毎回、筆者独特の深い歴史観で語られる碑(いしぶみ)の紹介ですが、今号については、私自身、広島県倉橋島の米空軍勇士之碑を尋ね
て間がないこともあって(ヒコーキマニア人生録・図書室その29)、特に感銘を受けました。
川畑良二さんは、本土での地上戦がなくて航空戦だけで敗戦に至った非常に特異な太平洋戦争について分析し、それだけに墜落した敵兵士の慰霊碑が着目されるべきことを、冒頭で解説しています。その上での探訪記ですから私の平板な紹介など足元にも及ばない迫力があります。
筆者の調査によると、太平洋戦争中に日本本土で墜落死した米軍飛行士の慰霊碑は20箇所に及びます。戦時中のあれほど鬼畜米英と憎悪を募らせる軍部の宣伝にもかかわらず、戦後、「死ねば敵味方はなし」と非業な死を遂げた敵兵士の霊を弔う事蹟がこんなにあることに驚きます。
「当時の日本人の心情を思うと信じられません。」という述懐に同感です。
B-29や艦載機による無差別爆撃で都市を焼く尽くされながらも、墜落死した骸を目の当たりにすると、放ってはおけないという、うまく表現できませんが、それは仏心でしょうか。即死状態もあれば、地上で残虐な仕打ちを受けて死亡したものもありましたが、、必ずしも周囲の目が温かいものではない中で、碑を建て、慰霊を続けてきた人々の懐の深さに頭が下がります。
記事は、20箇所のうち8か所を現地に尋ね、道程とともに当時の由来や関係者の消息まで詳しく述べてあります。
調査を終えて残るものは「どうしようもない虚しさ」です。常にお参りを受けているような存在感のある碑もあれば、関係者の高齢化で草木の中に埋没しつつある碑もありますし、既に忘れ去られてしまった碑がほかにもあるでしょう。いずれについても、本来は、このようなものが建立されることのない世の中であってほしいのです。
航空を愛するが故にこそ、こうしたことから目をそむけないようにしたいと思います。
おまけ
財団法人日本航空協会に関連することども
@ 季刊誌航空と文化は、殆どの公立図書館に置いてあると思いますので、尋ねてみてください。
A 上記記事の中でインターネット航空雑誌ヒコーキ雲も紹介されました。