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1999年航空科学博物館発行 転載許可済み

 

 
 大阪国際空港(伊丹)のビル屋上に展示されていたセスナ195
大阪府A5501が分解され、航空科学博物館(成田空港の南に隣接)に陸送されてきたのは1996年の11月だった。

 製造後45年近く経過した機体は、屋外で風雨に晒されていたため塗装は剥げて、ジュラルミンの外皮の一部や鉄製の部分は腐食が進み、破損し欠落した操縦席上部の風防の穴からの雨漏りで室内も荒れ放題だった。取りあえず博物館の裏庭で荷をほどき、再組立を待つこととした。

 1997年8月24日に胴体と主翼と水平尾翼に分解したまま格納庫に搬入し修復作業を行い、1999年6月6日から博物館入口の右側広場に機体を設置し展示している。

 第二次世界大戦後の1945年から1952年までの6年余りは、戦後日本に駐留した連合国軍の航空禁止令(1945年11月18日付)で、実験や研究を含む一切の航空活動を禁止された。1951年頃になると、航空に関する規制が徐々に緩和され、日本の空に自前で飛行機を飛ばせる体制ができつつあった 。

 航空法が1952年7月15日付で公布施行され、戦後のグライダーを除いた小型機の航空機登録第一号として、セスナ195にJA3001が与えられ、読売新聞社所有の取材機として活躍する こととなる。同じ時期に読売、朝日、毎日の新聞各社から第一号機を含めて5機のセスナ195の登録申請をしている。

 博物館に展示された機体は、朝日のJA3007で同年の7月25日に6番目に登録された。(JA3004は縁起をかついで欠番、JA3005のセスナ170の他は7番目までの5機はすべてセスナ195である。)

 この時期、航空再開に合わせて新聞各社は航空部を設立して、取材のための航空機を探していた。戦前から航空部の歴史のある読売、朝日、毎日は、台湾にあったCAT(米支合弁航空会社)が売り込んできた米人パイロット付きの中古セスナ195を買い入れた 。航空再開直後だったためパイロットの養成が間に合わず、セールスでは米人パイロット付きが条件だったが、朝日は1、2ヶ月遅れて2名が操縦士免許を取得し、その後は日本人の手による飛行を行っている。


 朝日はセスナ195を3機保有して、JA3003は「若風」JA3005を「そよかぜ」、そして今回博物館前に展示したJA3007は「朝風」と命名し、空からの取材で威力を発揮することとなった。なかでも展示の「朝風」はCATから新聞各社が購入した中古の3機とは異なり、1952年6月25日製造されたばかりの新品だった。

 ちなみに日本ではセスナ195は全部で7機が運用され、朝日の3機の他に読売、毎日で各1機、別に当時の北日本航空が2機を購入して、航空を再開したばかりの日本の空を飛行し活躍した。

セスナ195 登録一覧表

 

登録記号

登録年月日

抹消年月日

所属

ヒコーキ雲掲載

1

JA3001

1952/08/22

1966/08/23

読売新聞社よみうり101

 

2

JA3002

1952/08/12

1960/04/26

毎日新聞社オリオン

 

3

JA3003

1952/07/25

1953/11/04

朝日新聞社若風

 

4

JA3005

1952/07/25

1965/12/23

朝日新聞社そよかぜ

 

5

JA3007

1952/07/25

1966/04/30

朝日新聞社朝風

大阪府A5501 千葉県A3502

6

JA3068

1953/09/09

1959/11/19

北日本航空

 

7

JA3069

1953/09/09

1967/05/31

北日本航空

東京都A3612         

 

 セスナ195は、1944年にアメリカで最初190シリーズとして試作され、1947年からは195型が、戦後初の全金属製、流線型ビジネス兼自家用機として生産を開始し、1953年までに872機が販売された。エンジンは空冷式星型7気筒300馬力のガソリン・エンジンで、名称はジャコブスR−755A2型である。

