HOME  SITEMAP 日替わりメモ 三菱MU-2研究トップページへ  TOP

 

航空歴史館

 

航空自衛隊

捜索救難機 MU-2S(社内呼称MU-2E) 飛行点検機 MU-2J(MU-2B)

MU-2S 73-3201 73-3202 83-3203 83-3204
93-3205
93-3206
03-3207
03-3208 13-3209 13-3210
13-3211 13-3212 23-3213 23-3214 23-3215 33-3216 33-3217 43-3218 53-3219
63-3220
63-3221 73-3222 83-3223 83-3224 13-3225 23-3226 33-3227 63-3228 73-3229  
MU-2J

53-3271 

73-3272 83-3273 93-3274  


 

航空自衛隊向け生産の経緯及び試作1号機の経歴    201

1959頃     MU-2設計の段階から社内で軍用機型の生産を検討
1966/11/29  第三次防衛力整備計画に陸・空自衛隊のMU-2生産が盛り込まれた
1967 MU-2B(製造番号120)を航空自衛隊向け改造
  c/nMU-2-120 MU-2B-10
  c/nMU-2-901 S-X (社内呼称MU-2E)
1967/08/15  初飛行
1967/12/02 MU-2S 航空自衛隊へ引渡 73-3201 千歳救難隊 
  浜松救難隊で用途廃止
  浜松市 喫茶飛行場に展示

1967/08/15 S-X初飛行

撮影1967/08/15 高橋 豊




航空情報1967年10月号グラビア



       

航空自衛隊正式採用 MU-2S 73-3201

 撮影1969/08/24 千歳救難隊  吉永秀典
奥は73-3202、 手前の201号機のHFワイヤー・アンテナは取り付けられていない。後方はKV-107 II-5 84-4803


千歳救難隊  撮影1986/08/10 KUPANBA


浜松救難隊  撮影1989/11/12 浜松基地 KUPANBA

用途廃止後

浜松喫茶飛行場 撮影2004/03/20 MAVERIC


TOP

-

2号機 73-3202   202
2
  c/nMU-2-128 MU-2B
  c/nMU-2-902 S-X(社内呼称MU-2E)
1967/10/04  初飛行
1967/12/18 MU-2S 航空自衛隊へ引渡 73-3202 千歳→芦屋→松島→百里
  用途廃止

撮影1967/10 高田和彦







航空情報1968年2月号 撮影森脇啓忠


百里救難隊  撮影1989/05/21 KUPANBA

TOP

 

3号機 83-3203  203   

 

  c/nMU-2-147 MU-2B
  c/nMU-2-903 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1968/09/19  初飛行
1968/11/30 航空自衛隊へ引渡 小松→新潟→小牧→小松→百里→小牧
  用途廃止


前輪のカバーを観音開きから前付けに変更 なごや航空クラブ会報 1969年Spring号 撮影森脇啓忠 


新潟救難隊  撮影1980/08/16 新潟空港 KUPANBA


小牧救難隊  撮影1981/05/24 小牧基地 KUPANBA

撮影1984 入間基地 遊佐 豊


撮影1984/07/03 横田基地 横川裕一 


小松救難隊  撮影1985/04/03 小松基地 KUPANBA


百里救難隊  撮影1987/07/26 百里基地 KUPANBA


小牧救難隊  撮影1990/06/03 岐阜基地 KUPANBA

TOP

 

4号機 83-3204  204

 

  c/nMU-2-148 MU-2B
  c/nMU-2-904 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1968/10/25 初飛行
1968/12/18 航空自衛隊へ引渡 小松救難隊→千歳→小牧
  用途廃止


撮影1983/07/03 横田基地 横川裕一


百里救難隊 撮影1983/10/23 百里基地 KUPANBA


千歳救難隊 撮影1989/08/06 千歳基地 KUPANBA

機首に救難隊エンブレム


小松救難隊 撮影1991/10/13 岐阜基地 KUPANBA

TOP

  

 5号機 93-3205 206

 

  c/nMU-2-171 MU-2B
  c/nMU-2-905 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1969/11/11 初飛行
1969/ 航空自衛隊へ引渡 新田原救難隊
1973/04/11 宮崎県尾鈴山に墜落

航空情報1973年7月号事故ニュース

 撮影1969/12/12 名古屋空港 故森脇啓忠 提供丹羽八十

 

 

6号機 93-3206  206

 

  c/nMU-2-176 MU-2B
  c/nMU-2-906 MU-2B (社内呼称MU-2E)
1969/11/25 初飛行
1969 航空自衛隊へ引渡  百里救難隊→小松→芦屋→新潟→千歳 
  用途廃止

撮影1980/08 小松基地 横川裕一


小松救難隊 撮影1980/11/08 小松基地 KUPANBA



千歳救難隊 撮影1986/08/10 千歳基地 KUPANBA

 

