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航空歴史館

自衛隊のノースアメリカンT-6/SNJテキサンの歴史

2-5 映画Tora! Tora! Tora!で九七艦攻と零戦に変身したテキサン

 

記事と写真

門上俊夫 佐伯邦昭

写         真

geta−o 下郷松郎 F-CK-1 HAYAKAWA  

追加   

調布飛行場での改造作業写真

追加   映画Tora! Tora! Tora! 赤城オープンセットの模型

追加   

撮影終了後の九七式艦上攻撃機 厚木と岩国

追加    エドワーズ空軍基地のエアショーに出たトラトラトラの生き残り

追加   

テキサス州ヒューストン エリントン飛行場のエアショーにて

 

 佐

シリアルナンバー

  形 式

自衛隊用途廃止日

  改 造

空自 52-0028

T-6G-NH

68-10-23

零戦に改造

空自 52-0035

T-6G-NH

68-10-23

零戦に改造

空自 52-0058

T-6G-NH

68-10-23

零戦に改造

空自 52-0117

T-6G-NH

68-10-23

零戦に改造

空自 72-0137

T-6G-NH

68-10-23

零戦に改造

空自 72-0151

T-6G-NH

68-10-22

97艦攻 N6520に改造 

空自 72-0159

T-6G-NH

68-10-22

97艦攻 N6524に改造

空自 72-0164

T-6G-NH

68-10-22

97艦攻 N6529に改造

空自 72-0165

T-6G-NH

68-10-22

97艦攻 N6526に改造

空自 72-0168

T-6G-NH

68-10-22

97艦攻 N6522に改造

海自 6163

SNJ-5

68-10-22

零戦に改造

海自 6166

SNJ-5

59-01-14

零戦に改造

海自 6176

SNJ-5

68-10-22

零戦に改造

海自 6183

SNJ-6

68-10-22

零戦に改造

海自 6212

SNJ-5

68-10-22

零戦に改造

伯 邦昭 様 

1968(昭和)43年11月17日のこと
 

 この日、旧大分空港内をブラブラしていた時、関汽エアラインズの格納庫を覗いてみて驚いた。自衛隊が使っていた、黄色のT-6/SNJ が10機も並んでいたのだ。
 外翼や水平尾翼は取り外されて別々に置かれていた。 何事が起こったのか考える余裕も無く、手当たり次第に見て廻った 。

 航空自衛隊 T-6G 52-0028、52-0035、52-0058、52-0117、52-0137  5機
 海上自衛隊 SNJ-5 6163、6176、6183(SNJ-6)、6166、6212       5機










 この時、意外だったのほ、SNJの胴体尾部構造にべニヤ板が使われていたことだ。当時、アメリカでもジュラルミン は不足気味だったのだろう。 

 6163と 6166に「航第140号改修済」と小さく書いてあった。 これらの機体が、20世紀フォックスの撮影用だというのは後になって知った。一旦、日本側からアメリカに返還され、さらに、映画会社に払い下げられたという。

 


 関汽エアラインズとは、昭和38年ごろ関西汽船が出資して、別府・阿蘇・熊本間を運行する大型ヘリコプターによる日本最初の定期航空路を開設した会社で、大分空港にVlO7が2機入る格納庫を建設した。


 しかし、乗客率は予想を大きく下回り、1年くらいで運航を停止して、当時、格納庫は空っぽになっていた。
 
 映画の撮影場所は、福岡県芦屋町の海岸に作られた航空母艦「赤城」のセットであり、比較
的近距離に大きな建物が空いていたので、改装作業の場に選ばれたのだろう。

昭和44年2月1日

 1月末の地元紙に、映画用の小型プロペラ機が大分空港に着陸したと報じられた。          
 次の週末に見に行った。 ほぼ全体をダークグリーンに塗り、白線の大きな日の丸を描いた一見して九七式艦上攻撃機と思える機体が5機、格納庫前に並んでいた。風防のカバーにくくりつけられたビニールシートが、強い北風に吹かれてグルグル舞っていた。




 アメリカ籍を示す登録番号 N6520 N6522 N6524 N6526 N6529が垂直尾翼と右翼上面に白文字で、左翼下面に黒文字で書いてあった。 なぜか6529のみ左右の主翼の書き方が逆であった。
 これらの機体については、航空情報誌(昭和44年3月号)に詳しく載っている。

