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ヒコーキマニア人生録・図書室 掲載開始04/12/17

 


ミヤシカクマフク旅行記
 

佐伯邦昭

 

 

目 次

発表日
  (1)  プロローグ ミヤシカクマフク旅行記とは 04/12/17
(2)  西都市の夜 04/12/17
(3) 新田原基地へ 04/12/19
(4) 新田原基地から帰投 04/12/19
(5) 都城と高千穂とたからべと 04/12/21
(6) 海上自衛隊鹿屋航空基地史料館 04/12/22
(7) 鹿児島空港 04/12/22
(8) 九州新幹線 04/12/23
(9) 熊本市崇城大学本部キャンパス 04/12/23
(10)熊本市立熊本博物館 04/12/23
(11)大刀洗平和記念館 04/12/24
(12)エピローグ 04/12/24

 

(1)プロローグ  ミヤシカクマフク旅行記とは

 私は、2001年12月に広島から鹿児島へ飛び、その紀行をChikaku旅行記としてホームページへ掲載しました。Chikakuとは知覧・加世田・鹿屋・内之浦の頭文字をとってチーカックなんてしゃれたものです。

 それから3年後の2004年12月再び九州旅行を実行しました。

 航空関係で訪れたのは宮崎県新田原基地航空祭、宮崎県財部町財部(たからべ)温泉、鹿児島県鹿屋航空基地資料館、鹿児島空港、熊本市崇城大学、熊本市立熊本博物館、福岡県三輪町大刀洗平和記念館の7箇所で、四つの県にまたがります。宮崎 鹿児島 熊本 福岡すなわちミヤシカクマフク旅行 記であります。しかも、このたびはヒコーキには乗らず列車の旅でした。なんだあほらしいという方はどうぞ退出してください。

出発

広島駅新幹線ホームにて

 JR西日本ご自慢の山陽新幹線Rail Starです。乗降客をチェックする美人は、客室乗務員と呼びます。女性進出も服装も呼び名も限りなく航空会社のそれに近づいてきています。これまで私が乗った公共輸送機関の中ではRail Starが最高の乗り心地です。博多〜新大阪間しか走っておりません。


Rail Star発車


特急SONIC


地鶏弁当

 
 写真左は、Rail Starが小倉駅を発車したところ、あっという間にスピードをあげるので私のデジカメでは止まりませんでした。
 中は、乗り換えの小倉日豊本線 ホームから乗車した博多〜大分間の特急SONICです。
 右は、再び別府で乗り換えて日豊本線高鍋駅まで乗った特急にちりんの車内販売の地鶏弁当1,050円也と缶ビール、結構旨かったです。今は空弁(ソラベン)がブームになりつつあるようですが、やはり車外風景を楽しみながらパクつく駅弁汽車弁のほうが風情があります。

 

(2)西都市の夜 3

 特急券は宮崎駅まで買っておいたのですが、12月4日は天気予報どおりの強い雨になり、宮崎空港などの航空機探検は無理だと判断して宮崎行きをあきらめ、高鍋駅で下車してタクシーで今宵の宿がある西都市へ向かいました。

 運転手さんに明日の新田原航空祭の交通事情などを取材し、その結果6時半にホテルへ迎えに来てくれるよう車内で予約し、これは正解でした。

 15時ころにはホテルへついてしまいましたが、この雨では日本有数の西都古墳群を見に行くこともできず、居酒屋も開いていないので、少し眠り、夕方になって街へ出てみました。雨のせいもありますが静かな街です。ぶらぶら歩いているうちに市立図書館を見つけ、郷土資料などを見ているうちに、高千穂の天孫降臨にまつわる都萬(つま)神社があることを知り、またぶらぶらと歩いていってみたのです。

  

                            西都市都満神社の立て札 

 さすがに、神話時代の土地だけあって、舌がもつれそうな名前の男女の神々が祭られておりますが、私が注目したのはこの「日本清酒発祥の地の由緒」でありました。埼玉県には航空発祥の地というのがありますが、発祥というのは機械よりも食べ物とか伝統芸能とかというほうがぴったりくるのであって、特に、晩酌を清酒でやっている私は初めてお米で酒を醸(かも)したというコノハナサクヤヒメノミコトにしっかりと手を合わせてきたのであります。


