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図書室 掲載07/06/15
追加18/08/20

 

山口県航空史研究会 古谷眞之助さんの山口県航空三部作 

 
新 山口グライダー物語 掲載18/08/20
年表山口県航空史1910〜2010 掲載15/05/11
山口県の航空史あれこれ 掲載07/06/15

推薦のことば 佐伯邦昭

新 山口グライダー物語

表紙  裏表紙
 

 書名 山口グライダー物語
 著者発行者 山口県航空史研究会 古谷眞之助
 発行 2018年6月25日 
 体裁 B5判 344ページ
 定価 2000円
 申込照会先 -cas@c-able.ne.jp(冒頭にshinを付ける)

 古谷眞之助さんによる自費出版三部作の最後の出版です。明治19年三家本鶴蔵なる大工が羽ばたき機を作って飛ぼうとした時から、中国航空協会が創設50周年を迎えた平成30年3月31日までの調べられる限りのすべてを調べて記録した年表に加えて著者がこれまで発表したノンフィクションやエッセーという内容です。

 地方の滑空史として高い評価が得られるものと思いますが、その意味で、前二作に肩を並べるものであり、そのことを訴えようとすると前二作の推薦文を繰り返すことになりますので、自信をもって推薦するとだけ述べて終わりにします。


 以下は、佐伯邦昭の独断と偏見による全く個人的な感想です。著者から正しくないよと批判を受けるのを覚悟の執筆です。興味のない方は読まないでください。

 

1  著者の肩書

 古谷さんは、肩書を山口県航空史研究会としていますが、本書に限って言えば「中国航空協会 会員」の方がふさわしい筈です。
 なぜなら、中国航空協会が、今年創立50周年を迎えその節目を機会に協会と山口県の滑空の歴史を書き残しておくべきだというのが、古谷さんの年来の主張であったと仄聞するからです。
 しかし、歴史記録よりも、今の活動にこそお金を使うべきだという風潮があって、それならばと古谷さんが自費出版を決断したのでしょう。私は、山口県航空史研究会の実態を存じません。

 

2 題名に隠された皮肉

 山口グライダー物語の「物語」とは何じゃ? 本書の構成の柱ーすなわち中核となるページは、230ページに及ぶ古谷さんが丹念に調査収集した山口県滑空史年表、その資料及び写真であります。
 「物語」とは、講談社の日本語大辞典によれば日本の散文文学の一様式とありますから、年表は「物語」はふさわしくありません。
 後半100ページ弱の「エッセイ」はまさに散文型式の物語なのですが、過去に発表済みのものも多くあり、第三者にとっては付録的なものです。
 古谷さんは、これに力を入れたから「物語」なのよ、と言いたいのかもしれませんが、本書全体構成からすれば、謙虚に過ぎる、もしくは誰かに対する皮肉?

 

3 中国航空協会の歴史は広島の滑空史でもある

 年表は次の構成であり、中国航空協会が山口県滑空史のなかで 大きなのウエイトを占めていることが分かります。す。
    年表 1 山口県滑空史・前期編 黎明期から中国航空協会発足まで
    年表 2 山口県滑空史・後期編 中国航空協会発足から現在まで
 そして、それを補完する資料の冒頭に次の3点が掲載されています。
    昭和42年10月の中国航空協会設立趣意書並びに会則
    昭和44年5月の中国航空協会第一回定時総会議事録
    昭和45年5月の中国航空協会第二回定時総会議事録
 広島県人たる私は感激しております。宮野 修さん、よくぞ保管していてくれました。古谷さん、よくぞ全文を載せてくれましたと。中国航空協会は、昭和27年頃から広島市吉島飛行場で学生らを訓練していた小田 勇さんや宮野 修さんら広島グライダークラブの延長線で中国5県の各クラブや飛行場と連携を図る目的で創立したのでした。
 その意図の中には、吉島飛行場が工場の建設などで次第に使えなくなり、練習の主体を山口県防府市の航空自衛隊防府北基地に移さざるを得なかったので、山口県のグライダークラブを取り込んでおこうという打算もあったのでしょう。
 いずれにしても、中国航空協会の発起人も総会会場も事務所(小田億)も広島市でありましたから、3点の資料と小田 勇さんらの吉島や野呂山の写真の範囲において「広島県滑空史」であります。 広島吉島飛行場の歴史 1952年以降 グライダーの訓練と小型機の利用 参照)
 

