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航空歴史館 開始2016/02/25
追加2022/11/22

 


テーマスケッチ 古谷眞之助


目 次
民間機の部  JA登録後にMoony Aircraftなど外国籍を取得したものを除く
   製造番号  JA 主なオーナー   備 考
1号機 JA8620 新三菱重工業 科学技術館→新潟県立自然科学館に展示
2号機 JA8625 三菱重工業 大阪国際空港ビルに展示後撤去
3号機 JA8626 伊藤組 航空館ブーンに展示
4号機

JA8627

毎日新聞社 航空科学博物館に展示
5号機

JA8628

三菱重工業  
031 JA8671 伊藤組  
501 JA8737 三菱重工業 三菱重工業小牧南工場史料室に展示
504 JA8753 日本楽器 行方不明
520 JA8767 朝日新聞社 機種と左エンジンを航空科学博物館に保管
 写真撮影用特設小窓について
195 JA8770 航空局 航空保安大学校に展示中に東日本大震災で破壊
546 JA8783 読売新聞社  

  陸上自衛隊の部 (22019 日本での最後のMU-2 陸上自衛隊のLR-1ラストフライト)

  航空自衛隊の部 

  番外編 スイスへ輸出された機体

 航空人生録・論文 MU-2 の写真記録 Part.1 丹羽 八十

 

協力者

赤塚 薫、伊藤憲一、大平昌美、かかし、かつお、金澤理勝、航空科学博物館種山専任学芸員、興野博史、下郷松郎、高田和彦、 高橋 豊、高松 龍、田中昭則、 チャーリーマイク、戸田保紀、飛び蛙、富田順也、にがうり、丹羽八十、永野修一、 にばさん、飛行浪人、風来坊、守屋憲冶、森脇啓忠、遊佐 豊、優一郎、 横川裕一、らぶこすた〜、CTSsuga、ELINT人、ET、HAWK、hikokizuki、Hornet、KUPANBA、MAVERIC 、NPC、ogurenko、PAPY、T67M、Tanoi、TRON、YS45   【まとめ 佐伯邦昭】

参考文献

酣燈社 「現用日本の航空機」「日本航空機ガイドVol3」、モデルアート増刊日本航空機辞典、航空情報各誌(記事・写真を借用)、世界の翼、なごや航空クラブ会報(写真を借用)、星山一男著 報道の翼

 

初飛行までの経緯と試作1号機JA8620の経歴

1952/09 新三菱重工業名古屋機器製作所技術部に航空機の調査係を設置
1959/09 ビジネスジェット機の計画を開始

航空情報1963年12月号 設計主任者池田研爾「MU-2設計記」の表

1960   実施設計を開始
1961   モックアップ製作
1962/04 試作1号機と2号機の生産開始
1963/03/19 新三菱重工業がMU-2計画を公表
航空情報1963年5月号

1963/07/22 試作1号機が屋外作業に移る     8620
  c/nMU-2-001 
1963/05/17 c/nMU-2-001 試作1号機JA8620登録 新三菱重工業
エンジン チェルボメカ アスタズー
1963/09/14 初飛行 以後社有機としてテストに使用 定置場新三菱重工業小牧南工場
1965/01/20 抹消登録
  B型に改修(エンジンをエアリサーチTPEに換装) 
1964 ニューヨーク世界博に出展
  東京都千代田区 科学技術館に展示
  新潟県立自然科学館に展示

屋外作業を公開 航空情報1963年9月号表紙

 

1963/09/14 JA8620初飛行

撮影1963/09/14 名古屋空港 下郷松郎


撮影1963/09/14 名古屋空港 赤塚 薫



      
 
離陸から着陸まで28分間  撮影 赤塚 薫
      
      
      
      
      
      
      
      
      

 

航空情報1963年11月号ニュース

新三菱重工業の当時の広告

 

1964/06/01 社名変更 新三菱重工業株式会社→三菱重工業株式会社
1964  ムーニー社と契約

  航空情報1964年9月号
  
1965/02/18 MU-2Aとして形式証明交付
1965  B型の開発が進む  B型

航空情報1965年4月号

1965     アメリカにおける組立、販売、アフターサービスについてムーニー社と契約
1965/03/11 B型に改造した1号機が初飛行
1965/03   B型に改造した1号機をニューヨーク世界博覧会に出展
1965/09/15 MU-2Bに形式証明交付
航空情報1965年11月号

 