いかにもニュータの周辺という感じのするステッカーです

 しかし、南九州といえば焼酎です。ふらりと入った店で聞くともっぱら霧島という銘柄の焼酎だそうで、とり串を肴にコップでやっておりますと、航空自衛隊新妻会なるステッカー(写真左)が目に入りました。忙しく手伝っている奥さんと「新妻会で何か特典があるのかですか」「いいえ別に何もありません」てな会話をしておりましたら、旦那さんが新田原航空祭招待の封筒を出してきてくれました。

 この駐車券があればすいすい入れるのになあと言いながら、招待状(写真右)を読んで驚きました。覚えていますか、私が9月の海上自衛隊岩国基地航空祭の会食に文句をつけたら、あれは会費制だと言われて引っ込んだことを。

 新田原基地の招待状には当日昼の祝賀会の会費が4千円と書いてあります。どうも大変失礼しました。出席はご遠慮申し上げましょう。事情通のお話しでは、市長らの来賓挨拶が長くて飲んだり食ったりしている時間は殆どないそうで、とても4千円の元はとれないとか。もちろんここの店主も行かないと言っていました。 航空自衛隊協力加盟店なんて殆どメリットは無いということですね。

 さて、雨も上がり、ホテルへ帰ろうと歩いていると酔心という店があるではありませんか。通の人はご存知のように酔心のキーワードは高級酒・広島・横山大観等々です。それを西都市で見つけて入らずに帰れようかと悪い癖がでました。


小料理屋酔心の おばさん


落ち鮎の飴煮

 恐る恐る入ってみると、銘酒酔心とはぜんぜん関係の無いおばさんが一人でやっている小料理屋でした。お勧め料理で出てきた落ち鮎の飴煮は、生姜を添えて霧島によく合いました。 それにしても、このおばさんいいスポンサーでもおるのかなあ?いや、旅で身の上話を聞くのはご法度ですぞ。

 小座敷の方に数名の男女がいて、こっちにきて飲めとお誘いがありました。そこで聞いた話では、いくら九州でもいきなり焼酎というのはなく、まずビールジョッキで喉を湿らせるそうです。そのあたり全国共通現象でしょうか。焼酎は宝酒造などの甲類はだめで、 匂いのきつい乙類でないと飲めないが、最近は霧島にしても香りが薄いと嘆いていました。それも中年の普通の女性がです。すごいです。

 かくてミヤシカクマフク旅行の第一夜は更けて、明日はいよいよ新田原基地へと。

(なお、西都市へ宿泊する方に情報、高鍋駅で降りるとバスは少ないし、タクシーだと4000円近くかかります。宮崎市からバスを利用するのが一番いいそうです。)

 

 

(3)新田原基地へ 4

 5日(日曜日)、雨は完全にあがりました。4時に起床して風呂へ入り、昨夜買っておいたサンドイッチに牛乳で腹ごしらえ、6時15分に1階へ降りてみるともう運転手さんが来ております。

 渋滞に巻き込まれる恐れがあるので早く出発しましょうというわけです。まだ暗い県道をこれなら大丈夫と安心して走っていたら、やっぱり途中から赤いテールライトの行列が見えてきました。 多分徹夜組の車・車・車・

 しかし、ここで威力を発揮するのがタクシーです。反対車線をすーっと走っても、既に出ている警察官も制止しませんね。百台以上の亀さんたちを追い抜いて正門内へ、6時30分には着いてしまいました。宮交タクシーの兎さんどうもありがとう。

 基地開放の通例は、大勢の人と展示場へ早足でということですが、今日ばかりは一人で入場、強い風の中を初めて歩く基地内はエプロンまでがかなり遠く感じたですね。

 エプロンは広いです。まだ雑誌社らしき人々しか入っていないので余計にだだっ広いのです。そこへ猛烈な西風、私のキャスター付鞄がひとりでに動いていくし、風に背を向けたら凧みたいに軽々と移動できるのです。風に正対すると立っているのが難しい。7時半頃からは弱まりましたが、必死で撮った写真の殆どは手ぶれ腰ぶれでした。

 まだ薄暗いからと露出補正をプラスにして、人影の入らないいい写真になるつもりがブレていては意味がなく、その上、雲ひとつない青空になってからも補正を元に戻すのを忘れてしまったために、今度は真っ白な写真を大量生産する羽目に。夕べの焼酎に脳が冒されていたか?

