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西東京市 IHI田無工場跡 おおぞら公園
IHI田無工場 ネ・20エンジンj
中島飛行機株式会社武蔵野製作所殉職者慰霊碑
田無ファミリーランド

:現地に展示または保存中のもの ×:過去のもの :現状不明

A3653-1 東京都 Tokyo Metropolitan  西東京市向台町3丁目 おおぞら公園 
                        
 西東京市おおぞら公園のジェットエンジンのふる里記念碑 撮影2009/06/07  にがうり

 















その他

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A3653-2 東京都 Tokyo Metropolitan  西東京市 石川島播磨重工 田無工場 
                        
 空技廠 ・石川島重工 ネ20エンジン(橘花搭載)

A3636-1 IHI そらの未来館へ展示

 

A3653-3 東京都 Tokyo Metropolitan  西東京市東伏見1丁目 東伏見稲荷神社 
                        
 東伏見稲荷神社境内 中島飛行機株式会社武蔵野製作所殉職者慰霊碑 撮影2009/07/20  れすお

 

碑文

内容に歴史的価値があるので下記に書き写しました


                建設之由来
中島飛行機株式会社は大正6年12月群馬県太田町に創立され終戦後富士産業株式
会社と改称した。昭和13年5月北多摩郡武蔵野町西窪に武蔵野製作所が建設され昭
和16年11月隣接地に多摩製作所が増設され陸海軍に分かれ生産を行った。

昭和18年10月時局の要請により両製作所を合併して武蔵製作所と呼称するに至った。
この間従来の従業員に日本全国からの徴用工員男女動員学徒を加えその総数は5万
人に及び日夜生産に励み国内第一の航空発動機工場となった。

米軍は日本空軍の補給力を全滅するため武蔵製作所を本土編隊爆撃の第一目標とし
昭和19年11月24日の空襲以来終戦まで十数回の爆撃が行われ、爆弾五百発が命中し
二百余名の殉職者と五百名を超える負傷者を出し工場は全く廃墟と化してしまった。

武蔵野製作所はこの爆撃のため終戦後平和産業に転換することができず富士産業株式
会社が武蔵整理部として整理業務に専念し毎年11月24日を迎える度に戦争の恐怖と罪悪を想起すると同時に平和日本の礎となった殉職者の霊を慰める祭祀を行った。 

昭和23年11月占領下でもあるに拘わらず慰霊碑の建立を企図中島飛行機株式会社武蔵野製作所殉職者慰霊碑建設委員会を組織し有志の浄財をもって武蔵野製作所稲荷神社跡に
慰霊碑の建立を行い同時に殉職無縁者永代供養のため武蔵野市源正寺に供養碑
を建立した。昭和23年12月東伏見稲荷神社司祭により遺族を迎え除幕式並びに慰
霊祭を挙行した。 

爾来武蔵野整理部従業員有志によってささyかながら祭祀を続けてきたが慰霊碑の完全な
保存と永代祭祀のため当初より多大の助力をされた東伏見稲荷神社の好意により境内に
遷座することになった。昭和39年11月に遷座を完了し翌12月全国より遺族を招き遷座祭
並びに二十年祭を挙行した。慈に慰霊碑建立の由来を記述して後世に伝え平和日本の礎となった中島飛行機株式会社武蔵野製作所殉職者の霊を永えに慰めんとするものである。
     
昭和39年12月5日
                       中島飛行機株式会社武蔵野製作所
                       殉職者慰霊碑建設委員会

 

A3653-1 東京都 Tokyo Metropolitan  西東京市 田無ファミリーランド 
                        
 西東京市のパイパーPA-28-140 JA3412 撮影2002/12/30 出展:シシオ