4 懐かしい名前

 ↓の写真は、小田さん操縦のシュペール ラリ(小田億)から宮野さん操縦の三田3改1グライダーを写したものです。防府市内上空です。

宮野 修さんによる裏書


 撮影は、毎日新聞広島支局鴨谷記者とあります。愛称鴨ちゃんは、広島支局のカメラマンでした。私は、昭和32年にアルバイトをしていたので懐かしい名前です。上記3点の中国航空協会資料にも鴨谷の名がありますので、彼の小田さん宮野さんらとのつながりは相当に深いものがあり、グライダーの写真もかなり写していることでしょう。毎日新聞社の収蔵資料の中に残っているかもしれません。

 

5 小田 勇さんの子息のこと

 資料と言えば、世界の滑空界に知られた小田 勇さんも相当の資料をもち、その没後は子息の基治さんに引き継がれていると考えます。よって、基治さんを当たれば、広島・山口の滑空関係の資料が豊富に出てきそうなものです。
 しかし、基治さんは父親譲りのグライダーマンで相当の腕を持っていたそうですが、何故か中国航空協会とは疎遠だそうで、古谷さんも接触する気がなかったようです。(佐伯も、ある事情で基治さんとは疎遠です)

 写真は、基治さんがJA2087三田3改1で飛んでいるのを見上げる父親とハンディトーキーで指示を与える宮野さんです。昭和46年頃の防府北基地ですが、このように中国航空協会を活用していたのですから、基治さんには、心を開いてもらいたいものです。

 


6 ヒコーキ雲上に既発表の古谷論考及び本書に関連するページ一覧

G01 日本のグライダーの初飛行について
 5 
日仏合作グライダー100年記念講演会の模様と感想
 6 
日仏合作グライダーの模型展示について 
G04 巴式ろ之参型セコンダリーJA0005 中国醸造号について 
G06 航空法施行前のグライダーのJA記号について 
G08 新制中学校でのグライダー訓練 広島県豊田郡安芸津町立安芸津中学校の記録 
G12 幻の滑空飛行第1戦隊 改訂版 追補版 
G17 枕崎飛行場でグライダー飛行
G18 グライダーの持ち上げ棒について
G20 1952年7月 戦後初の山上発航
G21 岡崎飛行クラブのグライダー 岡崎市矢作川河川敷
G16 このグライダーのJAナンバーを推理してください  JA0081の可能性
G24 グライダーの乗降 左か右か 
G25 幻の1940東京オリンピック 滑空競技のグライダーで日本人が飛んでいる
G26 小田億のMS885シュペールラリ JA3191の経緯
G27 東京軽飛行機研究所製作のグライダー の疑問
G28 グライダーの背面飛行について
G29 防府北基地のグライダー滑走路
G32 チョークの掛け方 グライダーの場合
Q33 グライダー表示の最高速度に異議あり

以上

年表山口県航空史

 

年表山口県航空史 1910〜2010

 
        表紙             裏表紙
    

 書名 年表 山口県航空史 1910〜2010
 著者発行者 山口県航空史研究会 古谷眞之助
 発行 2015年月25日 
 体裁 B5判 340ページ
 定価 2000円 郵送料込 2360円
 購入申込 -cas@c-able.ne.jp (冒頭にshinを付ける)へメールしてください
        指定口座への入金確認次第レターパックにより送付します
 


     

・ わが国航空史の土台の一辺をなすものであること
 
国の航空史は、各地方の航空史の積み重ねで成立します。明治以来の航空において東京とその周辺が常に中心的な役割を果たしてきたことは確かですが、従来の航空史書がそこに研究の重点をおいて、ともすれば他地方の航空史を深く探求せずに流している例をなしとしません。実際、各地域を尋ね、関係者に当り、埋もれた史資料を発掘して全体の航空史に積み重ねていく作業は、膨大な労力と時間を要するが故に敬遠されがちでありましょう。