 

展示機 
 岩国や防府では、展示機のナンバーを克明にメモってリストを作りますが、ここニュータでは列線を見ただけで気力が失せました。それだけ数が多いのです。航空自衛隊はC-130、E-767、KV-107、T-3、MU-2を除いてほぼオールスターキャスト、海上自衛隊はP-3CとSH-62、海兵隊岩国からF/A-18Dが2機です。これにブルーインパルが7機並び、滑走路との間には飛行準備のF-4、F-15、T-4もたくさんおります。メモをあきらめさせるに十分な数というべきでしょう。

 強風をついての各種の機動飛行とブルーインパルスは、現代先端航空の粋を見せてくれました。既に他のサイトに多く発表されているので、関心のある方はそちらをご覧ください。また、売店でのグッズも飛ぶように売れておりましたので、ぼつぼつ発表があることでしょう。へそ曲がりの私が買ったのは唯一品。 新富郵便局の方が「きょうここでしか買えませんよー」と声を嗄らしているのに同情して買ってしまいました。80円切手5枚と同額の400円也。ニュータの301飛行隊と飛行教導隊と23教育飛行隊の50周年記念塗装があり、ファントムのスタンプが押してある以上、これほど確実な訪問証明書はほかにないはずであります。

 

 

 

 

脚 立
 脚立を持ち込んでいる人はたくさんいましたが、マナーはかなり守られていました。中にはロープ際で人の迷惑を考えない横暴な奴もいますが、殆どは後ろへ下がって用いていました。もっとも、列線が長くて十重二十重の人垣にはならなかったせいもあるでしょう。

 人の迷惑がわからない奴もいる
 

 殆どの人は後ろへ下がって脚立を立てていた

 

(4)新田原基地からの帰投 5

 ブルーインパルスが着陸する時刻になると、約束していた坂口さんから携帯電話が入り、駐車場で落ち合って大きな四駆に載せていただきました。乗っては見たものの亀さんよりものろい動きでなかなか基地の外へ出られないのは、どこの航空祭も同じですが、実はそれがかえって幸いで、帰投の離陸がたっぷりと見られたことです。

 まずは、強風のため実演できなかった落下傘部隊を乗せたC-1が帰投、海上自衛隊のSH-60が続き、ついで防府のT-7が上がったと思ったらインベルマンターンで反転してきて、右に左にかろやかなご挨拶です。これを操縦するパイロットはF-15に乗っていたそうで、防府に移ってからはT-7初号機の試験操縦を担当したと胸を張っていましたので、その腕を見せたかったのでしょう。

 つられて鹿屋のP-3Cも見えなくなるような大きな転回で戻ってきたら、低空でゆらゆらと翼を振りますし、もちろんF/A-18などもズームアップや旋回など、昼間の機動飛行を指をくわえて眺めさせられた鬱憤を晴らすかのようでした。

 この時の管制官は女性でした。帰投挨拶飛行を許可するときに必ず「観客の上を飛行しないでください、海岸での低空飛行をしないように」と注意していたのが印象的でした。魚が逃げるという苦情があるとか。

 さて、我々もやっと動き出した車列から、坂口さんの好判断で更に短絡する道路に抜け出して一路都城に向かって帰投です。宮崎県南部の丘陵地帯によく整備されている県道や国道10号を走りながらの航空談義は例によって愉快でもあるしためににもなります。