 大阪国際空港(伊丹)での展示では、エンジンは鉄骨にべニヤ板と厚紙で制作した模造品が取付けられており、長期の屋外展示で劣化、破損していた。このため今回はアメリカから輸入して実エンジンを装着することにした。

 アメリカでは、何機かのセスナ195が実際に飛行しており、関係者に依頼して物色していたところ、チノの飛行場で機体から取り卸したばかりのジャコブスのエンジンが見つかったとの連絡を受け、早速購入し輸入手続をお願いした。

 サンフランシスコから船便で出荷されたエンジンは、1998年11月末に清水港に入港し、陸送されて博物館に到着した。開梱して点検したところ何カ所かが破損しており、運転は不可能であったが 、展示のみに限定して利用する目的で、一部に手を加えてそのまま使用することにした。
 
 1999年1月16日にエンジンを機体に装着し、プロペラを取り付けたが、格納庫内でクレンを使って47年半前に製造された機体と、1998年の秋まで実際にアメリカの空で飛行に供されていたエンジンが、無事にドッキングしプロペラが組み合わされた時は感激だった。



 星型エンジンは通常、後面にスターターを始め種々のエンジン補機が取り付けられており、カウリングでエンジンを覆うと見られなくなってしまうため、補機類を取り外して別にケースに入れて見られるようにした。キャブレターはエンジンの下部に装着したままで見られないが、スターターの他に発電機、燃料ポンプ、吸引ポンプ、吸引圧力調整器、プロペラ・ガバ ナー、マグネト(点火栓用発電機)、昇圧コイル、配電盤をケースに納めて、機内の後部座席に設置してあり自由に観察できる。

 点火栓はシリンダー内で、圧縮状態で空気とガソリンの混合気に火花を放って爆発させピストンを作動させるものであるが、航空機のエンジンでは一つのシリンダーに2本の点火栓が取り付けられ、それぞれが別の系統で作動する。
 ジャコブスR−775A2エンジンは2つの点火系統のうち一方はマグネト(発電機)、他系統は自動車のエンジンと同じバッテリーの電気を高圧にして作動させる昇圧コイルが装備されている。

 同じ規模の空冷式星型エンジンでは、2系統共に同一型式マグネトを使用し、シリンダーの数も7より9気筒のものが普通である。この意味からもジャコブスR−775A2のエンジンは保存価値がある。  
(実物が都立航空高専広島県坂町にある) 

 空冷式星型エンジンを機首にとりつけた単発機の場合、空冷式水平対向型エンジンと比べて断面積が大きくなり、操縦席からの見通しが悪い、加えてセスナ195は尾輪式のため座ったままでは、殆ど前方を確認できない。誘導路のセンター・ラインを確認して、通過するのにアルファベットのS字型を描いて走り横の窓からラインを見ながら前進したこともあったようである。
 
 セスナ社は1927年以来小型機を作り続けてきて、戦後第一回作品の120型以降も各種の単発の高翼機を製造しているが、翼を支えるための支柱がない片持式高翼形式は195型だけである。翼と胴体の継ぎ目には左右で合計16本の高張力ボルトで接続されている。

 補助翼はスプリット・フラップで主翼後縁の下面にこじんまりと取り付けられており、注意して見ないと見落としてしまう。滑走路の長い飛行場では使用しないこともあったと聞いている。


 総重量は約1.5トンでジャコブス・エンジンに可変ピッチ・プロペラを装備している。5人が搭乗して巡航速度は時速約260kmで1,200km以上の航続距離があった。

 今回の復旧で室内は破損が激しく復元するにも、もとの材料もないため全面的に修理して改装した。天井と横壁とドアー内側にはアルミ板を張り、その上に茶色のフェルト布を接着し、座席についても同じ材料を使って同じ方法で改修した。床面には緑色のビニールシートを敷き、室内は経と茶色で統一した。

 残念だったのは計器盤の復旧で、本来の計器の配列が判明しないうえ、欠品の計器の補充も思うにまかせず、結局は新旧の型式の計器で穴埋めしただけに終わってしまったことである。補充した計器は速度計、高度計、昇降計等の10点である。エンジンと各種レバーのつながり、例えばキャブレターとスロットル・レバーの接続、それに操縦梓と操縦索の接続も分断されたままである。

