A3501-01 千葉市中央区千葉寺町 千葉寺
Takahasi and Shimada Pilot’s bust, Senyouji Temple, Cyuo-ku, Chiba City |
◎ 千葉寺境内 向かって右高橋信夫飛行士記念碑、左島田武夫飛行士記念碑
白戸飛行練習所の島田武夫飛行士と高橋信夫飛行士が相次いで事故死し、ショックを受けた白戸栄之助所長は練習所を閉鎖するとともに千葉寺境内の二人の胸像を建立しました。今は碑銘と碑文を刻んだ台座が残っているだけです。
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高橋飛行士の胸像原型(石膏)は、北海道岩内町郷土館にに展示されています。
撮影2012/06/18 大石治生
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故一等飛行機操縦士高橋信夫之像 碑銘と碑文
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故一等飛行機操縦士島田武夫之像 碑銘と碑文
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関連1
白戸飛行機練習所があったと推定される千葉市中央区 千葉市役所付近
国道357号の向かって左側がかって寒川海岸で、このあたりに白戸飛行機練習所があったと推定されますが、それを示すものは全くありません。
撮影2012/06/18 大石治生 横断橋がモノレール千葉市役所駅
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関連2 A3504-1から
白戸栄之助飛行士のプロペラ
美浜区稲毛民間航空記念館 撮影2007/01/16 小規模板工房
カーチスJN ジェニーのプロペラ
右側のプロペラです。これは白戸家では民間最初の水上機「白戸式巌号水上機」のプロペラと伝わっていたそうですが、「巌号」の写真と形状が明らかに違うことと、プロペラに押された「Curtiss」の焼印が決め手となり、ジェニーのものと鑑定されました。
伊藤飛行機研究所が入手したカーチスのエンジンの一部は、白戸飛行練習所に売られ「白戸式28号練習機」に改造された記録があり、そのときものと推定されています。ひょっとしたら茂木の「カーチス号」エンジンについていたプロペラかもしれません。(エンジンは「小栗式カーチス・ジェニー」のものかも知れませんが・・)
左側のプロペラは、白戸飛行練習所で白戸栄之助の右腕だった高橋信夫が地元の神社に奉納したものです。高橋は大正12年4月に事故死、その二ヶ月前の島田武夫の墜死と合わせ大打撃を受けた白戸は、その年の10月に飛行学校を閉じたと言われてい
ます。
記念館には高橋と島田両氏の操縦ライセンスや、白戸家に伝わる二人の遺影、白戸が書いた二人の墓碑が展示されており、愛弟子を失った白戸栄之助の悲しみが伝わってくるようでした。 (2007/01/31記 小規模板工房)
白戸栄之助飛行士の略歴
1986/11/12 |
青森県北津軽郡金木町に生まれる |
1906/12 |
陸軍気球隊へ入隊 |
1910 |
軍曹で退役 奈良原三次男爵のもとで徳川大尉から操縦を学ぶ |
1912 |
4月川崎競馬場、5月青山練兵場にて奈良原式4号鳳号
で飛行
民間操縦士第1号の名声を得る |
1912/05 |
稲毛海岸干潟で操縦訓練開始 伊藤音次郎を育てる |
1916/12 |
白戸飛行機練習所を開設 |
1923 |
2月に島田武男飛行士、4月に高橋信夫飛行士が殉職
10月 練習所を閉鎖し、木工業に転職 |
1938 |
没 |
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