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図書室65 掲載11/12/01
追加13/02/02

航空機写真集 私のアルバムから 上巻 下巻

佐伯邦昭

 航空情報2013年3月号で横森周信さんが取り上げた紹介について

航空情報1963年3月号より

 表題の付け方に難点があります。「ぼく」というのは横森さん自身のことです。
 3ページにわたって書かれた横森さんの文章は、航空機写真集「私のアルバムから」上下巻ほかAGCアートの写真集を見て、ご自分の過去を追憶し、ライカ判のいわゆる35ミリフイルムの登場やブローニー判のカメラが活躍した時代のヒコーキマニア達が写した写真の感動を蘇らせる回想記です。

 ご自分の過去というのは、投稿写真の選考に当たったり、「飛行機写真の写し方」という記事を書いていた航空情報編集部スタッフとして躍動されていた過去です。

 佐伯がよく”航空情報に育てられた世代”と言っているように、あの頃は、模型記事が多い航空ファンよりも写真や記録派マニアを大事にしてくれる航空情報のほうに信頼を置きがちで、その中心に関川さんや横森さんがおりました。

 関川さんは東洋哲学科卒、横森さんは医学部卒という航空門外から、マニア道を通り越してプロジャーナリストになりました。従ってヒコーキオタクに偏しない人間味がありました。また、その立場から航空雑誌になくてはならない写真術―写真機材に関しても深い知識を得られていたものと思います。

 回想記の中で、横森さんが感動をもって取り上げている3種の写真の話しを読むと「感動を与える写真」とはとか機材のことがよく伝わってきます。

 取り上げられたご本人が、横森さんがほめているほどの意識をもって写真機を構えていたのかどうかは分りません。新しい機種、新しい部隊、新しいマーキングを求めてのエンド通いの中で、わずかな確率のチャンス以外は、持て余し時間の余禄の写真もあるでしょう。

 ただし、当時は貴重なフィルム消費との戦いですから、退屈時のシャッターとはいえ、今とは腰の据え方が違っていたと思いますね。

 横森さんはそこのところを強く言いたいのだと思います。一読を勧めます。


蛇 足
 
 3月号は、以前T36取り上げた6年前と違うのは、発行人西尾太郎、編集人品田照義だったのが、発行編集共に西尾太郎さんとなっています。ご苦労さまです。

 ただ、ページ数も内容構成も広告までもが大きな変化がありません。定価も6年前と同じ1350円です。

 さて、今号は、表紙に大きく特集軍用機の基礎知識と表示し、軍用機の種類や第二次大戦の名戦闘機などを目玉記事にしているみたいです。しかし??です。

 この種の単行本があふれかえっている今、月刊誌が主題として取り上げるテーマなのか? どのような層を対象としているのか? 言い分はいろいろあるでしょうが、月刊航空情報とは何かという基本コンセプトが確立していないように感じられるのが残念です。

 私が編集長なら、AIR VIEWPOINT 01のエアバストウルーズ工場を視察してのルポをもっと大きな写真で、説明文を十分に書かせて10ページくらいの目玉記事にしますけどね。

 反面、第2特集のF-35の開発はどこまで進んだかは、航空情報らしいタイムリーな企画でした。

 AIR VIEWPOINTという欄は、時事ニュースを写真で紹介するもののようですが、何を取り上げて何を落としているのかPOINTの基準がさっぱり分りませんので、見て楽しむことはできますが、T36でも書いたように客観性や後世への資料価値という点で相変わらず問題が残ります。

 その他、たくさんのライターの記事があって、そのうちに読もうと思っているうちに次号が発売されてしまうことになります。よって、当方も、まだすべてを読んでいませんが、一つだけ個人的な注目をあげておきますと‥‥

 「自衛隊機列伝(40)富士LM-1/2、TL-1」   古い写真を19枚集めている中に、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が解明した「陸上幕僚監部付飛行隊Gナンバーの富士LM-1」がありません。玉にキズですね。航空歴史館AH-1965zaを参照してください。

 インターネット時代の今日、こういう企画においては、古書だけでなくネットを徹底的に検証しなければならないという教訓でしょう。

 

書名 航空機写真集 
     私のアルバムから(上) 1949-1960
      
            Good & Old Wings From My Album
書名 航空機写真集 
     私のアルバムから(下) 1960-1970
      
            Good & Old Wings From My Album

 体裁 B4版 変形 128ページ 

 発行 2011年12月3日 AGCアート

 発行人 赤塚 薫

 定価 3800円(税別) 

 問合せ AGC 赤塚薫 
 b5p1129@hotmail.com
(冒頭にsnを付けてください)
 


 

