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航空歴史館

 

自衛隊のノースアメリカンT-6/SNJテキサンの歴史

2-1 各形式の概要、マーキング、各基地のT-6風景など 

    各形式の概要
  航空自衛隊機マーキング
  各基地のT-6/SNJ風景
   米軍が交付した免許状2通
  P&W R1340エンジン
   コックピット内部
  1955年に航空情報記者が解剖した航空自衛隊のT-6Gイン
  FUSELAGE LIFT TUBE (胴体持ち上げ用チューブ)について

 
 

 

各形式の概要 航空情報1959年10月号橋本喜久男画伯の三面図に加筆 あくまでイメージです

航空自衛隊 T-6Dタイプ

航空自衛隊 T-6Fタイプ



ADFループアンテナが操縦席後部に入った。

航空自衛隊 T-6Gタイプ 



ADFループアンテナが再び外へ出た。缶タイプ。尾灯が安定板中央から尾端に移動した。

 

海上自衛隊 SNJ-5タイプ

海上自衛隊 SNJ-6タイプ (操縦席後方のADFドームは、付けていない機体の方が多い)

 

日替わりメモ2013/05/03

 こうして集めてみると、海自のSNJ-5とSNJ-6の見分け方がいまだに定まっていないことがよく分る写真も出てきます。例えば、-5型とされている6210の同じ鹿屋航空隊時代の写真でも背中のアンテナが異なります。


 いろいろとテストをしていたのだろうと想像されますが、それがアメリカからの押し付け供与機時代の宿命でもあった訳ですね。日本側から仕様を統一して渡してくれなどとは、とても要求できる雰囲気ではなかったでしょうから。

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航空自衛隊機マーキング 下郷資料から     マーク
 

第2操縦学校  松島


第2操縦学校第1分校 矢の目 



第2操縦学校第2分校 静浜


第2操縦学校第2分校→第15飛行教育団  静浜


各基地救難隊

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各基地のT-6/SNJ風景    

松島基地での操縦訓練

 石川貫之二等空佐に航空自衛隊操縦教官の免許状 (賞状?) 1954年11月30日付け

入間基地修武台記念館に保管 撮影平塚 滋

 平塚 勝三等空尉に対するT-6操縦過程の免許状 1955年11月23日付け

入間基地修武台記念館に保管 撮影平塚 滋


1954年11月30日 火曜日  航空自衛隊松島派遣隊第1期卒業式の模様

航空ファン1955年1月号(掲載許可済み)


卒業式   米軍基地内で米軍から教育を受けたことを如実に示す会場風景 両国国旗など


この写真で見る限り、航空自衛隊で初のウイングマークを授与された隊員は12名と思われる


日の丸を描いているが、米軍ナンバー機の中に既に航空自衛隊制式ナンバーを付けた機体がある

記念飛行に離陸


編隊飛行
派遣隊隊長岩城邦広一等空佐がT-33Aで飛んだ模様




浜松から来ていたと思われるT-34A 41-0307が初めに付けて
いたH-1107ナンバーの珍しい姿


 

米空軍駐留部隊のF-86F戦闘機

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1955年2月 海上自衛隊館山航空基地

1955年2月2日 館山航空基地で行われた12機の授与式の前後の撮影 同基地史料館に展示


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航空自衛隊第1操縦学校第2分校時代 矢の目基地  

撮影1958年 大野芳希

撮影1958年 戸田保紀

T-6のリンクトレーナー

矢の目基地の格納庫

 

臨時松島派遣隊時代(第3、第4航空団と同居)

航空情報1958年8月号


第13飛行教育団時代 宇都宮基地

撮影1959年7月 戸田保紀  

一緒に見学した仲間たち

静浜基地 航空情報1959年5月号

 

静浜基地の第15飛行教育団で最後の訓練生を送り出した後調布飛行場に移動

撮影1964/06/21 村越賢司  A3634-7参照

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目 次

1  何しろ古い!

2  T-6Gとはどんな機体か?

3  T-6Gの飛行特性は?

4  T-6G使用は日本のマイナス?

1  何しろ古い !

