・ わが国航空史の土台の一辺をなすものであること
国の航空史は、各地方の航空史の積み重ねで成立します。明治以来の航空において東京とその周辺が常に中心的な役割を果たしてきたことは確かですが、従来の航空史書がそこに研究の重点をおいて、ともすれば他地方の航空史を深く探求せずに流している例をなしとしません。実際、各地域を尋ね、関係者に当り、埋もれた史資料を発掘して全体の航空史に積み重ねていく作業は、膨大な労力と時間を要するが故に敬遠されがちでありましょう。
一方、地方の単独航空史家の場合は比較的容易かもしれません。しかし、既に人々の記憶から遠ざかった事象など困難をきわめる場合も多く、いきおい新聞等の二次資料を鵜呑みにしてしまう例もなきしもあらずです。
・ 立体的な航空史
さて、本書は、古谷さんの前書「山口県の航空史あれこれ」に続くものです。前書は、随想風ながら、史実の確認に当っては可能な限り関連情報の収集と現地調査を行って裏付けをとり、それが叶わないものについては断定を避けることで、立派な山口県航空史となっておりました。
本書の第2部「こぼれ話 山口県航空史 第1話〜第10話」(上図青枠)は、これに続くもので、山口県人の実に多彩な航空事象が更に立体的に浮かび上がってくるものです。多少の脱線はありますが、「こぼれ話」などと位置づけるのは勿体ないです。県の正史に掲載してしかるべき内容を多く含んでいることを、読者諸氏に確認して貰いたいと思います。
・ 膨大な年表は、羅列に非ず
本書第1部の「年表」(上図赤枠)には、8年に亘る執念の調査活動の果実”日本の航空の夜明けの年となった明治43年から平成22年までの百年間の山口県の航空史”が約300ページに雲霞(うんか)のごとく盛り込まれました。
雲霞とは失礼な!と叱られそうですが、古谷さんは、多分、物差しを設けず、取り敢えずはすべて載せてしまおうというスタンスを取ったものと思います。それでいいのです。結果は、活用してくれるであろう第三者に取捨選択の権利がある訳で、一見取るに足らないような出来事でも、人によっては吟味すべきものがあるかもしれないからです。
・ Energy
on Mr. Furutani
そして、この膨大な年表作成のエネルギー源を考えてみました。
第一に、航空に対する絶大なる好奇心です。年表で陥りがちな単調でドライな紹介羅列の愚を避けて、随所に古谷さん独自の考えや疑問をコメントし、かつ様々な関連資料を引っ張ってきています。これこそ彼が根っからのヒコーキマニアである証拠であり、同じマニアとして共感するところ多々であります。
第二には、強烈な精神力です。グライダーマンの彼が操縦桿を握っている時の緊張感そのものが調査活動に現われています。百年間の地元新聞を繰りながらこれと思う記事を見つけたら片っ端から複写して、その数3000枚といいます。今では、紙面のどの辺に航空記事があるのか、直感が働くまでになっているそうです。私如き三日坊主の凡人は足元にも及ばない精神力であります。
第三には、山口県人として郷土の誇りと愛着こそが、実は最大の原動力であったかもしれません。であるからこそ、47都道府県を通じて初めて単県の航空データベースが実現したのです。各地に同好の士が生まれてデータが積み重ねられていくことを望まずにはおれません。
私が住む広島県は、地理的にも人的にも山口県と航空上の歴史的なつながりが多くあります。古谷さんには、広島県にも好奇心を向けて貰えないものかと勝手な夢を見ながら、本書推薦の言葉といたします。