HOME・SITEMAP 日替わりメモ 東京都目次
 
 
 
   
A3601-03 東京都千代田区神田 交通博物館 (2006/05/14閉館)
      Transportation Museum
, Chiyoda-ku, Tokyo Metropolitan
                        
× ノースアメリカンT-6G 52-0062

52-0062の経歴

1955/02/01 航空自衛隊へ引渡 c/n182-? 
1963/08/14 用途廃止
1965 交通博物館へ貸与展示
  千葉県野田市清水公園へ移転

航空情報1965年9月号から

× アンリ ファルマン 撮影2002/11/27 出展:佐伯邦昭

 

返還式の模様 撮影1960/09/18  にがうり

 アンリ ファルマン機は、第二次大戦後アメリカ軍が持ち帰り、1960年(昭和35)に返還されました。時あたかも徳川大尉と日野大尉の初飛行後50年の節目の年にあたり、日本航空50周年として盛大な記念行事が催されましたが、この写真は戦後最大の航空ショウといわれた羽田空港の航空ページェント(9月18日)で披露された際のスナップです。

 向かって右から、返還に尽力した源田實航空幕僚長、50年前に日本初飛行の愛機に対面した徳川好敏氏、インタビュー役をつとめた航空マニアの三遊亭小金馬(現金馬)師匠です(2003記 にがうり)   

× ベル47D-1 JA7008  

ベル47D-1 JA7008の経歴

1952/12/11 c/n624 ロールアウト 
1953/01/09 JA7008登録 日ぺリ 定置場東京国際空港
1953/05/04 小倉で不時着 日本の民間ヘリコプターの初事故
1955/06/21 北海道勇払郡で不時着 大破
1973/09/12 抹消登録
1973/09/20 交通博物館に寄贈展示
2006/05/14 交通博物館閉館
2008/11/30 ANA安全教育センターに展示

 ベル47D-1 JA7007とJA7008は日ペリ航空が設立と同時に輸入した同社のはじめての航空機でした。神田好武さんらが多摩川で外人教官から特訓を受け、1953年2月から日華ゴムの地下足袋の宣伝で東西に分かれて全国をまわりました。空中に止まってビラを撒いたり、街の真中に降りることで人々の喝采をあびたそうです。

 展示機には乗降ドアがついていますが、 特訓時には(緊急脱出のためか)無かったそうで、真冬の吹きさらしでもホバリングのコツをつかむのが難しくて全身汗びっしょりになったと神田さんが書いています。  神田好武著「25,000時間機長の記録 こっくぴっと」1977年航空新聞社刊より

2008/11/30 大田区のANAグループ安全教育センターへ移動

撮影2002/10 にがうり

× 立飛R-HM JA3094

詳細は東京都A3619を参照

撮影1973ごろ  阿施光南 

× 丙型航空灯台 撮影2006/05/08  小規模板工房
1933/11/04 大阪木津川飛行場に設置点灯開始
  交通博物館に展示  2006/05/14閉館
  所沢航空発祥記念館に収蔵






撮影2006/05/11  絵塗師

△ プラット アンド ホィットニィ P&W R-1830エンジン

 

△ その他のエンジン
ベンツ3 水冷6気筒  マイバッハHSLu  イスパノスイザ水冷8気筒
ルローンC型 空冷9気筒 ハ-45 誉 空冷18気筒 コンチネンタル O-170 空冷4気筒
ロールスロイス ダーウエント JO-1(下記) ジェネラルエレクトリックCJ-505-3B
エアリサーチ TPE331-1-151A ハーツエルプロペラ
ライカミング TIO-540-R-2AD
マグダネルダグラスDC-10 ボイーング747-200の車輪タイヤ
JO-1エンジン



  数々の歴史的エンジンの中からJO-1エンジンを選んで手持資料でまとめておきます。

 1953(昭和28)年7月に富士重、石川島重工、新三菱の3社が共同で設立し、のちに富士精密と川崎航空機が加わった日本ジェットエンジン株式会社がジェット・エンジンを開発し、1955(昭和30)年11月10日に一般公開しました。[日本航空協会編日本航空史年表より]

 その記念すべき戦後日本最初の国産ジェット・エンジンがJO-1(推力1000kg)です。

 そしてJO-1の発展実用型がJ-3-1(推力1200kg)となり、1956(昭和31)年8月に試運転開始となりますが、なにしろその後が長すぎて富士T-1機体完成に間に合わなかったことは有名な話しです。

 そのためT−1初号機の1958(昭和33)年1月の初飛行時は英国のブリストル・オーフェースMk805(推力1815kg)を装着していました。この機種をT1F2と呼び現在はT1Aです。(生産46機、うち2機がJ-3に換装してT-1Bとなる)

 その後J-3-1J-3-3(推力1200kg)となりT-1(初号機)に装着された初飛行は1960(昭和35)年5月です。この機種をT1F1と呼び現在はT-1Bです。(生産20機 A型からの転換2機 合計22機)

 そしてJ−3エンジン生産はIHIに移管され更に発展型のJ3-IHI-7(推力1400kg)が現在のT-1Bについています。それでもT-1Aのオーフェース・エンジンより推力は小さいので速度はマッハ0.8→0.78に落ちます。もっとも燃費は当然良いという利点があります。
                                         (2003/03/17記 にがうり)

航空情報1954年10月号 国内ニュースより