 7号機 03-3207 207

 

  c/nMU-2-181 MU-2B
  c/nMU-2-907 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1970/01/105 初飛行
1970/02 航空自衛隊へ引渡 新田原救難隊
1970/09/02 滋賀県彦根市に墜落


航空情報1970年11月号国内ニュース

 撮影1970/01/28 名古屋空港 故森脇敬忠 提供丹羽八十

TOP

 

8号機 03-3208 208

 

  c/nMU-2-186 MU-2B
  c/nMU-2-908 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1970/01/27 初飛行
1970 航空自衛隊へ引渡  浜松→小牧→新潟→松島→浜松→松島
  用途廃止

撮影1978/11/05 美保基地 幸田恒弘


小松救難隊 撮影1979/08/12 小松基地 KUPANBA


千歳救難隊 撮影1981/08/02 千歳基地 KUPANBA


撮影1991/08/31 横田基地 横川裕一

TOP

 

9号機 13-3209 209

 

  c/nMU-2-200 MU-2B
  c/nMU-2-909 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1970/12/21 初飛行
1971 航空自衛隊へ引渡 百里→小牧→新田原→秋田
  用途廃止
1999/04 浜松広報館 エアパークに展示


撮影1986 松島基地航空祭 遊佐 豊  


塗装テスト

小松救難隊 撮影1991/06/02 小松基地 KUPANBA

浜松広報館 撮影2005/04/20 佐伯邦昭

TOP

 

10号機 13-3210  210

 

  c/nMU-2-201 MU-2B
  c/nMU-2-910 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1971/01/14 初飛行
1971 航空自衛隊へ引渡 百里→小牧→小松→新田原→百里
  用途廃止

千歳救難隊 撮影1980/08/10 千歳基地 KUPANBA

撮影1982 松島航空祭 遊佐 豊

撮影1998/10/29 百里基地 横川裕一

TOP

 

11号機 13-3211   211 203   

 

  c/nMU-2-202 MU-2B
  c/nMU-2-911 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1971/12/15 初飛行
1971 航空自衛隊へ引渡 百里→小牧→小松→新田原→百里
  用途廃止

芦屋救難隊 撮影1976/05/04 芦屋基地 KUPANBA



撮影1984/04/17  入間基地 遊佐 豊


小松救難隊 撮影1985/10/01 小松基地 KUPANBA


新田原救難隊 撮影1985/10/01 新田原基地 KUPANBA


撮影1994/10/02 百里基地 横川裕一

TOP

 

12号機 13-3212    212 203   

 

  c/nMU-2-204 MU-2B
  c/nMU-2-913 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1971/03/04 初飛行
1971/03 航空自衛隊へ引渡 浜松→千歳→松島 
  用途廃止

撮影1980/11/30 浜松基地 KUPANBA 

 

 

13号機 23-3213   213 203   

 

  c/nMU-2-205 MU-2B
  c/nMU-2-913 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1971/12/13 初飛行
1972 航空自衛隊へ引渡 那覇→小松→千歳→芦屋→浜松
  用途廃止

小松救難隊 撮影1981/04/03 小松基地 KUPANBA


浜松救難隊 撮影1982/11/14 浜松基地 KUPANBA



撮影1983 入間基地 遊佐 豊

TOP

 

14号機 23-3214   214

 

  c/nMU-2-227 MU-2B
  c/nMU-2-914 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1972/01/21 初飛行
1972 航空自衛隊へ引渡  那覇→小松→松島→百里→芦屋→小松→浜松 
  用途廃止

撮影1972 小牧基地 高田和彦


TOP

 

15号機 33-3215  215

 

  c/nMU-2-234 MU-2B
  c/nMU-2-915 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1972/12/22 初飛行
1973/02 航空自衛隊へ引渡 芦屋→小牧→小松
  用途廃止

撮影1973 小牧基地 高田和彦




芦屋救難隊 撮影1980/10/22 芦屋基地 KUPANBA



小松救難隊 撮影1988/07/31 岐阜基地 KUPANBA


TOP
 

 

16号機 33-3216   216 203   

 

  c/nMU-2-235 MU-2B
  c/nMU-2-916 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1973/02/26 初飛行
1973/03 航空自衛隊へ引渡  築城→松島→小松→千歳→百里→浜松
  用途廃止


撮影1988/08/09 千歳基地 横川裕一


撮影1984 入間基地 遊佐 豊


撮影1997/09/14 横田基地 横川裕一

TOP

 

17号機 33-3217 217

 

  c/nMU-2-278 MU-2B
  c/nMU-2-917 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1973 航空自衛隊へ引渡 小松→那覇→新田原→松島→百里
  用途廃止


那覇救難隊 撮影1979/08/19 那覇基地 KUPANBA

新田原救難隊 撮影1985/12/01 新田原基地 KUPANBA

撮影1994/04/23 厚木基地 横川祐一

TOP


 