 整備士ながら、今や鹿児島空港でパイロットやCAの教官をしているという坂口さん、久しぶりに専門家から本物のヒコーキ知識を聞かされて堪能しました。

 都城のホテルまで送っていただき、今宵もまた、JR都城駅前の居酒屋更吉で霧島とともに‥。鳥の軟骨の味噌煮というのが旨いので、カウンター内の夫婦にビールを勧めたら、「ガネのかき揚げ」を作ってくれました。川でとれるわたり蟹だと思うのですが、このあたりではカニをガネと言うそうです。これも旨いです。

 もう酒の話はやめましょう。妹が広島県福山市に嫁いでいるというおかみがホテル備え付けの例のアダルトビデオカードがあるからと呉れたのですが、残念ながらよそのホテルのカードで、規格が合いませんでした。 残念!

 

 

(5)都城と高千穂とたからべと 6

 宮崎県には高千穂がふたつあります。ひとつは天の岩戸伝説がある北部の高千穂であり、もうひとつは築城の第6飛行隊のマークにもなっている逆鉾伝説がある南部の高千穂峰(霧島連峰)です。 写真は朝7時半ごろホテルの窓から撮った霧島連山です。 同じアングルが都城市のホームページにも使われていますから、市民の皆さんに溶け込んだ風景なのでしょうが、朝日に映える山容が私にはとても新鮮でした。

 財部と書いてたからべと読みます。都城市から財部町へ入ると鹿児島県曽於郡です。都城はそもそも島津藩の土地だったそうで宮崎県にされたのが間違いとでも言いたいような人にもお目にかかりました。花はきりしまー、煙草はこくーぶーと歌いますが、鹿児島空港のある国分からも高千穂峰(霧島連峰)が正面に見えるのは皆さんご存知の通りです。

 さて、ホテルへは都城の岩崎さんが車で迎えに来てくれました。坂口さんに財部温泉のビーチクラフトG18Sを見に行きたいとお願いしていたのですが、勤務の都合がつかないため、岩崎さんがピンチヒッターになってくれたのです。ありがとうございました。

 坂口さんも岩崎さんも今年の都城スカイブロッサム実行委員会の主力メンバーで、河川敷に二日間だけの場外離着陸場を設営したり大変な汗をかかれて、スホーイ3機によるアクロバットなど大成功に終わらせた功労者でした。

 都城スカイブロッサムは、隔年開催ですが、企業からの寄付金も減り始めたうえに、今年、予想を完全に覆して34歳という全国最年少の市長さんが生まれたため、彼が補助金その他の支援をばっさり 斬らないかという不安が出てきているそうです。

 落選した前市長さんは、スカイブロッサムの功績で全米の団体(名前は失念)から記念ネクタイを贈られ、それは日本に二人しかいないそうで、公式行事には結んできて自慢してい たそうです。新市長さんも負けずにがんばれ!

 さて、こんな話を夢中でしているうちに県境を越えてビーチクラフトG18Sのある町営財部温泉健康センターへ到着です。山の中を想像していましたが、広い田園の真ん中にひょうたん島みたいにぽつんと浮かんでおります。よく温泉を掘り当てたもんですなあ。

 ビーチクラフト機については、鹿児島県A8705でまるヨさんのレポートと日替わりメモによる補足で説明していますのでここでは省きます。

 坂口さんたちの手で清掃や塗装などメンテナンスが行き届き、施設の場所柄からいたずらもないようなので、これは日本で最も幸せな余生を送っている屋外展示機のひとつであると太鼓判を押しておきます。いつの日か坂口さんの時間の取れるときにお邪魔してエンジンを回す情景を取材したいものです。(航空雑誌社の皆さん如何?)

