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航空歴史館技術ノート

  

 

冷静沈着な判断による不時着水

 

 

T-33A  5338号機 Ditching 顛末

                                                             山脇利雄

 

1 事故の状況

 1959年2月19日午前7時30分頃、訓練のため学生同乗で築城基地を1番機で離陸、ウェザーチェックを行いましたが、シーリングが低く(8001000フィート)、ローカルトレーニングには適さないと判断して、フライトコールオフを進言。高度700フィートで飛行中突然激しい振動と共に火災の警報灯が点灯しました。
 振動が激しく計器の針も大きく振れていて判読不能であった為、エマージェンシーをコールしてエンジンを停止して滑走路への進入を試みました。管制塔からはどちらの方向からでも着陸
OKとの指示がありましたが、離陸態勢にあった多くの訓練機がランプに帰るためランウエイ上をタクシーしていたので、着陸を諦めざるを得ず、海に向かって直進しディッチングすることにしました。
 ベイルアウトも考えたのですが、当時のパラシュートにはゼロ秒フックが無く最低脱出高度を切っていました。結果として、そのまま直進して築城基地沖約
6Kmに不時着水しました。

1959/03/19 第3操縦学校 築城飛行場沖に不時着水

航空情報1959年4月号事故ニュース


 


2 その際に役に立ったこと2点

2-1 
 一つは、約
1年半前に同じ様なエンジントラブルで緊急着陸をしようとしていたT-3371-5284 下記ニュース参照)が、ファイナルでエンジンが停止してしまい着水したのですが、脚が出ていたためもんどり打ってしまい、2名が犠牲になったのを思い出して、滑走路に着陸するつもりで下げていた脚を上げたこと。

1957/09/30 臨時築城派遣隊 築城飛行場沖に不時着水大破

航空情報1957年11月号

2-2
 もう一つは、数週間前に見たニュース映画で、アメリカの空母に配属されたパンサーだったか?が着艦に失敗して海上に転落したが、キャノピーが開かず中で叩きながら沈んでゆく場面が頭に浮かんで、着水寸前でキャノピーを開いたこと。

 あとは、両足を計器板に上げて踏ん張って(海は広いラダーは要らん!) 両手で操縦桿を握り着水の衝撃に備え、対象物のない水面での引き起こしのタイミングに全神経を集中させて着水に成功しました。


 

3 脱出後 

 海上に脱出した後にもいろいろあったのですが、話が長くなるので写真だけにとどめておきます。


 

4 エンジン停止の原因

 着水地点の深水が比較的浅かったので、機体を回収して調査したところエンジンの第4ベアリング(スラストベアリング)が外れて、タービンがすりこぎ運動をしてしまい、数枚のタービンブレードが胴体を突き破っていました。

 原因はベアリングの取り付けが規定のトルクで締め付けられていなかった、と聞かされました。(T-33全機飛行停止して検査したところ20数機が同じ状態に置かれていたことが判明したそうです)




 


(注) 山脇利雄 さんは、航空自衛隊操縦学校1期生で、築城で4年間教官を務めた後退官し、伊藤忠航空において全日空パイロットの訓練や、ビーチクラフトやYS-11のフェリーパイロットとして活躍されました。

参考 事故前の81-5338