 一方、地方の単独航空史家の場合は比較的容易かもしれません。しかし、既に人々の記憶から遠ざかった事象など困難をきわめる場合も多く、いきおい新聞等の二次資料を鵜呑みにしてしまう例もなきしもあらずです。   

・ 立体的な航空史
 さて、本書は、古谷さんの前書
山口県の航空史あれこれに続くものです。前書は、随想風ながら、史実の確認に当っては可能な限り関連情報の収集と現地調査を行って裏付けをとり、それが叶わないものについては断定を避けることで、立派な山口県航空史となっておりました。
 本書の第2部「こぼれ話 山口県航空史 第1話〜第10話」
(上図青枠)は、これに続くもので、山口県人の実に多彩な航空事象が更に立体的に浮かび上がってくるものです。多少の脱線はありますが、「こぼれ話」などと位置づけるのは勿体ないです。県の正史に掲載してしかるべき内容を多く含んでいることを、読者諸氏に確認して貰いたいと思います。

・ 膨大な年表は、羅列に非ず
 本書第1部の「年表」
(上図赤枠)には、8年に亘る執念の調査活動の果実”日本の航空の夜明けの年となった明治43年から平成22年までの百年間の山口県の航空史”が約300ページに雲霞(うんか)のごとく盛り込まれました。
 雲霞とは失礼な!と叱られそうですが、古谷さんは、多分、物差しを設けず、取り敢えずはすべて載せてしまおうというスタンスを取ったものと思います。それでいいのです。結果は、活用してくれるであろう第三者に取捨選択の権利がある訳で、一見取るに足らないような出来事でも、人によっては吟味すべきものがあるかもしれないからです。
 
・ Energy on Mr. Furutani
 そして、この膨大な年表作成のエネルギー源を考えてみました。
 第一に、航空に対する絶大なる好奇心です。年表で陥りがちな単調でドライな紹介羅列の愚を避けて、随所に古谷さん独自の考えや疑問をコメントし、かつ様々な関連資料を引っ張ってきています。これこそ彼が根っからのヒコーキマニアである証拠であり、同じマニアとして共感するところ多々であります。

第二には、強烈な精神力です。グライダーマンの彼が操縦桿を握っている時の緊張感そのものが調査活動に現われています。百年間の地元新聞を繰りながらこれと思う記事を見つけたら片っ端から複写して、その数3000枚といいます。今では、紙面のどの辺に航空記事があるのか、直感が働くまでになっているそうです。私如き三日坊主の凡人は足元にも及ばない精神力であります。

第三には、山口県人として郷土の誇りと愛着こそが、実は最大の原動力であったかもしれません。であるからこそ、47都道府県を通じて初めて単県の航空データベースが実現したのです。各地に同好の士が生まれてデータが積み重ねられていくことを望まずにはおれません。

 私が住む広島県は、地理的にも人的にも山口県と航空上の歴史的なつながりが多くあります。古谷さんには、広島県にも好奇心を向けて貰えないものかと勝手な夢を見ながら、本書推薦の言葉といたします。 


 年表山口県航空史1910〜2010が、第19回日本自費出版文化賞に応募した512点の中から地域部門に入選しました。おめでとうございます。推薦の弁を載せてもらっているインターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作佐伯邦昭としても喜ばしく思っております。

 写真は、2016年10月8日に東京と千代田区九段北アルカディア市ヶ谷で行われた受賞式でNPO法人日本自費出版ネットワーク 代表理事 中山千夏さんとの記念写真です。



参照 http://www.jsjapan.net/jssyonews19.htm


山口県の航空史あれこれ

山口県の航空史あれこれ

 書名 

 発行 2007年6月25日

 著者 山口県航空史研究会 古谷眞之助

 発行者 同
     
 体裁 B5判 148ページ

 頒価 2000円

 申込照会先 -cas@c-able.ne.jp(冒頭にshinを付ける)

 

  まずは目次を見ていただきましょう。

     