例によって赤塚さんの冒頭の文句をそのまま載せておきます。

 
  はじめに

                                            赤塚 薫

 国内の飛行場で撮影された写真に興味を持ち、自らも飛行機写真を撮りはじめて半世紀が過ぎた。「ひとは、時折、現在よりも過去に生き、前を見るより過去を振り返って“よい記憶’’を求める」という。その通りだと思う。では、飛行機フアンの‘‘よい記憶’’とはどんなものなのであろうか。
 いわゆる「飛行機好き」と呼ばれる人たちが、過去に体験したさまざま出来事の中で、目の前を離着陸して行く飛行機の迫力に驚愕し、展示された戦闘機の傍らで究極のメカニズムに圧倒された記憶は誰しもが持っているはずである。かくいう私も、羽田空港でレシプロ四発旅客機の強烈な熱風と圧倒的な排気流の洗礼を受けた後、横田や厚木の滑走路の横で戦闘機や攻撃機の迫力にド肝を抜かれ、以来「飛行機の世界」から抜け出せなくなってしまった。こうした記憶が、仝回の「飛行機好き」の人たちと共通する“よい記憶”といえるのではないだろうか。
 写真とは“事実を写す’’だけでなく、‘‘記憶のインデックス”でもある。数十年前に撮影された1枚の写真を見ているだけで、心の中は過去の世界へと旅立ち、純粋一途な気持で飛行機と向き合っていたころの記憶が蘇る。では、そうした記憶の「引き出しを備えている写真」とはどのようなものなのか。それは、自然、建物、乗り物などと、その時代の人々が、被写体である航空機と共に映し出されている写真である。
 今回の出版にあたり、全国のベテラン飛行機写真フアンに声をかけ、昔の写真やネガ、それらを収めた古いアルバムを探していただいた。そのアルバムの中には、‘‘よい記憶”が詰った「引き出し」のある写真が収められていることは想像に難くないからだ。送って下さったアルバムをいざ開いてみると、予想をはるかに超えた貴重な写真が貼られていて、まさに驚きと歓びの連続であった。本のタイトルを「私のアルバムから」としたのは、本書の出版企画にご賛同いただいた方々のアルバムから作られた写真集だからである。
 そのアルバムやネガの中から掲載写真をいざ選び始めると、多くの飛行機フアンにお見せしたいと思う写真が次から次へと現れ、上・下巻に分けなければとても納まらなくなってしまった。従って、上巻を1949年から1960年、下巻を1960年から1966年までに分け、何とか写真提供者の方々の期待に応えられるようにした。
 古くからのファンには、「戦後航空機の黄金時代」とよばれた1950、60年代に体験された“かけがえのない”記憶”に浸っていただき、若いファンには標準レンズ(45mm〜55mm)で撮影された飛行機写真の魅力を感じとっていただければ幸いと思う。
 戦後の飛行機写真黎明期からの写真キャリアを持つ航空ジャーナリストの松崎豊一氏による解説とともに、一枚ずつページを繰りながらじっくりとご覧ください。

・ うらやましいこと

      

  横22センチ、縦12センチの写真が1ページに1葉ずつ印刷されているというとても贅沢な造りであり、そこに松崎さんの簡にして要を得た、しかも飛行機博学ぶりを如何なく発揮した解説が付きます。永らく眠っていたアルバムの中の写真がこうして蘇ったことに、27人の撮影者は感無量でしょうね。

 憚りながら、それはインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の航空歴史館を編集しながら、私が提供者とテレパシーで通じ合っている阿吽の呼吸と同じです。27人の中には、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲に多大の協力をしてくれている人の名がたくさんあります。その人たちの写真を見ながら、佐伯に協力したが故にいい写真がこの本から漏れてしまったと後悔している人がいるのではないかと、同情したりしています。

 電子映像に過ぎないインターネット航空雑誌ヒコーキ雲は、何かの拍子で消滅してしまったり、或いはサイバー攻撃で見えなくなってしまう危険性を常時はらんでいます。だから、書籍にして残したいのはやまやまです。しかし、提供者がそこまで許容しているかどうかの著作権上の問題があるので、DVDにすることすら控えています。

 そんな意味から、赤塚さんが15年間にわたって6冊も写真集を発行し、更にこの本の下巻を準備しているという努力はもちろんですが、諸問題を克服できる協力者が周辺におられることをうらやましく思います。それが”「戦後航空機の黄金時代」とよばれた1950、60年代のベテラン飛行機写真フアン”の底力なのでしょう。

 「アルバムから」と言っても、50年以上も前のプリントは手札判とか名刺判が主流であって、懐の豊かな人がせいぜいキャビネサイズ(約18×13センチ程度)に焼いて貼っていたか、箱に入れて保存していたかでありましょう。ネガにしてもゴミや傷や変色の災難から逃れたものは少ないのではないかと思いますが、これほど鮮明に拡大コピーして印刷した技術は凄いものです。
 

・ 懐かしさを強調

 これまでのAGCの写真集は、在日米海空軍の歴史記録に主体を置き、山内さん流の正確な部隊史や機体改造史に裏付けられた硬派の解説付でした。

 今回は、”郷愁”に重きを置いています。もちろん正確な部隊史や機体改造史や飛行場とその周辺の移り変わりで裏打ちはされているとはいうものの、軟派に近づきましたね。とにかく、このまま眠らせて、いずれは興味のない遺族によってゴミにされてしまうかもしれない文化財を発掘して陽に当てておきたいという発行者の意図がよく伝わってきます。

