歴史を掘り起こして頂きたいものです。
・ 日本航空協会航空遺産継承基金への協力について
なお、以上の貴重な写真(名刺判のプリント)は、当方で死蔵するに忍びないので日本航空協会航空遺産継承基金へ寄付しました。
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