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図書室 38 掲載08/01/27
追加13/08/23

1 歴史の証言 航空法立案の思い出

航空と文化 第96号から

2 製造と運行の分離は官僚の権限争いに始まる

航空情報1952年4月号から

評者 佐伯邦昭

1 歴史の証言 航空法立案の思い出

 書  名 航空と文化 第96号 2008年新春号

 発  行 2008年1月15日 財団法人日本航空協会
     
 価  格 定期購読料(4冊分)2100円

 注目記事 歴史の証言 航空法立案の思い出

◎ 歴史の証言 航空法立案の思い出

  

 赤坂離宮のシャンデリアの下で仕事というのも当時の関係者にとって忘れられない経験でしょうが、そんなことよりも運輸省が法制局(赤坂離宮は仮庁舎)へ初めから終りまで出向いて、法制局主導のもとに新航空法を立案したという事実が歴史傍証としてたいへん重要です。  

 各省には官房文書課というものがあり、それは官房会計課と並んで出世をめざす官僚達が必ず通る関門です。今でも、法案は文書課が立案して法制局へ持ち込むのが普通ですが、新航空法制定については運輸省の誇り高きエリートといえども歯がたたなかったことがこの証言で明らかになりました。

 それは、航空6年間の空白とその間の世界の航空の非常な進歩を物語っているものともいえます。

 筆者の山口さんは、

   航空法の始動
   航空活動を規制する法体系と航空法が規定する範囲
   新しい概念の導入
   法律と命令への割振り
   運輸省と通産省の権限争議
   飛行場及びその周辺の公用制限

という項目ごとにその事情と作業内容や結論を要領よく回顧しています。全体を読む限りでは、やはり、航空運輸の専門知識だけでは 、航空規制のすべてを1本の法律にまとめるのは不可能であって、 立法技術に長けた人でないと無理なことがよく分かります。

 海上運輸では、何種類かの基本になる法律に別れています。それは戦後の空白が無いので、前の法律を全面的に改正したり部分的に手直しする、あるいは新しい法律を立てて補完するようなことで時代に合わせられたのですが、航空に関しては戦前の法律は殆ど役に立たず、新たに国際民間航空条約(1944年のシカゴ条約)や米国の法令などを研究して、国際的にも通用する全く新しい概念の法律をつくる必要がありました。

 その現われが、航空法を一読すると分かりますが、航空機の構造技術と操縦技術基準、飛行場の技術基準、航空管制の基準、運送事業の基準などおよそ航空に関する規制と罰則のすべてを10の章にまとめてしまうという、恐るべき立法技術です。これは、各分野において難解で複雑な法体系に悩む現場が多い中で、航空界の人々は 1本の法律を読むことですむという利便性を与えられているということであり、感謝しなければならない点ではありませんか。 (後年の運輸官僚も助かっているはずです)

 立案過程で面白いのは、新しい知識との格闘です。

 型式証明や耐空証明もかなり細かく規定されましたが、用語としては一応昔から通用していますし、航空機の構造部品名なども戦前に翻訳されて完全に普及していたのでそう大きく変わるものではありません。しかし、進入区域、進入表面、航空交通管制、有視界飛行状態、計器飛行状態などは戦前の法律が予想もしなかった概念であり、次々に新しい用語を作っていったと山口さんは述べています。

 いわば赤坂離宮用語とでもしておきましょうか。生みの苦労というべきか新語や新定義を日本語化する先覚者としてのうれしさというべきか判断しかねますが、赤坂離宮用語の中で私は決定的に不満な用語がひとつあります。

第2条第19項 この法律において「航空機使用事業」とは、他人の需要に応じ、航空機を使用して有償で旅客又は貨物の運送以外の行為の請負を行う事業をいう。

 この条文は、航空運送事業(ANAやJALの事業)の定義の次にあるものです。「航空機使用事業」と言うならANAやJALだって航空機を使用して行う事業じゃないか、と反論の出る実におかしな用語です。「その他航空事業」の方がよほど分かりやすいです。

 更には、航空機を使用して有償で旅客又は貨物の運送以外の行為の分節をどこで区切るのでしょうか。使用事業でも貨物輸送あり遊覧飛行ありで、つまりは有償の請負をしているのではないですか?非常に分かりにくい条文です。

 ついでにいえば、運送と輸送はどう違うのかしりませんが、航空運送事業も航空輸送事業にしておけばもっと分かりやすかったと思います。山口さん、如何ですか?
 