18号機 43-3218     218

 

  c/nMU-2-279 MU-2B
  c/nMU-2-918 MU-2B (社内呼称MU-2E)
1974 航空自衛隊へ引渡  那覇→築城→小牧→新田原→小松→芦屋 
  用途廃止


撮影1978/11/15 築城基地 佐伯邦昭



芦屋救難隊 撮影1991/09/15 芦屋基地 KUPANBA

撮影1984 入間基地 遊佐 豊

TOP

 

19号機 53-3219  219

 

  c/nMU-2-318 MU-2B
  c/nMU-2-919 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1975 航空自衛隊へ引渡 新田原→小松→秋田
1994/10/19 愛知県渥美半島沖に墜落


新田原救難隊 撮影1984/01/22 新田原基地 KUPANBA

小松救難隊 撮影1991/06/02 小松基地 KUPANBA

TOP

 

 20号機 63-3220   220

 

  c/nMU-2-335 MU-2B
  c/nMU-2-920 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1976 航空自衛隊へ引渡  新田原→松島→芦屋→小牧→芦屋→秋田→那覇
  用途廃止

 

 撮影1985/05/01 浜松基地 丹羽八十

 

 

21号機 63-3221  221

 

  c/nMU-2-336 MU-2B
  c/nMU-2-921 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1976 航空自衛隊へ引渡  新田原→築城→小松→新潟→秋田→新潟
  用途廃止

撮影1978/10/22 芦屋基地 大平昌美


芦屋救難隊 撮影1980/08/24 芦屋基地 KUPANBA


芦屋救難隊 撮影1981/05/05 岩国基地 KUPANBA


撮影1996/09/14 横田基地 横川裕一


撮影1999/08/08 千歳基地 横川裕一

 

TOP

 

22号機 73-3222  222

 

  c/nMU-2-360 MU-2B
  c/nMU-2-922 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1977/03 航空自衛隊へ引渡 那覇→秋田→浜松 
  用途廃止


芦屋救難隊 撮影1978/08/06 防府北基地 大平昌美


芦屋救難隊 撮影1982/05/05 岩国航空基地 佐伯邦昭


撮影1996/04/13 厚木航空基地 横川裕一

 

TOP

 

23号機 83-3223  223

 

  c/nMU-2-377 MU-2B
  c/nMU-2-923 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1978/02 航空自衛隊へ引渡 那覇→百里→芦屋
  用途廃止
   宮崎市 宮崎ユニバーサルカレッジに展示


那覇救難隊 撮影1979/08/19 那覇基地 KUPANBA


芦屋救難隊 撮影2002/05/05 岩国航空基地 佐伯邦昭

 

TOP

 

24号機 83-3224     224

 

  c/nMU-2-378 MU-2B
  c/nMU-2-924 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1978 航空自衛隊へ引渡  那覇→新田原→芦屋→浜松→小松 
  用途廃止


新田原救難隊 撮影1982/11/28 新田原基地 KUPANBA


芦屋救難隊 撮影1990/10/28 芦屋基地 KUPANBA


撮影1992/06/21 横田基地 横川裕一


撮影1998/11/03 入間基地 横川裕一



撮影2001/05/05  岩国航空基地 佐伯邦昭


TOP

 

25号機 13-3225    225

 

  c/nMU-2-445 MU-2B
  c/nMU-2-925 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1981/03 航空自衛隊へ引渡  那覇→秋田→松島→浜松→新潟→浜松 
  用途廃止


那覇救難隊 撮影1982/12/12 那覇基地 KUPANBA


浜松救難隊 撮影1995/12/03 浜松基地 Kamiya


撮影1999/07/30 横田基地 横川裕一



浜松救難隊 撮影2004/09/22 浜松基地 KUPANBA

TOP

 

26号機 23-3226  226  226

 

  c/nMU-2-455 MU-2B
  c/nMU-2-926 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1982 航空自衛隊へ引渡  浜松→小松→那覇→百里→浜松→新潟→浜松→新潟→浜松
  用途廃止

 浜松救難隊 撮影1994/09/04 小松基地 Kamiya


新潟救難隊 航空自衛隊40周年記念塗装 撮影2002/08/23  新潟基地 飛行浪人




新潟救難隊 航空自衛隊50周年記念塗装 撮影2004/09/19 小松基地 KUPANBA



浜松救難隊 撮影2005/12/04 浜松基地 にがうり

 

27号機 33-3227  227

 

  c/nMU-2-464 MU-2B
  c/nMU-2-927 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1983 航空自衛隊へ引渡 浜松→秋田→那覇→浜松
  用途廃止


浜松救難隊 撮影1986/11/09 浜松基地 KUPANBA


浜松救難隊 撮影2004/10/02 派松基地 らぶこすた〜

TOP

 