 

 

(6)海上自衛隊鹿屋航空基地史料館 7

 岩崎さんの車で曽於郡財部町から大隈半島を快調に飛ばして鹿屋市に入りました。海上自衛隊鹿屋航空基地史料館は二度目の訪問ですが、今回は月曜日午前中というのに観光バスがたくさん来ているのに驚きました。二式大艇効果でしょうか。

 前回は館長さんのご好意で一曹の方に案内していただきました。創設の時から苦労された館長さんは既に退職され、受付で私の名を名乗っても相手にされませんでした。予想していたので腹も立たず、まずは2階の零戦です。

零戦の写真はOK
 栄21型エンジンをはじめ前回写し損ねたところを撮っていたら、見物中のさるご婦人から「撮影禁止ですよ」とご注意。実は零戦正面に「零戦のみ撮影可能」と表示してあるのですが、気の弱い佐伯はもう撮る勇気がなくなってしまい、又もや後悔先に立たずの結果になってしまいました。

 多分、バスの中で2階は撮影禁止ですよとガイドが言っていたのでしょう。ご婦人も善意で注意してくれたもの思います。すべては 私の不徳の致すところでした。

台風の置き土産
  ヒコーキ雲表紙に18日から21日まで漢字検定協会が2004年の漢字として選定した[災]にちなんでダグラスR4D-6Qと川西二式大艇の下の写真を出しました。


R4D-6Qの尾翼


台風ではずれたラダー


二式大艇のラダー固定

 

 

まさに、2004年は日本列島が台風に翻弄されました。

 しかし、鹿屋の屋外展示機の被害をどう見るかといわれれば、私はよくこの程度で済んだものだとひと安心でした。二式大艇は、東京からの搬送に当たって解体再整備をしているので、他の部分はびくともしていないようですし、R4Dも3年前と比べてそれほど痛んでおりませんでした。大型機だけあって頑丈なのでしょうかね。(R4Dのラダーはもう 修理されているはずです)

 屋外展示機では川崎P-2J 4771号機の再塗装が行われておりました。右写真のように細かなステンシル類の上にはビニールを貼っており、元のまま手をつけないで残すようです。

 


P-2Jの塗り替え作業


文字の養生

 このほかの機体については鹿児島県A8701のとおりで別段の変化は見当たりませんでした。

 史料館付近からは、お昼ごろになって08滑走路の第3経路から第4経路に入るP-3CとUH-60Jがよく見えました。ただし、 相当の長焦点レンズがないと撮影は無理です。

 

 

(7)鹿児島空港 8

 鹿屋から大隈半島の海岸線を北上すると、所々狭い道路もありますが、穏やかに輝く錦江湾と薄い噴煙を上げる桜島を左に見ながらのドライブは快適です。しかし、国分市内の渋滞もあり鹿児島空港までは相当の時間がかかりま した。

 14時半から仕事を控えていらいらしながら待っている坂口さんのJAC(JAL)整備センターへ到着したのが30分前でした。駆け足で見せていただきました。

 SAAB340本体よりも高価なフライトシミュレーター 
これで訓練すれば実機搭乗は3時間で合格とか

 U型につながっているのはコンピュータ室へのケー
ブル類導管、床から出ているのは何だっけ?忘れた

   

退役間じかのYS-11 JA8781 

 

 坂口さんと佐伯

 14時30分から、この機体を使って坂口教官による搭乗職員に対する緊急時行動訓練が行われます。男前で柔和な坂口さんも、どこ吹く風のパイロットには厳しい声を上げることもあるといいます。

 なお、去り行くYS-11に対する記念行事、退役後でなくて、まだ飛んでいるうちに良いセレモニーができないかと検討中だそうです。いいアイデアが浮かんだら知らせてあげましょう。

          

最新鋭のボンバルディアQ400 JA843C

 坂口さん、岩崎さんとお別れし、空港ビル送迎デッキで離発着風景を見物しました。写真もとるには撮りましたが、鹿児島空港で見られる航空機は多くのサイトで紹介されていますから、私のピンボケ写真は遠慮しておきます。

 YS-11が屋久島へ向けて離陸上昇し、正面霧島の中央部にかかってシャッターチャンスと思ったらフィルム巻き戻しが始まり、送迎デッキが少々寒くなってきたし、熊本へ移動する時間にもなりましたので、リムジンバスで鹿児島中央駅へと向かうことにしました。

 

(8)九州新幹線 9

 鉄道に詳しくないために、日豊本線エンドの鹿児島駅というのがあるのに特急富士(日本最長の特急列車)はなぜ西鹿児島駅が終着なのか疑問が解けないうちに、西鹿児島駅は鹿児島中央駅と名前が変わってしまいました。