◎ ひとつの疑問 
 私が、もうひとつ注目するのは、次の赤線部分です。
        

 なぜかというと、新航空法が法律第231号として公布施行された昭和27年7月15日よりも前において、巴式ろ之参型セコンダリーがJA-0005の記号を付けて飛んでいることです。0005があれば0001から0004まである訳で、それは何の根拠により誰が与えたのかが大きな疑問です。G06参照)

 新航空法では、運輸大臣が航空機登録の申請を受け、登録原簿に記載して初めて第三者に対抗しうる航空機になるとしています。つまり、JA記号は昭和27年7月15日以後でないと与えられないはずです。

 当時、占領下の航空保安施設の維持管理のために航空庁という組織はありましたが、そこが登録業務をしていたのでしょうか。「少数のポツダム命令」とありますが、その中に根拠があったのでしょうか。あるいは、昭和27年4月28日まで存在したGHQへ持ち込んでナンバーを貰っていたのでしょうか。

 山口さん、教えてください。

◎ 規則への委任

 最後にもうひとつ新航空法の特徴を紹介しておきます。山口さんは、GHQが細部の規定もできるだけ法律に盛り込む(つまり国会議決事項とする)ように指導していたのが多少緩和されたので、思いきって法案を骨組にしぼり、細部は閣議決定の必要がある政令を飛ばして、大臣権限だけでできる運輸省規則に回したと述懐しています。 これも大きなメリットです。ただし、官僚が悪用しなければの範囲でです。

 私は、かって公営住宅の家賃の大幅値上げをした責任者だったことがあります。その際、ありがたいことに条例が使用料規定を規則(市長権限)委任しているので、条例改正といううるさい手続きを踏まずに済みました。もちろん値上げを盛込んだ予算案の審議では多くの議員から叩かれ続けましたが、他の予算のこともあり結局成立しました。

 本当は、公共料金は条例で定めるのが筋だと認めます。しかし、特定の集団の力で何十年も据え置かれたままの料金を思い切って一般市民の常識にもどす時に、規則制定はまさに伝家の宝刀のようなものでした。それで山口さんの手法に惹かれるものがあるわけです。

 

 さて、まだまだ書き足りませんが、興味ある方は是非記事を読んでいただくことにして、私としては、これを法科で航空に関心のある学生さんにお勧めしたいと思います。極めてユニークな立法技術であり、かつユニークな法体系であることに着目して勉強してみたら、将来役に立つと思うのです。ちなみに 歴史の証言の筆者は当時の法制局の運輸省関係法令の主任参事官でした。 

撮影2017/05/30 国立公文書館 翔べ日本の翼展にて 佐伯邦昭

 

 航空法は、1957年7月31日に公布され、翌8月1日から施行されました。この文書は、内閣の罫紙にタイプされているので、内閣法制局のものと思われます。

 

 

 

 

2 製造と運行の分離は官僚の権限争いに始まる 

 読みづらいコピーで恐縮です。

航空情報1952年4月号から

 対日講和条約発効後の航空再開に備えて航空法を国会に提出すべく、航空法制定審議会で案を審議しアメリカ政府の承認を得たところまでは、運輸官僚の思いどおりでしたが、土壇場で白洲次郎氏が文句をつけます。彼は商工省の幹部を経ているので、その流れを汲む通産省を代弁したのでしょう。そもそも、航空法制定審議会に大蔵や電通省が入っているのに通産が呼ばれていないう点に運輸官僚のたくらみを感じさせます。

 結局、運輸省の航空法とは別個に通産省が航空機製造事業法を制定し現在に至ります。衆議院運輸委員会航空小委員会が参考として聴いた小川太一郎氏(東大、航研)の一本化すべしという熱弁も、白洲次郎を後ろ盾にする通産には通じなかったようです。

 製造行政と運行行政を分ける功罪は種々あろうかと思いますが、メーカーやディーラーからすれば省庁の壁、重複する手続き、時間の無駄など弊害の方が大きく、小川先生が喝破しているように航空省で一本化していれば、日本の航空の在り方は随分変わってきたと思われます。

2013/08/23日替わりメモから転記

〇 製造と運行の分離は官僚の権限争いに始まる

 航研機を作った小川太一郎先生が戦後の国会で航空行政の一本化を熱弁したにもかかわらず、1952年に制定されたのは運輸省主管の航空法と通産省主管の航空機製造事業法の二本立てでした。

 裏面史で言えば運輸官僚の敗北でした! 
 というのは、鐵道も船舶も自動車も運輸省(国交省)ががっちり握っていて、通産省(経産省)は派生的な環境対策程度のことしかやらせてもらえないのに、航空機だけが分離しているからです。

 航空の二つの法律には、許可・認可・報告・届出・検査の義務と罰則があり、付随して税制面や補助金の餌もあります。窓口になる官僚は常においしい思いをさせて貰い、退職後は適当なポストへの天下 りも期待されますから、中心的な法律を他省に取られれば省益の重大な損失という訳です。

 省益の損失で済むなら裏面史の範囲内ですが、国産量産機の殆んどが何らかの問題を抱えている原因の中に、二つの官庁にお百度参りをしなければ型式証明も取れないし、製造にも取り掛かれないという煩雑な構造があり、これは国益にかかります。

 恐らくあり得ないことですが、経産省が省益を捨てる覚悟を決めるならば、日本の航空、特に製造面で活路が開けるのではないでしょうか。

 実は、航空の法律が二本立てになった原因がよく分らなかったのですが、1952年の航空情報国内航空ニュースに「両省の権限争いに発展する空気」とあるのを読んで理解できた次第です。

 航空と文化誌は、航空法の起草過程の証言を発表していますので、続いて航空機製造事業法の起草過程の証言を掲載すべきです。例えば、三菱MRJがもたもたしている遠因などがそれによって浮かび上がってくるはずです。航空協会さん、正しい航空史発掘のために如何ですか?

 

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