「つばさ」は「つばさ会」の機関誌であり、 「AOZORA 蒼空」は「Mach
Club」の機関誌です。両会は、1953年頃にそろってこれらを発行しました。
大野芳希さんと戸田保紀さんのご好意で、これらの一部をお借りすることができました。
セピア色に変色し、触ればぽろっと朽ちてしまう状態で、60年の年輪を感じますが、濃い内容の中に、ヒコーキへの情熱と熱心な探究心に感銘を受けました。
一般に機関誌というものは、字数やページ数をそれほど意識せずに、硬・軟自由な発想で研究や随想などが発表できる紙媒体です。
1953年当時、既に世界の航空機、航空ファン、航空情報の商業月刊誌が発刊されていて、諸種の情報に飢えるようなことはなかったと思うのですが、商業誌の押し付け記事に飽き足りないヒコーキマニアが自分たちの思いで編集できる雑誌を作ってみたいという、いわば、マニアのガス抜きの装置
― それがクラブ機関誌だったと言えるでしょうし、それは今に至るも変わらないテーマであると思います。
内容については、文林堂の世界の傑作機、潮書房の丸メカニックや酣燈社の航空情報別冊などで眼の肥えた我々から
論じるのは失礼であると思いますが、後年、航空専門執筆家として名を成した人の作品も多くみられます。例えば、秋本実氏の日本軍用機名称や発動機のリストなどは、既に原型となるものが発表されていたりするのがその例です。
それと、飛行隊や航空機生産工場で働いていた人が、戦後7〜8年たっているとはいえ、まだ 鮮明に記憶を残して書いていることにも注目しなければなりません。
・ 自然消滅か
「つばさ会」と「Mach AHub」が、ここに収めた機関誌以後において、なお活動が続いたのかどうかは分りません。恐らく、中心人物の職業家庭など環境の変化や、当時の郵便料金をはじめ相次ぐ物価上昇に会費収入が追い付かなくなるなどの理由で、自然消滅していったのではないでしょうか。
だからといって、両クラブの機関誌が価値を失うことはありません。大先輩のこういう活動があったからこそ、今の我々があるからです。同じ系統をひいて、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲を制作している私は、特にその感を強くします。
・ ガリ切の苦労
また、当時としては当たり前のこととはいえ、印刷はオール孔版印刷、雁皮紙に鉄筆で一文字ずつ書いていく苦労は、約10年後に広島の地で同じことを始めた私にはよく分ります。もちろん写真挿入はできないので姿図もガリ切り、三面図も少数の青焼きを除いてすべてガリ切りです。それが実に上手いのでガリ切のスペシャリストが居たのでしょうね。
以下、複写できた「つばさ」 と 「AOZORA蒼空」について、目次を書いておきますので、かなり読みずらいのを承知の上で、見たい記事があれば、佐伯まで請求してください。
お礼 : 両機関誌は、大野芳希さんの所蔵品を戸田保紀さんを通じてお借りしたものであり、快く提供して頂いた両氏にお礼を申し上げます。また、つばさの第3-3以後の4冊は、数年前に杉浦博さん所蔵品をカメラで複写しましたものです。併せてお礼申し上げます。
なお、本稿はZ01と共通するところがありますので、併せてお読みください。