 九州新幹線のホームはその鹿児島中央駅に直角にぶち当たる格好で高架がつくられ、駅も周辺も60万都市の玄関にふさわしい装いになっております。

 3月に開業したばかりの九州新幹線つばめ号にもちろん初めて乗りました。素晴らしい流線型の6両編成の車体には航空マニアとしてもほれぼれします。その外観や実にアイディアを凝らした室内についてはJR九州のTSUBAME ガイドを見ていただきましょう。

 マニア共通の癖かもしれませんが、なんとなく細かいところにも目がいってしまいます。ノーズのKYUSYU SHINKANSEN TSUBAME 800 SINCE 2004というステンシルが大変かっこよく、また先端にはTSUBAME U002と製造番号らしきものが書いてあります。車内は、これが売り物のようですが、木材がふんだんに使ってあり、背もたれ、肘掛からデッキの時刻表ボードまでが木です。

 

     TSUBAME 800                     つばめ 木製の客席    客室乗務員の検札挨拶


 


 日豊本線の在来特急車内放送で新幹線グッズの宣伝をしていたので、つばめ内で買い求めようとしたら車内販売がありません。そこで検札に来たこれまた女性の客室乗務員さんに理由を聞きました。

 5駅(約130km)を約40分で結ぶために時間が足りないからという理由でした。そんなら在来線で新幹線に乗ったら買えと宣伝をするのはおかしいでしょうというと、「車内販売を始めるように私達も検討しているので、お客さまのお声を必ず伝えます」とまことに親切な応答でありました。
       

 

 木製の背もたれはたしかに見栄えはいいですが、二人掛けの隙間が広いため、後ろへ倒すと後席に顔を曝すことになります。これはいささか具合が悪く、その意味でも、冒頭に書いた乗り心地の面で山陽新幹線Rail Starに劣ります。

 

 

 新八代駅では、鹿児島本線の博多行きリレーつばめ号が ホーム反対側に待っている

 のぼり終点の新八代駅では、降りると ホーム反対側に博多行きリレーつばめ号が待っており、双方の号車がほぼ対応しているので、これは大変便利です。乗ってみると、こちらでは車内販売があり新幹線グッズを売っておりましたので念の為。

 阿久根農業高校の生徒が開発しここでしか売っていない味噌の缶詰(3 個600円)は、帰宅後あついご飯で食べたらなかなかのものでしたよ。

 

 

(9)熊本市崇城大学本部キャンパス 10

 さて鉄道から航空へ帰りましょう。既に暗くなった熊本へ着き、さすがに都城から鹿屋、鹿児島と回ってきた疲れが出て、今宵は外で飲む気にもならず、駅のコンビニで買った弁当でさびしく晩飯を済ませ、寝てしまいました。

 翌7日も快晴の朝を迎えました。崇城大学に電話を入れて、飛行機の展示を聞くと、駅を降りてエレベーターであがってくれば見えます、写真もOKですとのこと。

 熊本駅から二つ目のJR崇城大学駅で下車すると、車道をはさんで高い崖があり斜行エレベーターが登っております。学生や先生たちに混じって乗り込みました。教授らしき方が、熊本工大から崇城に名前を変えてから何年もたっているのに、駅の名が変わったのはこの3月だよと、JRの対応を皮肉っておられました。駅名変更はたいへんな経費がかかるので新幹線開業を待っていたのでしょうね。

 目指すロッキードF-104DJ 36-5014は、エネルギー研究棟の屋上に鎮座しています。高低差のある斜面を利用して建てられた建物の裏側が400mトラックの陸上競技場で、無断入場禁止の立て札はありましたが、朝の9時ですから部員の姿もなく、手早く撮影をさせていただきました。本当は正々堂々と入り、屋上にもあげていただいて観察したかったのですが、1ヶ月前から見学を申し込んでいたのに返事がなかったのです。

 写真は熊本県A8506-1参照

 

 

