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千葉市美浜区 稲毛民間航空記念館

 思い出 奈良原式四号鳳号のジャンプ飛行  
          鳳号の絵はがきと 国際航空宇宙展(幕張メッセ)での展示

 いしぶみ 民間航空発祥の地碑

:現地に展示または保存中のもの ×:過去のもの :現状不明

A3506-1 千葉市美浜区 稲毛民間航空記念館
     Inage Civil Aviation Commemoration Center, Mihama-ku, Chiba City  

                         
 稲毛民間航空記念館 1989年4月開館
                                                     

 
2012年展示更新 撮影2012/06/09 大石治生

外から展示品を見えるように配置   ツエッペリン飛行船の模型など


飛行船スカイシップ 500(JA1003)のポルシェ01/A1/3エンジン 日本飛行船事業鰍ゥら寄贈
 

模型展示
 

 

奈良原式四号鳳(OTORI)号 レプリカ

 1909(明治42)年に発足した臨時軍用気球研究会に海軍から参加した奈良原三次氏は、自分自身でも気球と飛行機の設計を行い1909年8月には特許もとっておりました。
 最初の作品である奈良原式1号は同年10月に完成しましたが地上滑走だけで浮上しませんでした。
 東京飛行機製作所に作らせた奈良原式2号は徳川、日野大尉初飛行の翌1911(明44)年、所沢で飛行に成功し、国産機による初飛行記録となりました。
 このときの着陸ミスで壊れたプロペラや脚を修理改造したのが奈良原式3号ですが、これも突風のため破壊されました。

 海軍を退職した奈良原氏は、更に改良を重ねた奈良原式4号を東洋飛行機商会で製作し、当時活躍した横綱の名をとって鳳(OTORI)号と命名しました。鳳号は試験飛行で良好な成績をあげ、奈良原氏はこれをもって全国巡業を行います。

 その間に所沢飛行場が民間飛行士の練習を締め出したため、1912(明45)年5月千葉県の稲毛海岸に東洋飛行機商会の専用飛行場を設け、門下生の伊藤音次郎、白戸栄之助らとともに練習を行いました。この日本初の民間飛行場から飛び立った始めての民間航空機が奈良原式四号鳳号でした。  参照

撮影2002/12/22  シシオ


撮影2004/06/19  佐伯邦昭                                                
鳳号のプロペラ

白戸栄之助飛行士のプロペラ 撮影2007/01/16  小規模板工房

カーチスJN ジェニーのプロペラ 

 右側のプロペラです。これは白戸家では民間最初の水上機「白戸式巌号水上機」のプロペラと伝わっていたそうですが、「巌号」の写真と形状が明らかに違うことと、プロペラに押された「Curtiss」の焼印が決め手となり、ジェニーのものと鑑定されました。

 伊藤飛行機研究所が入手したカーチスのエンジンの一部は、白戸飛行練習所に売られ「白戸式28号練習機」に改造された記録があり、そのときものと推定されています。ひょっとしたら茂木の「カーチス号」エンジンについていたプロペラかもしれません。(エンジンは「小栗式カーチス・ジェニー」のものかも知れませんが・・)

 左側のプロペラは、白戸飛行練習所で白戸栄之助の右腕だった高橋信夫が地元の神社に奉納したものです。高橋は大正12年4月に事故死、その二ヶ月前の島田武夫の墜死と合わせ大打撃を受けた白戸は、その年の10月に飛行学校を閉じたと言われてい
ます。
 記念館には高橋と島田両氏の操縦ライセンスや、白戸家に伝わる二人の遺影、白戸が書いた二人の墓碑が展示されており、愛弟子を失った白戸栄之助の悲しみが伝わってくるようでした。 (2007/01/31記 小規模板工房)

白戸栄之助飛行士の略歴 稲毛民間航空記念館発行の解説書から

1986/11/12 青森県北津軽郡金木町に生まれる
1906/12 陸軍気球隊へ入隊 
1910 軍曹で退役 奈良原三次男爵のもとで徳川大尉から操縦を学ぶ
1912 4月川崎競馬場、5月青山練兵場にて奈良原式4号鳳号 で飛行
民間操縦士第1号の名声を得る
1912/05 稲毛海岸干潟で操縦訓練開始 
1916/12 白戸飛行機練習所を開設
1923 2月に島田武男飛行士、4月に高橋信夫飛行士が殉職 
10月 練習所を閉鎖し、木工業に転職
1925/05 千葉寺に両飛行士の胸像を建立 A3501-1
1938
グライダー プライマリー C-5131

 

 

 

 

 

 

 

 

  鳳号の上に吊るされた、この記念館のもう一つの実機展示ながら記されることのほとんど無いプライマリー復元機(文部省1型初級滑空機C-5131)ですが、この機体も調べるといろいろ面白い話が出てきます。

 昭和15年、文部省は中学校へのグライダー普及のため、ドイツのプライマリーグライダーを参考に「文部省式1型」を発表。全国の中学校で使用されました。
 さらに普及を計るべく、翌昭和16年の7月から8月にかけて、文部省主催で学校教員を対象にした初級滑空機の製作講習会が大阪で開かれました。そこに千葉県代表として参加した千葉工業学校の非常勤講師を中心に、昭和17年4月より滑空部員の手でグライダーの製作を開始。材料と設計図を伊藤飛行機から仕入れ、土日と夏休みを潰しての作業、途中航空局の検査を3回に渡り受けた末、9月半ばにようやく完成。
 C-5131の機体番号が与えられ、校長の手で初飛行が行われました。全国でも学生の手でグライダーが作られたのは非常に珍しことだったようです。千葉工滑空部はこの機体で活躍するものの、昭和20年7月の千葉空襲で格納庫共々灰になってしまいました。
 昭和63年、グライダー製作に参加した生徒の一人大野輝夫氏より、復元機が千葉市に寄贈されました。(2007/01/31記 小規模板工房)

日航製造YS-11のプロペラ
日本海軍Sea Scout-1飛行船のプロペラ