(1) 2005/01/18 撮影と文 特定非営利法人立川航空宇宙博物館 香田隆正 航空歴史館総目録41に金田元之助氏による九七重赤石岳登山探索が詳しく載り、私は少なからず衝撃を受け、是非鎮魂の登山をと古い地図を引っ張り出し検討していたところ、日替わりメモ662で当機が既に撤去されていたことを知りました。文中、佐伯さんは発掘しなければならない「普遍」があると書いておられます。
そこで私どもの写真資料から神奈川県丹沢山(1567m)の東面を突き上げるキューハ沢(国土地理院地図ではキュハ沢)に眠る星型エンジンの写真を参考に送ります。撮影は1983年10月23日(日曜日)ですので、現在は崩れてきた岩に埋まっているかもしれません。
追伸
金田氏の文中「近くの山にB-29が‥」とありますが、当方所有の地図に赤石岳九七重地点と尾根をはさみ反対長野県側の大鹿村に○をし、B-29との文字が記入してあります。書いた本人が忘れてしまって恐縮ですが、このB-29や、常念岳に墜落したF-86等を含め詳細を知りたいところです。
ところで何をもってこのエンジンの形式・名称を判断するかですが、当方には細かい寸法等の関係資料がありませんので、東京の交通博物館に展示してある誉エンジンの
プロペラシャフト径
ノーズケース取り付けボルト間隔
シリンダーベースナットの間隔
リングギアの歯数
等を比較して、当該エンジンは「誉」であると推定しました。ヒコーキ雲諸兄の判断を仰ぎたいと存じます。
高度計はもちろん墜落機のものではありません。 現地の高度確認のため持参しました 現地高度 851m
木谷川出会いより680mの地点です
国土地理院1/25000地図リンク
http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgiid=53391150&slidex=0&slidey=2000
往時茫茫 何を想うか誉発動機
(2) 2005/01/19 丹沢は飛行機乗りの鬼門 マシラ(登山家)
佐伯さん、我がHPマシラの部屋(丹沢の尾根と沢)へ訪問 歓迎します。
http://HOME・SITEMAPpage2.nifty.com/mashira2/hon/kiyuha/kiyuha2.htm
エンジンは正確には9発×2列のエンジンです。何という飛行機に備えられたものなんでしょうか。教えていただければありがたいです。写真は探していいのがあったら送ります。しばらくお持ちください。
ところで上記のレポートは見覚えのある場所です。まさしく前回、この場所でこけて膝を打った場所なんです。
そう言えば、30年ほど前にここかもう一つ上の滝の下で主翼状のものが半ば埋もれていて、それを足場に滝を登った記憶があるのです。今では見あたりませんが、山の先輩は「B29のだ」と言っていました。あっていたかどうかは分かりません。でも図書館でこのあたりでB29の搭乗員を捕らえ憲兵に引き渡したとの記述を読んだ記憶があり、戦闘機や爆撃機の残骸の集積するここキューハ沢は飛行機乗りの鬼門と言って良いのかもしれませんね。
佐伯から : マシラさんの丹沢単独登山は途中まで自転車というあたりから、意外な展開ですし、知り尽くした上での克明な描写に惹きこまれます。ちと長いので読む方も疲れはしますが。
昨日は飛燕で、今日は疾風かも?という記述もありますが、国産の9発×2列のエンジンなら疾風の誉エンジンの可能性が大です。
星型エンジンは、シリンダー点火順の関係から1列の配置は7とか9の奇数です。7気筒が2列になれば空冷星型複列14気筒、9気筒が2列になれば空冷星型複列18気筒となります。
空冷星型複列14気筒の代表的なものは、中島の栄で零戦などに搭載されました。
空冷星型複列18気筒の代表的なものは、中島の誉で疾風や紫電改などに搭載されました。
それから飛燕系には2種類あって、3式戦と呼ばれる通常の飛燕は液令エンジン、その液令エンジンの生産が間に合わなくて3式戦の胴体に三菱の金星(複列14気筒)を搭載したのが5式戦と呼ばれます。
丹沢については、にがうりさんからもメールがあり、銀河らしき残骸と極光らしき残骸の噂があったそうです。極光は銀河を夜間戦闘機にしたもので、飛行機野郎の部屋(201002現在消滅)に「残骸が丹沢山中で発見され地元公民館に展示されている(?) 」と書いてあります。
いずれにしてもマシラさんの「キューハ沢は飛行機乗りの鬼門」という表現もうなずけますが、関東平野の上空で繰り広げられた熾烈な戦いの痕が、今にして山中に見られるわけで、残骸の素性が明らかにされたうえで静かに眠ってくれるよう祈らずにはおれません。
(3) 2007 木製の慰霊碑 撮影と文 ホームページマシラの部屋(丹沢の尾根と沢)制作者 ほりさん
撮影1999/05/02
碑は砂防堤脇の大きな岩前に風雪をうまくよけるようたてられています。
おそらく、ここまでの参道もあったのでしょうが今では険しい道になってしまい訪れるのは限られた人だけでしょう。
墓標そのものはいつ建てられたものか分かりませんが、年とともに朽ちていくのが分かります。前回来たときよりも台座はだいぶ土に埋まり、基礎部分は見えなくなっています。同じように木の墓標も何文字かかすれて見えなくなり 『・昭和・・・・・・一同・・・・』 とわずかに四文字が判読できるだけです。
