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航空人生録・論文 掲載23/02/22
更新23/03/27



愛知99艦爆の空撮

 
北川 喜平


 

 先日 丹羽さんから豊田市にまつわる論文で挙母に存在した衣ヶ原飛行場の記事投稿を頂き論文として掲載しましたが、少し遅れて 北川さんから 1940年頃に伊保原飛行場を愛知時計電機が試験飛行場として開設、使用していたころの写真を投稿頂きました。
 同じ愛知県内ですが場所が少しことなり、当飛行場は後に名古屋航空基地として軍も使用したところです。
 北川さんの御父上が撮影されたということで経緯から説明いただいておりますので論文として紹介します。 (編)


愛知99艦爆の空撮

北川 喜平

  旧軍機をメインに扱う雑誌 ”丸” でも旧軍機だけではもたなくなってきたようで、現代機が雑誌のトップに来る時代になったようですね。
 旧軍機に関心を持つ人が少なくなって来たこの頃ですが、私が小さいころから自宅の引き出しにあった99艦爆の写真、旧軍機に関心のある人には画質が良いので見てもらえれば幸いです。

 なぜ今出すかといえばデジタルでスキャンしてパソコンで補正したらここまで綺麗になったので。 かなり昔 一度暗室でプリントしたことがあったのですが、ホコリや傷、濃度などの補正が今いちだったのですが、パソコンの標準ソフトでいい線まで行ったので見てもらおうと。

 まず撮影の背景ですが、父から生前に聞いておけば良かったのですが、当時は旧軍機に関心がなく、しかもプリント、ネガなどと引き出しに。
 この空撮の写真は父が開戦前の昭和14年ころ愛知時計のデザイナーとして名古屋に勤務していた時に ハインケル He70 高速輸送機(1機だけ輸入された)の内装デザインを担当することになっていて 同じ会社で作っていた99艦爆に体験搭乗のような形で乗って撮影したのだと思います(撮影対象の後席には同僚らしき人が)。 挙母の飛行場から飛んで宙返りなども体験していたようです。
 飛行服姿の写真も会ったのですが処分しました。 高速輸送機は戦争突入で実現しませんでしたが参考にしていた海外の航空雑誌が戦後まで家にありました。

 空撮写真に鮮明に映っている地上、戦前なので変わっているかもしれませんが愛知県の挙母の周辺だと思いますが。 挙母の飛行場が今のどのあたりか、写真の地上がどこあたりか分かれば面白いのですが、分かる人がいれば。
                           北川 喜平
   注:解決済です リンク参照
 
撮影 1940年頃 愛知県 挙母近辺上空と思われる 撮影 北川喜平 父 提供 北川喜平














後記 

  愛知99艦爆、フィルムサイズはセミ判で昔よくあった、ふたを開けると蛇腹が出てくるタイプのカメラで小学生の頃触ったことがありますがどこ製のカメラかわ分かりません。
 今の京都工繊大の図案科なので学校で写真は習っているはずです。
 ガラスの写真版が家に残っていました。 カメラにのシャッタ−スピ−ドはどれくらいか分かりませんがペラの感じから 当時はは今と違ってシャッタ−スピ−ド125から250くらいまでしかなかったと思うので、どちらかだと思います。

付録写真 撮影 詳細不明 撮影 北川喜平 父 提供 北川喜平  船舶拡大写真リンク 




 父が撮った愛知99艦爆の原画とイギリス在住のColorize作家Nathan Hawlandの作品

  父が撮った愛知99艦爆の空撮写真をFacebook lこ載せたところ、海外の人の反響が多く、そのうちの一人、ロン ドン在住の第二次大戦機を主にパソコンで、Colorizeされている  Nathan Hawlandさんより 6カ ットColorizedされたものが送られてきたので原画を参照しながら楽しんでください。(北川喜平)

撮影1940年頃 撮影 北川喜平 父 提供 北川喜平 Colorized : Nathan Hawland















 撮影場所判明

 Facebook lこ原画を出したとき|こ 99艦爆の飛んでいるところの地形から場所が分かれば教えてくださいと出したところ、原画上|こ 地名を入れて送つてくれた方がありました。
 送ってくれた方がわからないのですがワー ド上にコピーした後にメッセージ欄を見たのですが原画ごと消えていました、お礼も送らず失礼しました。
 右下の社、以前から熱田神宮と愛知時計の工場かなと思つていたのですがこの辺は地理不案内なので自信がありませんで した。 (北川喜平)