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新宿区四谷 消防博物館

現地に展示または保存中のもの ×:過去のもの :現状不明

A3604-2 東京都 Tokyo Metropolitan  新宿区四谷 消防博物館
      
◎ 消防博物館の展示機 
 
 アエロスパシアル SA365N ドーファンUJA9569

JA9569の経歴

1982/03/03 c/n1376 東京消防庁に引渡 ドーファン型1号機 定置場東京ヘリポート
1997/06/03 抹消登録
2009/03 消防博物館1階に展示   撮影2010/03/09 MAVERIC
                                                                                 

撮影2010/03/09 MAVERIC
 



アリエル1C1エンジン 撮影2010/03/11 MAVERIC
 

 アエロスパシアル SA316B アルウェットV JA9020

JA9020の経歴

1967/03/01 c/n1376 東京消防庁に引渡 ちどり号 定置場東京ヘリポート
1983/02/03 抹消登録
  消防博物館1階に展示

撮影2002/07/04  佐伯邦昭
 

     

       

 

◎ アエロスパシアル SA316B アルウェットV JA9071 c/n1877

JA9020の経歴

1972/03/10 c/n1877 東京消防庁に引渡 かもめ号 定置場東京ヘリポート
1988/08/17 抹消登録
  消防博物館5階屋上に展示

2007年の状況 

撮影2007/08/28  ELINT人
 

 


2002年の状況

撮影2002/07/04  佐伯邦昭
 
 道路をはさんで向かい側のビルから撮影させてもらいました。 作業員が再塗装のためマスキングの新聞紙を貼っておりました。マニアには滅多にお目にかかれない状景です。 
 

再塗装完了後の写真 撮影2002/7/18  消防博物館


東京消防庁の文字色が変わっています。     

 

A3604-3 東京都 Tokyo Metropolitan  新宿区西五軒町 国産飛行機発祥の地掲示
                        
◎ 国産飛行機発祥の地 掲示 撮影2005/06/05  ogurenko

 日野大尉は、東京牛込五軒町の林田という人の全面的な協力で一号機を製作し、明治43年3月18日に戸山が原で飛行に挑戦しました。結果は失敗でしたが、次に挑戦した奈良原式1号機に先立つこと半年前でした。

 日野大尉が制作したエンジンの詳細は残っていませんが、後に津田沼の伊藤飛行機研究所にあったのを中正夫さんが見ており、その記憶では水冷式25馬力、2ストロークの吸入・掃氣式で回転数は1000rpmくらいだったとのことです。航空情報1959年4月号に中さんが エンジンのスケッチを描いています。

 戸山が原のことを徳川好敏氏は「わずか200mの射撃場に大勢の見物人が出て混雑し、思うような滑走もできなかったため」とかばっています。その1年後の明治43年4月11日日野、徳川両大尉は航空知識を学ぶためにヨーロッパへ向けて出発したのです。

 私は、海軍の中島知久平、陸軍の日野熊蔵を先見的航空技術者として見ていますが、飛行機一筋に突き進んだ中島に比べると、日野は 陸軍軍人でありながら孫文の革命を支援したりする自在な発想をする人物で、そのためか初飛行後もやや右往左往的なところがあって歴史家から正当に評価されていません。

 一例 = 日本航空協会編纂の日本航空史年表には奈良原男爵の戸山ケ原での滑走は書いてありますが、なぜか日野式一号機については一言も触れてい ない。

 林田商会の建物などの痕跡ははもちろん無いようですが、ここに国産飛行機発祥の地の看板を目にしてわが意を得たりです。  佐伯記(関連 図書室30 日野熊蔵伝参照