マシラの部屋(丹沢の尾根と沢 )から転載キューハ沢入り口の砂防ダムのところ にコンクリートで固めたエンジンがあり、そばに木製の慰霊碑が建っています。
撮影2000/11/02
撮影2001/10/07
白い輪っぱ状のものは、花輪の台でスチロール状のものでできています。
遭難碑を建てたメンバーが何回目かに参った時に造花をささげたものと思います。 そのとき一緒にウイスキーもささげられたのでしょう。供えられているスコッチGRANT & SONSは少しだけ酒量を減らしているように思えるのは気のせいでしょうか。
撮影2004/11
戦闘機や爆撃機の残骸の集積するここキューハ沢は飛行機乗りの鬼門と言って良いのかもしれませんね。
佐伯から : マシラさんの丹沢単独登山は途中まで自転車というあたりから、意外な展開ですし、知り尽くした上での克明な描写に惹きこまれます。ちと長いので読む方も疲れはしますが。
昨日は飛燕で、今日は疾風かも?という記述もありますが、国産の9発×2列のエンジンなら疾風の誉エンジンの可能性が大です。
星型エンジンは、シリンダー点火順の関係から1列の配置は7とか9の奇数です。7気筒が2列になれば空冷星型複列14気筒、9気筒が2列になれば空冷星型複列18気筒となります。
空冷星型複列14気筒の代表的なものは、中島の栄で零戦などに搭載されました。
空冷星型複列18気筒の代表的なものは、中島の誉で疾風や紫電改などに搭載されました。
それから飛燕系には2種類あって、3式戦と呼ばれる通常の飛燕は液令エンジン、その液令エンジンの生産が間に合わなくて3式戦の胴体に三菱の金星(複列14気筒)を搭載したのが5式戦と呼ばれます。
補足 : このページに関連して寄せられた情報
1 銀河または極光の残骸があったという噂
2 飛燕または疾風の残骸があったという噂
3 戦中にB-29が墜落し、捕虜を憲兵に引き渡したという噂
4 戦後にB-29が墜落したが、すぐに米軍が来て撤去したので証拠品は何も残っていないという証言(清川村役場)
5 ほりさんの先輩が、翼の残骸を指して、日本機は鋲で留めてあるが、これは溶接だからアメリカのものだと説明した話等々、調査に値すると思われるものが少なくありません。
上記ふたつの星型18気筒エンジンも謎に包まれていますし、特に花輪やスコッチウイスキーが供えられている慰霊碑というのが、B-29関連で米国人もしくは基地の日本人が建てたものではないだろうかなど、想像の世界が広がっていきます。皆さんからの情報提供を待ちます。(4) 2009/10/14 丹沢キューハ沢誉エンジンの悲しい現況 イシオ はじめまして、丹沢キューハ沢「誉」エンジン下流側、2009年10月現在の写真を送ります。
本体に切込みが入れられています。
誰がどういう目的で行ったのでしょうか?
価値観は人それぞれなのですがこれでよいのでしょうか?
法律的にはこのエンジン、どのような立場なのでしょうか?
廃棄物なのでしょうか?
このような物はもはや歴史的遺産は大げさとしても後世に伝えていくべきものではないでしょうか?大変残念です。
近いうちに全て持ち去られて歴史的事実も何もかも忘れられていきそうで心配です。
64年間保ってきた形は今年崩れました。
崩れた物は元通りにはなりませんからこれ以上進行させたくないですね。このまま静かに他の機関に頼らず私たち個人レベルで見守る事は不可能でしょうか?
不可能でしたら何かの団体に管理してもらいたいです。出来ればこの場所で。
(5) 搭乗員のお孫さんか? はねぶたさんから 5 2010年9月に銀河や月光の部品図が大量に発見されたそうで、上野の”空と宇宙展”で一部が展示されているそうで。今頃ニュースになっているのを知ったのですが、これに関して別の興味深い情報を見ましたのでお知らせします。
読売新聞2001/12/17群馬版 旧海軍機の設計図1万枚
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20101216-OYT8T01173.htmこの記事を紹介したブログ http://slashdot.jp/artiAHes/10/12/18/0125220.shtml に次のような書き込みがあります。
じーちゃんが銀河乗りでした。
それまで太平洋に眠るってことだったんですが、昭和56年に丹沢山中に銀河の残骸が発見されて訂正されました。
「昭和19年11月27日、厚木飛行場からB29の迎撃に向かい丹沢山に眠る。」少し離れたところでB29の残骸も発見されて、空中戦のうえ尾根に激突したということでした。誉のエンジンブロックがそのままの形で残っていたのが決定打で、発見当初は新聞記者やテレビカメラまできて子供ながら興奮した記憶があります。残念ながら匿名投稿ですが、内容は「キューハ沢 ハ-45誉発動機か?」で取り上げている機体と思われます。少なくとも、当時当該機の搭乗員と考えられた家族には取材があった程度にニュースになったらしいと読み取れます。
更に想像をたくましくすると、ひょっとするとどこかで我々マニアが見ている誉の中に、実はキューハ沢付近から回収されたものがあるのかもしれません。
1 akizukiさんから 2005/01/26
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