 坂本壽一、佐村福槌、高左右隆之など航空黎明期の鳥人たちの名前がみえます。また、グライダー界で知らぬ人もいない弘中正利の名もあります。これら国内外で活躍した山口県出身者たちの、あるいは出自、あるいは幼少期の境遇、あるいは飛行への志し、あるいは郷里での活躍、あるいは幸せ又は不遇な生涯等々を、筆者は一次資料や証言を求めて県内各地を尋ね歩きます。

 また、目次には出ませんが、国民飛行協会会長長岡外史陸軍中将(下松市出身)、グライダー界重鎮の堀川勲(東京出身)、世界的グライダーパイロット小田勇(広島県出身)などの山口県との太いつながりを明らかにしていきます。

 そういう有名人と山口県の関わりもたいへんに興味深いですが、この本の真骨頂は、小さな地域の地元新聞の時事片々や古老の伝承でしかなかったこと、市町村史に紹介されていてもわずかな記述でしかない県内の航空あれこれを、丹念に発掘して回ったことにあります。
 例えば鳥人異説の三家本鶴蔵が大正5年に人力飛行機で処女飛行(失敗)を行ったという伝承について、荒れ果てた生家を訪れたり、わずかな手掛かりから外観想像図を描いてもらったりと、あくなき探究心には頭が下がります。

 そして、圧巻は、防府北基地でグライダーを飛ばしている中国航空協会の歴史とそれにまつわる数々のエピソードです。筆者自身が協会員として操縦桿を握っているからこその詳細な編年解説が可能になっているようです。
 およそクラブ活動をしている人で、その活動史をまとめてくれるなど鐘や太鼓で探したって出てこないです。その意味で、中国航空協会は古谷さんという実に貴重な人物を得たというべきでしょう。

 長くなるので中国航空協会については本書を読んで頂くとして、日本の航空史を扱っている人々に申し上げます。
 防府市にグライダー製作会社があって、戦中には中等学校向けにたくさんのグライダーを生産していたこと、そのつながりで戦後航空再開後に著名グライダーマンが活躍し、日本記録を生んだりしていること、防府基地にオーストラリア民間定期便があったこと等々に十分着目する価値があることを。

                    

                      表紙の書体               

 私は、表紙のこの書体を見て、昭和モダンの版画ポスターを思い出しました。筆者に聞いたところ、印刷に当たってはいろいろダメを出したが、この表題だけは一目で気に入ったということでした。本書の全体の内容は必ずしも大正や昭和モダニズムの時期にかかるものだけではありませんが、航空に賭けた人々のロマンを活字と写真で蘇らせる「山口県の航空史あれこれ」としては、ぴったりの印象ではありませんか。

 「あれこれ」としているのは、過去に航空情報や地元新聞などに発表してきたものを連ねているので、系統的な記述にはならないといという意味でしょう。
 とは言いながら、それは読む方でまとめていけばいいのであって、「あれこれ」は古谷さんの謙遜した表現であるかもしれません。

 古谷さんは、下関出身、大手都市銀行員からUターンして防府市でマツダ関連会社にお勤めです。小月航空基地付近での少年時代空へのあこがれが、グライダーという伴侶を得て夢をかなえました。

 仕事の傍ら、操縦と文筆をこなして、しかもこのような立派な自家出版を成し遂げられたことに、嫉妬を感じざるを得ません。そこで、なんとかケチをつけたいと貧乏根性の目で探すのですが、県内最大飛行場の岩国の歴史がでてこないくらいでしょうか。
 
 また、全体に、古谷さんの主観を入れ過ぎているかなとも感じますが、それも、ドライな事実だけを追うのでなく、人々の息遣いが聞こえてきそうな臨場感としてとらえるなら、疑問を抱いたら突き止めるまでやめられないであろう古谷さんの真剣勝負に免じて許しましょう。
 坂本壽一と佐村福槌のアメリカでの確執、女流飛行家南地よねをめぐる小説もどきのストーリーなどは、ここまで追っているのはおそらく初めてだと思いますよ。

 一つの県の航空関係の自家本とはいいながら、少なくとも航空史に興味を抱く人には是非とも読んで頂きたい書籍として推薦します。読めば、俺も若くて暇があれば郷土の航空史を書きたいなあと思うに違いありません。