28号機 63-3228 228

 

  c/nMU-2-460 MU-2B
  c/nMU-2-928 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1986 航空自衛隊へ引渡 秋田→那覇→秋田→新潟→浜松
2008/10/22 浜松から新田原へ飛行 MU-2Sのラストフライト 
2008/10/22 用途廃止 新田原基地に展示

浜松救難隊 撮影2005/12/04 浜松基地 ogurenko


浜松救難隊 撮影2007/10/21 浜松基地 らぶこすた〜

浜松救難隊 撮影2008/10/05 浜松基地 KUPANBA

救難隊50周年記念マーク

退役直前 救難隊50周年記念塗装 撮影2008/06/15 新潟 基地 ELINT人



新田原基地 撮影2013/12/01 飛び蛙

TOP

 

29号機 73-3229 229

 

  c/nMU-2-461 MU-2B
  c/nMU-2-929 MU-2S (社内呼称MU-2E)
1987/01/20 航空自衛隊へ引渡 秋田→新田原→松島→新潟→浜松 
2005/04/14 用途廃止


松島救難隊 撮影1994/07/02 横田基地 横川裕一 


撮影2003/09/27  徳島航空基地 かつお

TOP

2016/06/08日替わりメモ

○ 航空自衛隊のMU-2Sひとまず終了

 航空自衛隊の捜索救難機MU-2Sの経歴と写真をひとまず発表し終えました。次は、飛行点検機MU-2Jですが、MU-2Sにも、13-3209(浜松広報館展示)が水色に塗られていた写真など補充すべきものがあるので、追々に出していきます。

 MU-2Sの全29機は、1967年から1987年までの20年間にわたって航空自衛隊へ引き渡されています。その間、細かな改善はあったのでしょうが、型式変更がないまま長期間の生産というのは、軍用機としては珍しい例ではないでしょうか。こういう面への予算に恵まれない日本のお国事情を反映しているような気がします。

 29機は、千歳、松島、百里、浜松、秋田、小松、新潟、芦屋、新田原、那覇、小牧(救難教育)の11基地に配備されて全土をカバーしてきました。IRANに入ると、他の基地の機体でやりくりするので、例えば「秋田→那覇→秋田→新潟→浜松 」というように配属がめまぐるしく変わっているのもMU-2Sの特徴です。

 その経歴はすべて下郷資料に頼っていますが、残念ながら完全追求の前に亡くなられたので、用途廃止時の所属を含めて不確かな面があります。垂直尾翼に救難団のマークが貼られるようになったのが1980年代だそうですが、その下に基地名をローマ字表記するようになったのはずっと後のことです。それが小さくて読みにくいのと、マークの位置自体が高翼に邪魔されて写真に入りにくいというのがMU-2S撮影の泣き所だったと気付きました。

 変化のとぼしいMU-2Sですが、手掛けてみるといろいろと興味がわいてきます。

TOP

 

 

  271

MU-2J

 MU-2Jは、MU-2G型をフライト チェッカーに改造したもので、外形の特徴は、主車輪のところの胴体にバルジが設けられています。S型との相違は、ノーズと前脚カバーやアンテナなどです。1965年から4機が採用され、入間基地の飛行点検隊に所属 し、1993年にU-125と交代して全機退役しました。

MU-2J 53-3271

 

  c/nMU-2-654 MU-2G
  c/nMU-2-951 MU-2J 
1975/01/31 初飛行
1975/03/31 航空自衛隊へ引渡  飛行点検隊
1993/03/31 用途廃止

撮影1982/11/03 入間基地 横川裕一

撮影1984 入間基地 遊佐 豊

 

TOP

 

MU-2J 53-3272  272

 

  c/nMU-2-654 MU-2G
  c/nMU-2-951 MU-2J 
1975/02/22 初飛行
1975/03/29 航空自衛隊へ引渡 飛行点検隊 
1992/06/17 用途廃止


撮影1978/11/05 築城基地 佐伯邦昭


撮影1984 入間基地 遊佐 豊

TOP

 

MU-2J 53-3273  273

 

  c/nMU-2-654 MU-2G
  c/nMU-2-951 MU-2J 
1977/12/24 初飛行
1978/03/16 航空自衛隊へ引渡 飛行点検隊 
1993/08/24 用途廃止

撮影1984 入間基地 遊佐 豊

撮影1985/11/03 入間基地 横川裕一

TOP

 

MU-2J 53-3274 274 274

 

  c/nMU-2-654 MU-2G
  c/nMU-2-951 MU-2J 
1979/03/12 初飛行
1979/03/30 航空自衛隊へ引渡 飛行点検隊
1994/05/13 用途廃止


撮影1982/11/03 入間基地 横川裕一


撮影1984 入間基地 遊佐 豊

TOP