1965/12/14〜15 東京国際空港で招待飛行実施 A型(2号機)1機、B型2機 (1,3号機)参加
1966      世界販売計画

航空情報1966年5月号

1号機を 科学技術館に展示

科学技術館 撮影1967/11/03 守屋憲冶


撮影1972/11/18  丹羽八十

1号機を新潟県立自然科学館に展示

新潟県立自然科学館 撮影2010/06/01 伊藤憲一  

TOP

 

試作2号機 JA8625  8625
  c/nMU-2-002 MU-2A
1963/11/22  JA8625登録 新三菱重工業 定置場三菱重工業小牧南工場
1964/03/27 初飛行
1965 外観のみMU-2Bに改造 
1965/10/18 抹消登録
  大阪国際空港旧ターミナルビルに展示
  ビル解体 撤去

主脚ドア半開き 前脚ドア開かず 胴体着陸前の撮影 1964/07/22 名古屋空港 HSC-M

航空情報1964年9月号国内ニュース



撮影1964〜1965 名古屋空港 HSC-M


大阪国際空港 撮影1972/10 優一郎


撮影1978/07/14 佐伯邦昭
                           

 

3号機 JA8626   8626
  c/n MU-2-003 MU-2A
1964/09/29  JA8626登録 三菱重工業 定置場 三菱重工業小牧南工場
1965/02/11 初飛行
1966/11 第1回航空宇宙ショー(入間)に出展
1968/06/03 伊藤組農林 定置場 札幌飛行場
1969/06/09 三菱重工業 定置場三菱重工業小牧南工
1975/07/14 登録抹消
1975  名古屋空港屋上に展示
1985/07/20  名古屋空港ターミナルビル航空宇宙館開館 展示開始
2004/10/31  名古屋空港ターミナルビル航空宇宙館閉館により展示終了
2005/04/01  航空館boon開館 展示再開

  注: JA8626 履歴見直し更新(2022/11/22)

撮影1964〜1965 名古屋空港 HSC-M

 

第1回航空宇宙ショー   撮影1966/11  入間基地

赤塚 薫 

佐伯邦昭

T67M






JA8626を先頭にJA8627JA8671が編隊飛行 撮影1968/10/09 入間基地 T67M


JA8626 撮影1968/09/16 東京国際空港 T67M



名古屋空港航空宇宙館 撮影1978/7/14  佐伯邦昭 


航空館boon 撮影2005/05  田中昭則

TOP

 

4号機 B型1号機 JA8627 8627
  c/nMU-2-004 MU-2A→MU-2B
1965/01/08  JA8627登録 三菱重工業 定置場三菱重工業小牧南工場
  製造中にMU-2Bに形式変更 
1965/03/11 初飛行
1966/03/18

MU-2最初の国内販売
毎日新聞社 1億3千万円 定置場東京国際空港

1966/05/07 東京国際空港で新ニッポン号命名式挙行
1975/09/12 抹消登録

B型の初飛行 撮影1965/03/11 名古屋空港 下郷松郎 

       (自筆メモ)
 
                                   


初納入 航空情報1966年5月号


第1回航空宇宙ショー 撮影1966/11  入間基地 



福井空港 撮影1966/06/30 福井空港開港記念式典 高田和彦

TOP

 

5号機 JA8628 8627
  c/nMU-2-005 MU-2B
1965/01/08  JA8628登録 三菱重工業 定置場三菱重工業小牧南工場
1965/03/31 初飛行
  MU-2Dに形式変更 内蔵タンク付き長距離形
  MU-2Fに形式変更 出力増強 胴体延長
1983/08/12 抹消登録
1989/08/01 航空科学博物館に展示

撮影1965 HSC-M


MU-2D型 インテグラルタンク付き 撮影1966/03/15  名古屋空港 下郷松郎



MU-2F型 撮影1969/07/03 名古屋空港 森脇啓忠 なごや航空クラブ会報 1969FALL号


三菱重工業株式会社PR写真


航空科学博物館 撮影1989/09/09 チャーリーマイク 


航空科学博物館 撮影2007/02/23 金澤理勝

TOP

 

以下、JA登録直後にMoony Aircraftなど外国籍を取得したものを除く

 

JA8671 8671
 
  c/nMU-2-031 MU-2B
1967/03/15  JA8671登録 三菱重工業 定置場三菱重工業小牧南工場
1967/01/07 初飛行
1969/06/09 伊藤組農林 定置場札幌空港
1973/01/23 野崎産業
1973/01/26 抹消登録  フィリピンへ売却 詳細不明
  N222GS
  N31WM
2012/10/25 登録抹消

三菱重工業 撮影1968/10/09 入間基地 T67M




伊藤組農林 撮影1969/06/05 名古屋空港 森脇啓忠 なごや航空クラブ会報 1969FALL号

N38920 撮影1973/02/04 仙台空港 gulf4





 

