1971年 日本国内航空と東亜航空の合併東亜国内航空の発足
東亜国内航空の発足
1969年、政府主導による赤字航空会社救済の最後の仕上げともいうべき、
日本航空+日本国内航空 全日空+東亜航空
という二社体制へのシナリオは、全日空と東亜の協議決裂で暗雲に乗り上げましたが、日本国内航空サイドの東急電鉄と東亜サイドの不二サッシの両大株主が歩み寄り、政府もそれに引きずられて二社体制をあきらめ、日航、全日空に次ぐ第三の幹線航空会社を認めるに至りました。かくして生まれたのが東亜国内航空株式会社(資本金95億2500万円)、新会社の登記は1971年5月15日でした。
旧国内航空は、ちょうど1か月前の4月15日に初飛行をして、5月7日に引渡を受けたYS-11A-217 製造番号2157 JA8776 愛称しれとこに「東亜国内航空」の塗装を施してデビューさせ、併せて、ターミナルビル屋上の宣伝機体(強度試験機)も、新ロゴのしれとこに塗り替えました。
航空情報1971年8月号から
ターミナルビルの宣伝機体 撮影1971 KUPANBA
A6401 広島県広島市西区 広島西飛行場 旧広島空港 Hiroshima Airport , Hiroshima City, Hiroshima Prefecture | ||||||
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A3613-3 東京都渋谷区 東急百貨店 "Flying FAR " Tokyu Departmet, Shibuya-Ku, Tokyo Metropolitan | ||||||||||
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