(6) 東北新幹線 はやて7号
この旅行には大きな日程変更がありました。はじめは、せっかく東北へ行くのなら、平泉など古跡もまわり、宇都宮にいる姪のところにも寄って、27年前に出張の合間を利用して南から西回りに柵外を一周した陸上自衛隊北宇都宮駐屯地の変わりようなども見てみたいと思っていました。
しかし、高見保市展が8月29日から9月2日までと決定され、それを見るためには八戸と三沢の航空祭の前に上京しなけらばならなくなり、
9月2日の三沢後の東北と北関東遊覧は中止、前倒しで東京へとなった訳であります。
そんなことで、31日の東北新幹線は当日になって買えばいいとタカをくくっていました。しかし、朝7時に新橋駅みどりの窓口へ行って驚きました。東京から八戸へいく列車は昼前の分まですべて満席とのこと。
JAL機で行くにがうりさんと三沢で落ち合うためには、はやて7号がぎりぎりであり、それなら自由席をくれと言ったら、「はやてには自由席はありません。立って行かれるなら立席特急券を発行します」とのこと。
早めに買わなかったこっちが悪いのですから、あきらめて、その立席特急券とやらを求めました。立つなら何号車でも構わないようなもんですが、ちゃんと3号車と指定してあり、わざわざ「着席はできません」と右のごとし。
中の通路へ立てば通行の邪魔になるし、座った人の迷惑げな憐みの視線を浴びるのが嫌なので、デッキに立つハラを固めて東京駅21番ホームへ急ぎ、3号車表示の先頭に並びました。デッキにも人があふれるかと考えて急いだのですが、東京始発では3号車デッキには3人だけでした。
大宮を過ぎると仙台までノンストップ、仙台で席が空けば座ろうと思っていたら、何と降客よりも乗客の方が多くてデッキは6人になり、盛岡で減ったものの、そこから八戸までの28分間は4号車のトイレへ行くご婦人がたが大行列で、遂に3時間04分立ちん坊とは相成りまして、腰痛が再発してしてしまったのであります。
東海道新幹線や山陽新幹線では、お盆などの繁忙期を除いては金曜日でも午前中の指定券がとれないということはまず無いと思うのですが、皆さん東北旅行では要注意です。
(7) 八戸から三沢へ
立派な八戸駅を出ると小雨模様なので、駅ビルに連なる手軽な食堂へ飛び込んで、経費節減のため、≪ごっちょ寿司≫ランチメニューの中の一番安いごっちょランチ950円也を注文しました。
ごっちょランチのかっこ書きは(にぎり&かんとのり巻)とあります。首をひねって考えた末、&が8であると思い着くまでに5分かかりました。Do
you understand ? 右の絵がヒントですね。ちなみに、店名は炙屋(たきぎや)と申します。Can
you read ?
隣の床几に荷物を置いていたら、立て込んできますから後ろへ置いて下さいと注意され、なるほど隣に八戸の工業地帯にある大企業へ出張に来たらしい二人連れが坐りました。彼らが躊躇せずに注文した三色丼(生うに いか いくら)の盛り付けをカウンター越しに見ていたら、しまったと思いました。1800円出してもあれにすべきであった!
八戸から東北本線三沢までは在来線特急で10分です。改札のきれいな女性駅員にせかされて白鳥何号かに飛び乗ったら、これがぎゅうぎゅう詰めでした。ドアガラスにへばりつく格好で三沢までを耐えました。
広大な米軍基地のある三沢のイメージは、大都会とはいかないまでもしゃれた町を想像していたのですが、電車が近付くにつれて山林がせまり人家はまばら、降りてみると駅前は閑散として、空港方面へ行くバスは無いに等しく、タクシーばっかりであります。
タクシーで三沢航空科学館へ走る道だけがそうなのかもしれませんが、都会らしいという感じはしませんでした。それだけ長く感じるし、運転手さんも、あまりわが街の自慢をしてくれませんでした。
ところが、着いた青森県立三沢航空科学館は、そんな感情を吹き飛ばすに十分なものでした。広々とした空間にでかい建物です。翌々日訪れた基地内の米軍と自衛隊の諸施設と並んで、まさに三沢の別世界です。
(8) 青森県立三沢航空科学館
科学館内の展示物と大空ひろばの展示機については、もちろん一通り撮影しましたが、青森県A2110に詳しく出ていますので省略します。
館内では、広報営業課長の中島賢治さんに案内していただき、まだ公表できない歴史的名機(エンジン)など見せていただきました。その名機とウエストランドシコルスキーS-51 JA7014が置いてある倉庫は同じ建物の中にあり、普段は団体さんの休憩などに使っているそうですが、私には見覚えがありました。
出発の前の日、8月28日のNHKふるさと一番「大人も夢中 紙飛行機の極意」にこの
倉庫から中継があったからです。
紙飛行機といっても馬鹿にできませんよ。名人という人がゴムで打ち出した紙飛行機が旋回してきて足元へ着陸するんです。ライオンの輪くぐりのように、ぐるっと旋回してきた紙飛行機がゲストの持つ輪の中を見事に潜り抜ける。
最後には、3人の名人が放った3機が編隊飛行をして戻ってくるなんて信じられないようなシーンをこの部屋で見せてくれたのです。写真は、八戸航空祭で買った紙飛行機のキットを組み立てたもので、三沢のも同形と思います。
