表題の付け方に難点があります。「ぼく」というのは横森さん自身のことです。
3ページにわたって書かれた横森さんの文章は、航空機写真集「私のアルバムから」上下巻ほかAGCアートの写真集を見て、ご自分の過去を追憶し、ライカ判のいわゆる35ミリフイルムの登場やブローニー判のカメラが活躍した時代のヒコーキマニア達が写した写真の感動を蘇らせる回想記です。
ご自分の過去というのは、投稿写真の選考に当たったり、「飛行機写真の写し方」という記事を書いていた航空情報編集部スタッフとして躍動されていた過去です。
佐伯がよく”航空情報に育てられた世代”と言っているように、あの頃は、模型記事が多い航空ファンよりも写真や記録派マニアを大事にしてくれる航空情報のほうに信頼を置きがちで、その中心に関川さんや横森さんがおりました。
関川さんは東洋哲学科卒、横森さんは医学部卒という航空門外から、マニア道を通り越してプロジャーナリストになりました。従ってヒコーキオタクに偏しない人間味がありました。また、その立場から航空雑誌になくてはならない写真術―写真機材に関しても深い知識を得られていたものと思います。
回想記の中で、横森さんが感動をもって取り上げている3種の写真の話しを読むと「感動を与える写真」とはとか機材のことがよく伝わってきます。
取り上げられたご本人が、横森さんがほめているほどの意識をもって写真機を構えていたのかどうかは分りません。新しい機種、新しい部隊、新しいマーキングを求めてのエンド通いの中で、わずかな確率のチャンス以外は、持て余し時間の余禄の写真もあるでしょう。
ただし、当時は貴重なフィルム消費との戦いですから、退屈時のシャッターとはいえ、今とは腰の据え方が違っていたと思いますね。
横森さんはそこのところを強く言いたいのだと思います。一読を勧めます。
蛇 足
3月号は、以前T36取り上げた6年前と違うのは、発行人西尾太郎、編集人品田照義だったのが、発行編集共に西尾太郎さんとなっています。ご苦労さまです。
ただ、ページ数も内容構成も広告までもが大きな変化がありません。定価も6年前と同じ1350円です。
さて、今号は、表紙に大きく特集軍用機の基礎知識と表示し、軍用機の種類や第二次大戦の名戦闘機などを目玉記事にしているみたいです。しかし??です。
この種の単行本があふれかえっている今、月刊誌が主題として取り上げるテーマなのか? どのような層を対象としているのか? 言い分はいろいろあるでしょうが、月刊航空情報とは何かという基本コンセプトが確立していないように感じられるのが残念です。
私が編集長なら、AIR VIEWPOINT 01のエアバストウルーズ工場を視察してのルポをもっと大きな写真で、説明文を十分に書かせて10ページくらいの目玉記事にしますけどね。
反面、第2特集のF-35の開発はどこまで進んだかは、航空情報らしいタイムリーな企画でした。
AIR VIEWPOINTという欄は、時事ニュースを写真で紹介するもののようですが、何を取り上げて何を落としているのかPOINTの基準がさっぱり分りませんので、見て楽しむことはできますが、T36でも書いたように客観性や後世への資料価値という点で相変わらず問題が残ります。
その他、たくさんのライターの記事があって、そのうちに読もうと思っているうちに次号が発売されてしまうことになります。よって、当方も、まだすべてを読んでいませんが、一つだけ個人的な注目をあげておきますと‥‥
「自衛隊機列伝(40)富士LM-1/2、TL-1」 古い写真を19枚集めている中に、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が解明した「陸上幕僚監部付飛行隊Gナンバーの富士LM-1」がありません。玉にキズですね。航空歴史館AH-1965zaを参照してください。
インターネット時代の今日、こういう企画においては、古書だけでなくネットを徹底的に検証しなければならないという教訓でしょう。