 何しろ”古い”の一語に尽きる機体である。物持ちのよい英国でさえあまりのガタと燃料の大食いなのに呆れて、使用を全面的に止めてしまった。古いはずで本機がNA-16という名で現れたのは1934年であるから、読者のうちにはT-6練習機と共に生まれた方やそれより若い方も相当多いだろう。

 NA-16型は基本戦闘練習機として生まれ、当時の米陸軍航空隊は直ちに本機を採用し、BC-1型と称された。NA-16は設計開始後9週間で完成したと言われる。のちに基本戦闘練習機の呼称は廃され、AT-6と呼ばれるようになり、米空軍の独立により単にT-6と呼ばれる。また海軍名称は良く知られるとおりSNJである。

 T-6G”テキサン”はT-6シリーズの第7番目の型で、1940年に第1号機ができた。機体設計は当時としては斬新なもので、練習機としての水準をはるかに上回るものであったに相違ない。全金属製低翼単葉引込脚は今日から見れば当たり前かも知れないが、20余年前の設計としては大したものである。しかも、550馬力の空冷発動機が付き、翼幅も13m近くもある。明らかに最初の設計目標は実用機として充分に使用し得るものであった。最近の例では朝鮮戦争にも爆弾を抱いて参加した例がある。

 2  T-6Gとはどんな機体か?

 T-6Gは”メンター”の倍近くもある大型機で、550馬力空冷発動機(P&W R-1340-AN-1)を装備しているため、機首が恐ろしくずんぐりと大きい。翼幅は12.8mで引込脚のところで内翼と外翼にはっきり分かれている。機体構造は長年の激しい使用に耐えてきただけあって、堅牢そのもので充分な強度が持たされている。

 それだけに機体重量のみで2トン近くあり、”メンター”の倍以上である。 翼内燃料タンクは530リッター入りで、燃料系統は古い飛行機だけに非常に簡単である。即ち操縦席左下方にある手動燃料ポンプで始動し、後に発動機に送られるもので、その直後にあるセレクター レバーで左右燃料タンクの切り替えを行う。これらハンドルやレバーは燃料計と共に前部席にあるが、後席からも判読や操作が可能である。

 

T-6

T-34A

T-6/T-34

全幅

12.8m

10.0m

1.28倍

全長

8.86m

7.88m

1.12倍

自重

1939kg

984kg

1.97倍

全備重量

2722kg

1317kg

2.06倍

 油圧系統も簡潔なもので、フラップ及び降着装置の引込、引出しは油圧で行われる。ブレーキも同様で、操縦席のハンドル操作で行われる。

 座席配置はタンデム式であるが、計器盤のレイアウトは大体前後同じであるから、いずれの席でも同一操作が可能である。ただし、単独飛行は前部席で行わねばならない。電氣装置には、機内電話、VHF指令無線機、ラジオ コンパス、戦闘用機内電話、マーカー ビーコン等があり、練習機として一応充分な設備が備えられている。

3  T-6Gの飛行特性は?

 T-6Gは15,000機以上も製作されたT-6シリーズの後期型であるだけに、誰もが安定性と操縦性の良い点は一応認めている。しかしとにかく古いので全部そのような状態にあるとは言えないが、失速時の昇降舵の効きは優れており、回復が早いという定評がある。

 だが今日の水準からみて、耐久能力の点で古さを感じさせる。即ちT-6Gの制限荷重は今日の常識である6Gを下回り、5.67Gである。詳記すれば仮に時速160kmで2Gの旋回をすれば失速を起し、240km/hでは4.4Gで失速状態となる。T-6Gの制限降下速度は386km/hである。

 T-6Gの滑走距離は全備重量2,722kg、無風状態で335mが標準で15mまでが554mとなっている。しかし実際にはもう少し長くなるのが普通で、特に航空自衛隊基地の滑走路の状態が悪いので、延びている のが現状である。無風時の着陸距離は全備重量2,040sで183mとされており、15m高さから396mである。

4  T-6G使用は日本のマイナス?

 T-6Gは大体以上のような練習機であるが、日本の空に多数の本機が飛ぶようになった今日、冷静に考えてみるといろいろな問題がある。
 先ず第一に、おおきな図体と大きな発動機を持つT-6Gが、日本の国情に適さないのではないかということである。燃料消費が大きいことは、これからジェット機を飛ばせるに当たっても大きな問題となろうが、性能的に見ても大して.取り柄の無い本機が莫大な燃料を食うというのは、目下訓練が最大の使命であると同時に由々しき問題であろう。

 次に本機が相当古くなっているのも安全と人命保護の上から、きわめて重大事である。どんなものでも同じだが、大体機械は古いものほど整備や維持に金がかかるものである。貸与機にはいずれも古いガラクタが多いようだが、いざオーバーホールの時になってみると、自衛隊幹部は見積もりを取り寄せてみて目を廻すだろう。また、それだけ我々の税金が高くなり、結局アメリカへ流れていくわけである。