たかが紙とバルサの模型ですが、名人たちは、三舵の理論を熟知して、主翼のカンバーと尾翼の角度を微妙に調整し、ゴム張力の加減を十分に身に付けているから、ああいう飛ばし方ができるのだろうと想像します。
これは、立派な航空技術であり航空文化です。しかも、子どもたちに興味をもって航空を知り、航空の世界へ没入させるという隠れた教育効果をもたらすものです。
大量のプラモデル
JACのYS-11などを見降ろす2階デッキを利用して、無数のプラモデルが展示してあります。ライト兄弟から系統的に並べてあるものとは思われますが、あまりにも数が多いし、縮尺が統一されていないので、それこそ教育的効果は感じられず、少々うんざりします。
その中の唯1機だけは、次項に述べる安田さんが製作したというので、写真に撮っておきました。
ノースアメリカンF-86F-40 72-7727 第3航空団第8飛行隊時代の鯱マーク付きです。 ダッシュ40の特徴である6-3ウイング、翼端1フィート延長、前縁スラット、サイドワインダーランチャーと航空自衛隊供与型の特徴を余すところなく伝えている良い模型です。
(実機は退役後佐賀県鳥栖市の光琳飯店に展示されていました。)
ただし、説明に「F86Fセイバー US 1947」とあるのが気になります。確かにXP-86が初飛行したのは1947年ですが、F-86A、F-86Eを経てF-86Fが初飛行するのは1952年であり、更にこの模型のダッシュ40は1955年以降であります。
安田さん、せっかくいい模型を寄附したのですから、説明にも口出ししておくべきと思いますが如何でしょう。
(9) 三沢市大空ひろば
さて、館外の三沢基地に向かって広がる大空ひろばには、ここの主である安田孝治さんがいます。名刺には大空ひろば展示航空機説明員と書いていますが、航空ファンの『KF VOICE 飛行機好きで過ごせた我が人生』の安田さんという方が名が売れているでしょう。
私は、彼とも40年ぶりの再会でした。広島航空クラブ時代に、岩国三軍の前か後かに広島市公会堂の小部屋で例会を開き、まだ航空自衛隊員であった安田さんがスライドを持参して鑑賞させてくれたのでした。
今は、恰幅のよい精悍なおじさんになっています。F-104J、P-3A、T-3、LR-1、OH-6Dは機内へ入ることができるので、マルヨンの狭いコックピットに入る時などはどっちの足からというように懇切に手伝ってくれます。もっとも、彼がいなかったら
キャノピーの開閉などは危険ですけど。
一緒に見て回っていると、「あっ! ○○が無くなっている」というような悲鳴があがります。見物のしるしに何かを頂いて帰ろうという不心得者が多いので、こういう場所でのボランティアの役割は大変です。
P-3の操縦席には防犯カメラが付けられたり、客席シートの灰皿は蓋が固定されたり、
実際に使う奴がいるので機上トイレを閉鎖したりと、つまらぬところでお金と神経が使われているのが情けないです。
その上、教育ママたちのトラウマにも悩まされます。ちょっとした可動部があれば、動かしたくなるのが人情でしょうが、「子どもが指を挟まれたら、どうしてくれるのよ!」等々、親としての監視や指導や教育を棚上げにして、施設側の責任を追及してくる馬鹿女のために、操縦の原理を知るべき可動部やヘリの回転翼などはどこもかしこも動かなくしていくのです。
盗難と馬鹿女対策は、何も航空博物館に限らずいずこの管理者も頭痛の種のようです。
まあ、批判はこのくらいにして、皆さん、大空ひろばへ行ったら必ず安田さんに挨拶してください。親切に教えてもらえるし、現役時代の隠れたエピソードを引き出すこともできますよ。
そしてF-104やT-3のコックピットに入れて貰って、束の間のパイロット気分を味わってください。にがうりさんと私の喜んでいる写真もありますが、公開は遠慮しておきましょう。
(10) 八戸駅前の駅弁当屋さん
明日は、三沢航空祭を前にしてブルーインパルスジュニアが科学館へ来るなど何かと忙しそうなので、いい加減に辞することにし、再びタクシーで三沢駅、特急白鳥で八戸へと帰り、ひと風呂浴びた後は,例によって、にがうりさんと一杯ということになります。
ご承知のように、東北本線八戸駅は市の中心からはずれたところにあり、賑やかな市街地は支線の本八戸駅前になります。本線が敷設されるときに、汽車が疫病を運んでくるというので、市街地を避けたという、明治時代の各地にあった反対運動のおかげだそうです。
そんな僻地の八戸駅前にいちはやく弁当屋を開いたのが「よしだや」でした。明治25年開通と同時に創業したということですから百十余年の歴史をもちます。駅のまん前にありますが、古い旅館様の大きな建物の座敷を利用して料理屋さんになっています。
活ホタテのにんにくバター焼き630円や大間マグロ680円なんてのを食べたと思いますが、疲れで酔いが回るのも早く、ほとんど忘れてしまいました。しかし、一品料理でも手のこんだつくりであったように思います。
明日の朝が早いし、カメラと電話機の充電などの大切な作業がありますので、今宵はこのあたりでと‥。
2007年9月1日(土)へ続く
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