 そこで、個人的な感想を申し上げますと、27人のそうそうたる”ベテラン飛行機写真フアン”に匹敵し、スクープ写真などをものしたベテランでまだご存命の方もおられますが、そこらのアルバムも発掘して貰いたいことです。AGC(厚木ゴンベイクラブの意味)の立場上、いろいろと問題があるのかもしれませんが、付録に付けてある「オールドファン読本」で触れているTSPC(東京スカイフォトサークル)に一時的にでも名を連ねた方々も老境に入って、柔らかくなっておられるかもしれませんしね。

 もうひとつ、立川、横田偏重のあまり小牧以西の写真が極端に少ないこと、そして民間機が巻末にちょろっとしか出てこないのは、やはりAGCの立場上やむを得ないと思いますので、全国に赤塚旋風が起きて、千歳、名古屋、大阪、岩国等々で、このような立派な書籍を手掛ける人材が生まれてくれることを切に希望します。

 

 体裁 B4版 変形 128ページ 

 発行 2012年8月30日 AGCアート

 発行人 赤塚 薫

 定価 3800円(税別) 

 問合せ AGC 赤塚薫 
 b5p1129@hotmail.com
(冒頭にsnを付けてください)

 

 

例によって赤塚さんの冒頭の文句をそのまま載せておきます。

 
  はじめに

                                                                           
赤塚 薫

 先に出版した「私のアルバムから(上)」は、1949年から1960年にかけての国内の米軍基地で撮影された写真を掲載したが、この時代はカメラが数軒に一台有るかどうかで、写真そのものが少なく、特に地上が写し込まれた写真は地元の郷土史家の資料としても貴重な記録集となった。
 さて、こうした時代を過ごした飛行機好きの少年たちにとって、写真を撮ろうにもカメラは高級すぎて手にすることができなかったが、滑走路の側に身を置くだけで充分すぎるほど当時の飛行場は魅力に満ち溢れていた。早朝から日没まで、目の前に滑り込む最新鋭戦闘機の爆音を体で受け、離着陸する巨大なレシプロ輸送機が巻き起こす熱風と排気の香りに酔いしれる。年に一度、基地の中が公開される三軍統合記念日では、ふだんは遠目でしか見ることができなかった戦闘機のジュラルミンの肌にそっと触れたり、アメリカのコーラの香りと甘さに感動する。このように五感のすべてを心地良くさせてくれたのだから、飛行場で体験したこの“愉しさ’’は、何十年経とうともけっして忘れることができないのである。古くからの飛行機フアンに共通する「良き思い出」と言えるのではないだろうか。
 上巻の掲載写真を1960年までとし、下巻の始まりを同じく60年からと重ねたのは理由がある。それは、「飛行機写真」をとり巻く環境が、この年から大きく変わったからだ。それまで一般の写真家が使えるカメラと言えば、単レンズ固定の35ミリ、6×6判2眼レフ、セミ判(6×4.5)蛇腹式カメラが主であったが、60年以降、歴史的高度経済成長期を迎え、前述の少年たちが青年期を迎えるころには、一眼レフと交換レンズが何とか購入できるようになり、写真表現の幅が大きく広がった。各地の飛行機写真同好会の活動も活発化し、撮影技法や写真現像技術も飛躍的に向上する。マニアの問でいまだに語り継がれる作品が続々と出てきたのがこの頃からなのである。よく使われていたカメラは、ミノルタ SRまたはアサヒペンタックスで、フイルムはネオパンF(ISO32)を現像処理で2倍に増感し、露出1/500秒、f5.6、Y2フィルタ。これが60年代初期の飛行機マニアが、晴天時に撮影する際の平均的データであった。
 なお、上巻で、下巻の撮影年は60年から66年とご案内したが、70年に横田へ一度だけ飛来したF-106をどうしても本書に載せたかったので、内容を“1960〜1970’’と改めた。1960年から70年にかけての10年間は、軍用機、民間機とも新旧あらゆる航空機が日本上空を飛び交っており、日本のヒコーキフアンにとって、まさに“至福の10年’’と言って過言ではないだろう。その時代を自ら飛行場へ足繁く通い、綿密な取材をされた航空ジャーナリストの松崎豊一氏に、上巻に続いて作品解説をお願いした。氏の読み応えのある解説と共に一頁ずつじっくりとご鑑賞ください。

・ 一部紹介

 左の上巻の書き込みから特に変わった感想はありませんので、中身の一部を複写するにとどめます。皆さん自身で内容を感じ取ってもらいましょう。

「それぞれの大晦日」 「立川の子供たち」 ほか立川関連 20葉


「猛煙」 「」RB-47H」 ほか横田関連 28葉


「Komaki Air Base」 「韓国空軍のセイバードッグ」 ほか小牧関連 6葉


「Itazuke Air Base」「68th FIGHTER INTERSEPTOR SQUADRON」 ほか板付関連 15葉


「Aランに進入するバイカウント」 「727到着」 ほか羽田関連 21葉

            
ほかに、
三沢基地 2葉、
百里基地 2葉、
岩国航空基地 6葉、
厚木航空施設 8葉、
入間基地 3葉

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