(10)熊本市立熊本博物館 11

 熊本城内は広いです。熊本駅からタクシーに乗ったら熊本博物館と指定しないと、単にお城だけでは降りてから博物館までかなり歩くことになります。

 タクシーは街中を右折左折しながら多分最短距離のコースで熊本博物館の裏庭に着きました。ちょうど居合わせた職員の方に飛行機だけを見に来ましたと告げると、館の裏から表へ抜けて入場券を買うように案内してくれて、荷物は事務室で預かっていただき、問題のビーチクラフトG18Sが展示してある中庭へ直行です。

 問題の‥というのは、熊本県A8507と日替わりメモで触れてきましたが、ここにあるG18Sが本当にJA5505なのかということです。外部の表示はすべてJA5505ですが、中にはJAナンバーをあらわす痕跡は見当たりませんでした。時間がないので、その場で館員さんに質すことはせず、後日メールでやり取りをしておりますので、いずれ航空歴史館総目次へ結果を報告するつもりです。 (調査の結果JA5505に確定しました 12/29記)

 それはともかくとして、中庭にロビンソンR-22、館内にセスナ150Jとエンジン各種の健在な姿を確認できたのはうれしかったです。これだけのものがありながら、航空史探検博物館にデジタル保存をしていなかったのですから。 熊本県A8507参照

 なお、中庭のビーチ、R-22、蒸気機関車は毎年塗装しているということでした。感謝です。

 熊本市にもう一日滞在して、熊本空港にある崇城大学の研究用保存機を見たり、その途中にあるフライトギアへもお邪魔しようかと思いましたが、あれだけ晴れていたお天気の方がおかしくなってきたので、体力の問題もあり、先を急ぐことにしました。熊本在住の皆さん、都合がつけば空港取材などお願いしますね。

 熊本駅から特急有明で基山駅へと向かいました。

 

 

(11)大刀洗平和記念館 12

 ミヤシカクマフク旅行としておりますが、クマからフクへ向かうには、必ずつまり佐賀県を通らなければならないことは皆さんご承知のとおりです。佐賀県に鳥栖駅という熊本長崎福岡を結ぶ大分岐点があります。その鳥栖の次の特急停車駅である基山(きやま)も佐賀県です。

甘木鉄道
 基山は、大刀洗飛行場への鉄道の玄関でした。
 陸軍が福岡県南部の広大な土地に飛行場を設け、関連する人々が居住するようになるとそこに軽便鉄道が敷かれ、昭和14年にはこれを廃止して鹿児島本線基山駅から甘木までの本格的な支線が開通し、戦後はキリンビールの貨物運送で息をつないでいましたが、トラック輸送に押されて廃線の運命にあったものを、昭和61年に第三セクター甘木鉄道が設立されて引継いでいるのです。


整理券方式の運賃表示板


自動車と飛行機だけじゃなかったのか

 可愛らしいワンマンカーが約14kmの単線を沿線の人々の足になって働いております。電光表示の大刀洗を写そうと運転席上をみると見慣れた会社のネームプレートが目に入りました。自動車と飛行機だけじゃなかったのか? 

大刀洗
 甘木鉄道の基山駅から次の駅を過ぎると佐賀県から福岡県に入ります。更に四つ目の今隈駅辺りから旧大刀洗飛行場の昔の敷地です。車内から第4飛行連隊をはじめ少年飛行学校、航空機工場、航空廠、技能者養成所と一大陸軍飛行拠点の面影を探しましたが、もう農地と新興住宅街しか見えませんね。

 基山から20分ほどで大刀洗駅に着きます。戦時中は、2本の引込み線が分岐し、1日に2万人もの乗降客でごった返していた(平成10年三輪町発行 証言 大刀洗飛行場 から)ということですが、平和な今ではひっそりと静まり、侘びしきローカル線のたたずまいです。

渕上館長さんが不在なので詳しくは聞けませんでしたが、朝倉郡三輪町が数年かけて記念施設を建設し、ここの展示品と名古屋航空宇宙館の零式戦闘機を収容する計画が進んでいるそうです。そうなれば、窮屈そうに並べてある貴重な遺産遺物も見やすくなるでしょうし、何よりも97戦と零戦という相前後して生まれた名戦闘機が同時に見られるという、靖国神社や知覧特攻平和祈念館に匹敵する複数展示が実現します。