 最も心配なのは”タダより高いものは無い”ということで、T-6Gのように捨てても惜しくないような練習機をもったいをつけて貸して貰い、いろいろ義務を押し付けられるのは、如何にも馬鹿馬鹿しい。妙な約束をせずに借りるものは借り、貰うべきものは貰って時を稼ぎ、自力空軍を作り上げるのが最も賢明な金のかからぬ方法だといえよう。

 T-6Gの話しが妙な方向に脱線したが、要するに本機は15000機以上も作られ、一応飛んではいるが、そう長く使用すべき機体ではないというのが固い見方である。

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EG

P&W  R1340エンジン

P&W R1340 WASP

名鉄.犬山ラインパーク展示52-0100のエンジン銘板 撮影1966/03/17 服部公清


日本航空学園千歳校 撮影2009/08/10 MAVERIC

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Cockpit

 コックピット内部

埼玉県 所沢航空発祥記念館本館   T-6G 52-0099

とても状態が良く上から内部が見えましたのでコックピット周りを中心に紹介します。

 撮影2024/10/27  イガテック  前席計器盤  


 撮影2024/10/27  イガテック  前席計器盤 T-6G FLIGHT MANUAL(1953/6/30改訂版より) 


 撮影2024/10/27  イガテック  前席計器盤 斜め右側


 撮影2024/10/27  イガテック  前席右側


 撮影2024/10/27  イガテック  前席計器盤 T-6G FLIGHT MANUAL(1953/6/30改訂版より) 


 撮影2024/10/27  イガテック  機体銘板拡大 


 撮影2024/10/27  イガテック  前席計器盤斜め左前 


 撮影2024/10/27  イガテック  前席左側 


 撮影2024/10/27  イガテック  前席計器盤 T-6G FLIGHT MANUAL(1953/6/30改訂版より) 


 撮影2024/10/27  イガテック  前席足元 ラダーペダルの間にスターターペダルがある
 





 撮影2024/10/27  イガテック  後席計器盤 



 撮影2024/10/27  イガテック  後席右側   床板は足を置くところにしかないですね。


 撮影2024/10/27  イガテック  後席左側 


 撮影2024/10/27  イガテック  後席側キャノピー 


 撮影2024/10/27  イガテック  後席後方 



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TUBE

FUSELAGE LIFT TUBE(胴体持ち上げ用チューブ)について


FUSELAGE LIFT TUBE(胴体持ち上げ用チューブ)について  

 テキサンの胴体に貫通する孔、これは一体何のために開けられているのでしょうか。写真は所沢航空発祥記念館52-0099の例 

        

 

山内秀樹さんから

 お尋ねの「孔」ですが、T-6Gの米軍マニュアル(下記)によりますと、孔そのものは
<FUSELAGE LIFT TUBE (
胴体持ち上げ用チューブ)
 
 その中に通すパイプを
<LIFT-MOORE TUBE (
持ち上げ・繋留用チューブ)
 
と表記されております。

 この孔にパーツ番号<E-20 LIFT-MOORE TUBE>を通し、その両端(すなわち胴体尾部左右側面)に吊り上げ用のワイアーを取り付け、尾部を吊り上げます。そのままワイアーを通して吊り上げるのではありません。

 このE-20が無い場合、代わりに直径1インチの鉄棒を通して、それに金具を取り付けて吊り上げても構いません。

 左右内翼上面の所定のねじ穴にパーツ番号<E-700 HOISTING RING(吊り上げ用輪環)にフックでつないだワイアーと上記の2本のワイアー、つまり合計4本のワイアーをパーツ番号<E-25>というスリング金具を介して完成機全体をクレーンで吊りあげることができます。

 また、地上に繋留する際には、この孔にワイアを通しその先端を地面に打ち込んだアンカーに結んで止めます。アンカーの位置はこの穴の直下から左右に3ft、後方に3ftの地点がマニュアルに図示されています。

 AN-01FFA-2/10MAR50/24MAY56, HANDBOOK MAINTENANCE INSTRUCTIONS USAF SERIES T-6G & LT-6G

 AN-01FFA-4/02MAY50/29JUN62, TECHNICAL MANUAL ILLUSTRATED PARTS BREAKDOWN USAF SERIES T-6G & LT-6G

 

佐伯から

 ありがとうございました。孔に、まずパイプを差し込んでからワイアーを通して吊り上げたり、地面に固定したりするのですね。写真は小月航空基地A6501-1で修理中のSNJ。

以下伝説の時代から現代まで航空史抜き書き 技術編 参照

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