JA8737  8737
  c/nMU-2-501 MU-2B
1969/01/10 初飛行
1969/08/09 JA8737登録 三菱重工業 定置場三菱重工業小牧南工場
  MU-2Jに形式変更 
1998/07/15 主脚作動不能により八戸飛行場に胴体着陸 中破
2012/12/12 抹消登録
  三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所小牧南工場史料室に展示 

MU-2J 撮影1973/10 入間基地 ET


MU-2J 撮影1973/10 入間基地 T67M



撮影1990/04頃  千歳基地 CTSsuga

三菱小牧工場 撮影2011/10/24 MAVERIC


TOP
 

 

JA8753     8753
  c/nMU-2-504 MU-2B
1969/08/25 初飛行
1969/09/27  JA8753登録 三菱重工業 定置場名古屋空港
1973/07/20 日本楽器製造(日本内外航空) 定置場鹿児島空港
1981/03/11 諏訪之瀬飛行場から鹿児島空港に向け帰投中、行方不明
1981/06/22 抹消登録

1971国際航空宇宙ショー 小牧基地 Hornet

1971国際航空宇宙ショー 小牧基地 ET


日本楽器製造 撮影1977/04/02 鹿児島空港 チャーリーマイク



日本楽器製造 撮影1978/04/18 富山空港 T67M


撮影1980/02/29 鹿児島空港 高尾 真

TOP

 

JA8767 8767
  c/nMU-2-520 MU-2B→MU2G
1970/07/23 JA8767登録 朝日新聞社 早風 2億1千万円 定置場東京国際空港
1985/12/13 抹消登録
  機首部と右主翼を交通博物館に展示
2006/05/14 交通博物館閉館
2009/02/23 航空科学博物館へ搬入 オープンハウスで公開

撮影年月日場所不明 かかし



撮影用特設小窓  写真提供航空科学博物館  

 朝日新聞社は、1200万円の研究費と改造費をかけてプロペラ前方の左側胴体に小窓を作り、これをはずして写真撮影できるようにしました。プロペラが邪魔にならず、ジェット噴流の影響を避けるためで、費用が高くついたのは、高空で小窓を開いた時の機体内外の圧力差対策のためでした。 (星山一男著報道の翼より) A3502-4-02参照

交通博物館 撮影2002/11/27 佐伯邦昭


                                   


航空科学博物館での状況及び撮影用特設小窓に就いてはA3502-4-02へ転記  

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JA8770 8770
  c/nMU-2-195 MU-2B
1970/02/20 初飛行
1970/03/01  JA8770登録 運輸省航空局 定置場 東京国際空港
1970/04/01 飛行検査機として就航
1985/10 飛行検査業務から引退  総飛行時間7497時間
1985/12/10 抹消登録
  航空保安大学校岩沼分校に展示
2011/03/11 東日本大震災で破壊 スクラップ撤去

撮影1972 東京国際空港 KUPANBA


撮影1981/03/17 東京国際空港 佐伯邦昭


保安大学校岩沼分校 撮影2005/03/25 MAVERIC



東日本大震災の津波で破壊 スクラップ処分

撮影2011/04/17 
風来坊

 

JA8783  8783
  c/nMU-2-546 MU-2B→MU-2G
1972/03/28 初飛行
1972/04/20  JA8783登録 読売新聞社 YOMIURI 121号 定置場東京国際空港
1985/07/24 三菱重工業
1986/04/24 抹消登録
  三菱重工業飛島工場に展示

撮影1977 大阪国際空港 チャーリーマイク

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番外編   番外編

スイスへ空輸したMU-2F 8783
 
MU-2B HB-LEB c/n009  D-IBUF経由
MU-2B HB-LEA c/n011  D-IBU経由
MU-2F HB-LEC c/n028
MU-2F HB-LED c/n102
MU-2F HB-LEE c/n135 I-SAIF 経由
MU-2G  HB-LEF c/n505

MU-2F HB-LED  鹿児島空港 撮影1968/04/06 永野修一

 04/15チューリッヒ到着後にハノーバーショーとカンヌエアショーに出場し、ピラタス社に引き渡された


MU-2F HB-LEE  鹿児島空港 撮影1968/05/21  永野修一


 
アメリカの民間航空ショーに出場後、ピラタス社に引き渡された


 MU-2G  HB-LEF  撮影1970/04/06  丹羽八十


  当機体はMU-2G型でした。 F型をさらに長胴化したものです。
   脚バルジ(主脚周りの膨らみ部分)が取り付けられています。(編)

 

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