 JA3007は朝日では取材機だったので、床面のカバーをめくると写真撮影用の穴があり垂直写真が撮れる。後部座席両側の撮影のための取り外し可能な窓は、透明アクリル板の劣化と取付、取外し用ファスナーが腐食していたため新品のアクリル板に取り替え、ドアーや機体の窓枠に直接固定して取り付けた。このため現在は窓を外しての斜め写真の撮影はできない。

 操縦室の風防は透明アクリル樹脂を成型した一枚板である。博物館に搬入された時は、天井部分で2カ所に合わせて約500平方センチメートルが欠落して穴があき、他の部分は幾本もの線が走り劣化して透明度も落ちていた。大阪国際空港の展示では欠落部分の内側にアクリル板のあて板をして、雨漏りを防止していたようだったが搬入当時はそのあて板も殆ど無くなっていた。

 今回の修理では欠落している2カ所に同じ形状と厚さのアクリル板を取付けて埋めた。しかしこのままでは接着が難しく雨漏りも止められないため、欠落部分よりもー回り大きなアクリル板をダブルにして上から被せて、接着して何カ所かビス止めし、コーキングを施して雨漏りを防いだ。

 屋外展示では雨漏り防止の他に強風対策も重要である。セスナ195は高翼機のため特に風の影響を受けやすくそれ相応の対策が必要である。展示ではいったん場所が決まると機体を移動する機会は少ないが、今回は設置した場所からでも容易に移動ができるよう、また強風でも車輪がまわって機体が移動してずれないよう方策を考えた。主車輪、尾輪の下に鉄板を敷き主車輪では主柱を立て、主脚のジャッキ・ポイントをこの上に乗せ、尾輪は車軸に長いボルトを通して架台に固定した。

 強風による動翼の振れ防止には「翼ばさみ」を作って差込み、着脱可能にして、翼や動翼に穴をあけたりボルトを通したりして本体を傷をっけないよう配慮した。
 
 計器盤を始めとして内部の復元では配置、欠部品、接続等で完全とはいえない状態ではあるが、1999年5月末には、塗装店に依頼していたオリジナルの「朝風」の外装について、ほぼ完全な状態で復元することができた。
千葉県A3502



 この作業にあたっては、博物館の職員の応援はもとより、ボランテアの皆様、特に矢崎(元日本郵船、機関士)、木内(成田航空専門学校、教授)両氏の協力が大であったことを記す。

                                     1999,07,15 金澤理勝

 

参考文献

日本航空史年表 証言と写真で綴る70年 日本航空協会
日本民間航空史話 日本航空協会
日本航空史 (下) 1941〜1983年 朝日新聞社
航空70年史 隼からおおすみまで(1941〜1970) 朝日新聞社
日本航空機辞典 「下巻」 昭和26年〜平成元年 モデルアート社
ジェーン年鑑 1953〜1954年  LEONARD BRIDGMAN
JAPANESE CIVIL AIRCRAFT REGISTERS SINCE 1952 2nd EDITION 日本航空機研究会
 

◎ セスナ195 JA3007 朝日新聞社「朝風」号

JA3007の経歴

1952/06/25 ロールアウト c/n7870 N1578D
1952/07/25 JA3007登録 朝日新聞社朝風 定置場東京国際空港
1953/03/10 宇都宮で中破 修復
1966/04/30 老朽廃棄 抹消登録 総飛行時間 3360時間27分
  大阪国際空港ビルに展示 大阪府A5501
1997/08/24 航空科学博物館へ移転 再組立作業開始 上記
1999/06/06 航空科学博物館玄関に展示

 撮影2022/01/02  酒井収



2007/03 再塗装後  金澤理勝

撮影2000/08/26 出展:ELINT人

撮影2003/03/25 出展:ELINT人

撮影2009/11/15 MAVERIC


ヤコブスエンジンの銘板
 撮影2009/11/15 MAVERIC