 それによると、やはり、自衛隊で使用したT-6を改装したもので、伊藤忠航空整備が改造を受注して、作業は調布飛行場の航空開発社が行った。
 主な改造箇所は、機首部分を約50cm、主翼の後方胴体を約2m 延ばして尾翼は、BT-13のものと取り替える。 中央翼の前縁を外翼に合わせて直線にする。 後縁にフィレットをつけ、丸い主翼端をつける。 風防は完全に作り直して低く少し長くする。 その他の箇所も、極力それらしく整形する。

その調布飛行場での改造作業    調布

T-6G 72-0151 → N6520 撮影1968 geta-o


T-6G 72-0165 → N6526 撮影1968 geta-o


T-6G 72-0168 → N6522 撮影1968 geta-o


T-6G 72-0168→N6522 撮影1969 geta-o


撮影1969/01/04 下郷松郎

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 もはや、T-6とは似ても似つかぬスマートな形で、立派に九七式艦上攻撃機となっていた。

T-6B5 N6526  (T-6G 72-0165)

     

T-6B5 N6524  (T-6G 72-0159)


T-6B5 N6529  (T-6G 72-0164)


他に T-6B5 N6520  (T-6G 72-0151) 
    T-6B5 N6521  (T-6G 72-0168) 


 その後このうちの一機は 垂直尾翼が編隊長機を示す赤と黄色の縞模様に、別のもう一機は、全身を銀色に塗塗りなおされていた。

垂直尾翼が赤と黄色の縞模様機   編隊長淵田三津男中佐機のつもりか
トラ トラ トラ(我奇襲二成功セリ)の暗号電文は淵田中佐が発信した

全銀色機


 後の3機は垂直尾翼がライトグレー色になった。もちろん全機ともNナンバーは塗り消されてい
た。





 

エキストラ機

 格納庫の中にあった機体は、映画では飛行甲板の後ろに並べられてエキストラの役回りをするものだった。 このうち7機は九七艦上攻撃機としてプロペラを三枚とし、風防の下部こ板を張り付けて、胴体と同じ塗装をして低く長く見せていた。
 車輪格納部の内側にK−1からK-7までの番号を書いていた。 あとの3機は零戦型として3枚プロペラに、全身を銀色に塗装されていた。


なかでも、72−0175は風防も零戦になっていて、方向舵の下部を尖らしていた。

 3月ころには、エキストラ機は次々にトレーラーに積み込まれて芦屋の撮影場所こ運ばれていった 。

 
          1969/02/09付け  大分版
          

 そして、撮影が始まったようで、T-6B5の動きが始まり、2・3機の姿が見えなかったり、5機
とも飛んでいったりしていた。  4月13日に3機が駐機しているのを見たのが最後で、その後は大分飛行場も元の静かな飛行場に戻った。

 撮影後のこれらの機体はどこにどうなったのだろうか。 気になっている。

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Tora! Tora! Tora!の一場面から

航空情報1976年5月号臨時増刊 ヒコーキ映画大全集より

 中の雷撃機がT-6B5の改造九七艦攻で、 九九式艦爆2機は米国内のBT-13を塗装したもの。

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映画Tora! Tora! Tora! 赤城オープンセットの模型 製作Mighty O   赤城



出展

参照 https://blogs.yahoo.co.jp/hideoakagikaga/43272441.html 

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映画撮影後の九七式艦上攻撃機      

厚木飛行場 

 芦屋での撮影終了後、厚木に飛来したものと思われます。

撮影1969/05/05 HAYAKAWA


1969年厚木三軍統合記念日 撮影1969/05/05 高田和彦


岩国基地

 同じく芦屋での撮影終了後、岩国に飛来したものと思われます。

1969年岩国基地三軍統合記念日 撮影1969/05/05 佐伯邦昭 




厚木飛行場

 5機の改造九七艦攻は、厚木飛行場に集められ、ここで解体処分されたものと思われます。

厚木航空施設 プロペラと水平尾翼がはずされている  撮影1970/02/07 HAYAKAWA 

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2005/10 エドワーズ空軍基地のエアショーに出たトラトラトラの生き残り 撮影F-CK-1  エド





2018/11/04  CAF

 テキサス州ヒューストンのエリントン飛行場で毎年開催されるCAF(Comemorative Air Force)が主体の民間エアショーにて

撮影2018/10/21 WetWing





日替わりメモ2012/12/08

〇 今日は大東亜戦争開戦71年目‥‥

 大東亜戦争開戦28年後の1969年、
  ・ 九州の芦屋基地で
  ・ 京都の東映と松竹の撮影所で
  ・ 大阪の国際見本市二号館で
   ・ ハワイ フオード島の湾内とヒッカム飛行場 ホイーラー飛行場で
   ・ そしてハリウッドの撮影所で
 20世紀フォックスが巨費を投じた映画の撮影 ・ 合成 ・ 編集が行われました。