  既に閉館した名古屋航空宇宙館の零戦は渕上館長さんの所有地に仮設展示館を建てて収容しておくというお話でした。

 

慟 哭(どうこく)
 館内に、米軍が撮影した航空写真が巨大なパネルにしてあります。1945年3月27日に8個編隊74機のB-29がANN227kg爆弾を各14発といいますから、1千発の爆弾が投下された時の写真です。同月31日にも同じような空襲があり、以後も艦載機による機銃掃射を受けました。

 戦後、引揚者などが入植して飛行場の姿は変わりましたが、町発行の冊子を見ると今も多くの遺跡があり、またいたるところに慰霊碑や記念碑があります。それらを回らずして帰ろうとする私を まるで引き止めるように、突然、雨が降り出しました。

 こういう場所には何かがあります。百万言を費やすよりも、駅舎に掲げられている平和の碑掲示に手を合わせて基山へ戻る列車に乗ったことを報告しておきます。

(注) 12月10日の日替わりメモに2000名の命が失われたと書きましたが300柱の誤りでした

 

 

(12)エピローグ 1313

 基山駅からは快速電車で博多へ30分たらず、何十年ぶりかに博多駅在来線の1番 ホームに降り立ちました。構内はさすがにこれまでのどの駅よりも人が多く活気があふれています。

 さる有名なカラシ明太子の専門店で土産を買い、ついでに「どっか、安く飲ませてくれる居酒屋はありませんか」と厚かましい質問をし、教えられた中ジョッキに料理 2品で1,000円という破格の店(教えてくれたおばさんの弁)で、ひとりいろいろと回顧しながらビールと焼酎を傾けたのであります。

 それが効いて、博多〜広島のRail Star車内では殆ど眠っていたようですが、実は熟睡ができないのです。前にも書きましたが、Rail Starの4号車はサイレンスカーと申しまして、車内放送も検札もカット、車内販売もだまって通りすぎるだけという徹底ぶりのため、停車駅が分からないでうっかり乗り越しそうになった経験があるからです。そのために他の号車に乗っても熟睡できないのです。乗り心地がいいのも度が過ぎると‥。

 もし飛行機にサイレンスエアライナーというのがあったら 大変だ‥‥。

 ここで余分な話ですが、実際にあった話をひとつ、参考までに。
 下りRail Star最終列車で広島へ向かった人が寝込んでしまい、気がついたら新山口というアナウンスであわてて飛び降りました。駅員に乗り過ごしたことを話したら、証明書をつくってくれて、とにかく今夜は駅前のホテルへ泊まって明朝は必ず一番電車に間に合うように来いと指示されました。そのように従いましたら、なんと広島〜新山口の乗越し往復運賃は払わずに済んだのです。ホテル代だけの出費で朝7時には広島で仕事に出たというのです。民営化JRのサービスは徹底してきた感じです。
 

 

終わりに

 ここまで、読んでくださった皆さん、ご感想はいかがでしょうか。

 航空マニアがヒコーキに乗らずに列車のことばっかり書いているアンバランスに辟易(へきえき)しましたか? いや、ヒコーキのこともしっかり書いてあるよという好意的な見方もできますか?

 このように旅をしてみると、ヒコーキの世界が分かっているようでも、全然知らなかったことが多々あるのに驚きます。いわんや鉄道にしろ何にしろ、世の中はどんどん変わっているのが更に更に驚きです。マイカー旅行ではなかなか経験できないところです。足で歩くことの大切さが分かります。

 そして、この世で変わらぬもの、それは人の情けです。スケジュール調整やホテル申し込み、車の運転等々直接間接に私を助けてくれた方々、愚かな質問にもまじめに答えてくれた公務勤務中の方 々、酔っ払いの広島弁に付き合ってくれた方々 、ヒコーキおたくでないあなた、ありがとうございました。

 

ミヤシカクマフク旅行終わり