私が航空局勤務を始めたのが昭和31年なので、それ以前の事実については、航空雑誌から得た情報しか持ち合わせておりません。
そこで、グライダーの歴史に詳しいと考えられる方(複数)にうかがったところ、以下のような情報を入手できました。
1 航空法は1952(昭和27)年7月15日公布、同施行規則は7月31日施行なので、法的には8月以降でないと正式な登録記号を持ち耐空証明を取得している航空機は存在しないはず。しかしながら、以下のようないくつかの事実から、航空法発効以前の準備段階で、JA記号が付与され、飛行もしていたようです。
(1) 1952(昭和27)年4月28日の講和条約発行後、宮城前でJA0047(?)を付けた02式P1型プライマリーが祝賀飛行を行った。
(2) 1952(昭和27)年4月30日、多摩川スピードウェイでJA2001霧ヶ峰式鷹7型が公開飛行を行った。
(3) 1952(昭和27)年5月3日、清水市三保でJA-0047伊藤式A−2型プライマリーが飛行した。
(4) 1952(昭和27)年6月現在、広島では広島グライダークラブ代表、小田勇氏が中心となって活動していたが、機体は計画中の状態であった。(後に中国醸造号として所有することになる巴式ろ之参型セコンダリーJA-0005
が6月15日に小月基地で初飛行している)
世界の翼1953年版
また、津山では津山グライダークラブ代表、山本勲氏が制作中の状態であった。
(5) 三保式101型や六甲式2型などはJA記号を付けて飛行しているが、何らかの理由で登録されていない。
2 戦後から講和条約締結までの間の飛行例(多くは不法な飛行)
(1) 昭和20年9月、神奈川県の大和学園(女学校)で日本式鳩型プライマリーが校庭を飛行した。
(2) 千葉で霧ヶ峰式又は日本式鳩型プライマリーが飛行
(3) 長野や静岡でも、早くからグライダーが作られたが、飛行したか否かは不明
以上ですが、更に追加情報が得られたら連絡します。