  その名は Tora! Tora! Tora! 。

 日本の航空自衛隊から米国に返還されたT-6Gの中から5機が調布飛行場で九七式艦攻に改造され、更に空自T-6Gの5機と海自SNJの5機が、旧大分空港の関汽エアラインズの格納庫で零式艦上戦闘機に変身しました。

・  コンピューターグラフィックスの知識も無かった時代において、ミニチュアの特撮に飽き足らない制作者は何とかして本物の飛行機を集めて飛ばしたいと願ったでしょう。
 その中で、20世紀フォックスのザナック社長は桁違いの構想を実現しました。世界中からカーチスP-40やカタリナなど30年前の米軍機を集めまくり、米本土において、AT-6から零戦と九七艦攻を造り、BT-3を九九式艦爆に仕立てて可動機30機、地上撮影機45機をハワイに持ち込み、日本では上記芦屋の15機で撮影させたのでした。

 その前に制作されたBattle of Britainにも多くの実機が登場しましたが、使える部分を活用した同一機体が多く、用途廃止機を別の飛行機に造り替えて飛ばすようなことはしていませんでした。その点で、日本海軍機を忠実に再現しようとしたTora! Tora! Tora! は空前絶後の映画です。

・  真珠湾奇襲作戦については、ルーズベルト大統領はそれを知っていて敢えて日本を戦争に巻き込むために利用したという説が有力でありますし、また、南雲中将が第3波攻撃の進言を容れずに作戦を終えたことへの賛否両論、ハワイの米軍指揮官の怠慢説など、後世の評価はいろいろであります。

 しかし、この映画は、現れた事実だけを克明かつ最大限に描写しようとしたもののようです。米国映画において、12月8日に至る日本とアメリカの実情や当日の戦闘場面を日本の映画監督まで起用して客観的に描こうとしたものは、後に作られた映画パールハーバーの不評もあり Tora! Tora! Tora! をおいて他にないと私は思っています。

・  大東亜戦争勃発71年目の今日、対日戦を仕掛けて沖縄を分捕り、日本を属国にしようという中華人民共和国(中国)の暴走軍人がシーチンピン主席をけし掛けているかもしれない折から、67年に及んだ平和日本の眠りからそろそろ覚めてもいいのではないかと考え、 Tora! Tora! Tora! を特集した次第です。

 

日替わりメモ 2013/11/14

〇 映画Tora! Tora! Tora!で九七艦攻に変身したT-6のその後

 トラトラトラでNナンバーの九七艦攻に変身したT-6のその後をアップしました。1969年の2月から4月にかけて福岡県芦屋で撮影され、そのうちの2機が5月の厚木と岩国の米三軍統合記念日に展示された後に、全機が厚木に集められ、翌1970年2月撮影の写真ではプロペラと水平尾翼がはずされた姿で5機が写っています。間もなくそこで解体処分されたのであろうことを思わせます。

 ただ、映画撮影時には、尾部にNナンバーが明瞭に書かれてありましたが、岩国でも厚木でもそれが無い(或いは見えない)のが不思議で、大分空港からの飛行許可をどうやってとったのか、陸上輸送だったのか、また、T-6からの改造を手掛けた調布飛行場でなく厚木で処分されたのは何故か、他の零戦への改造機はどこで消えたのか、などなどたくさんの疑問が残ります。

 映画はディスクで残り、アメリカではT-6改の零戦がまだ飛んでいるようですが、日本にも飛べなくてもいいから1機くらいは残してほしかったなあと思いながら編集しました。まあ、これをきっかけに撮影後の情報がもっと出てくることを期待しておきましょう。なおCHECKER TAIL BBSにお世話になりました。お礼を申し上げます。


・ そもそも、この映画はメリーランド大学のゴードン ブランゲ教授の著作を映画化したものです。歴史学専攻の教授が20年間にわたって日米の関係者に数千回もインタビューを行うという徹底的な史資料蒐集の成果がエッセンスとして映画にまとめられたと言えるでしょう。その原書を元海軍中佐千早正隆氏が翻訳して、リーダーズダイジェスト社から日本版Wトラ トラ トラ 真珠湾奇襲秘話”が出版されて今年は47年になります。映画が公開されてからは45年になりました。パールハーバーものにおいて、この本と映画を超える作品はこれからも現れることはないでしょう。


 

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