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航空歴史館 いしぶみ

神奈川県 丹沢山系の航空機残骸

目 次

  @ キューハ沢 ハ-45誉発動機か?
    (1) 2005 誉エンジンと推定
    (2) 2005 丹沢は飛行機乗りの鬼門
    (3) 2007 木製の慰霊碑
    (4) 2009 丹沢キューハ沢誉エンジンの悲しい現況
   (5) 搭乗員のお孫さんか? 
A  蛭ヶ岳東方 銀河の残骸 その1
B  蛭ヶ岳東方 銀河の残骸  その2
@ キューハ沢 ハ-45誉発動機か? 
 

(1) 2005/01/18 撮影と文 特定非営利法人立川航空宇宙博物館 香田隆正

 航空歴史館「南アルプス赤石岳の九七式重爆の消息 同慰霊碑AH-1944c」に金田元之助氏による九七重赤石岳登山探索が詳しく載り、私は少なからず衝撃を受け、是非鎮魂の登山をと古い地図を引っ張り出し検討していたところ、日替わりメモ662で当機が既に撤去されていたことを知りました。文中、佐伯さんは発掘しなければならない「普遍」があると書いておられます。

 そこで私どもの写真資料から神奈川県丹沢山(1567m)の東面を突き上げるキューハ沢(国土地理院地図ではキュハ沢)に眠る星型エンジンの写真を参考に送ります。撮影は1983年10月23日(日曜日)ですので、現在は崩れてきた岩に埋まっているかもしれません。

追伸
 金田氏の文中「近くの山にB-29が‥」とありますが、当方所有の地図に赤石岳九七重地点と尾根をはさみ反対長野県側の大鹿村に○をし、B-29との文字が記入してあります。書いた本人が忘れてしまって恐縮ですが、このB-29や、常念岳に墜落したF-86等を含め詳細を知りたいところです。

ところで何をもってこのエンジンの形式・名称を判断するかですが、当方には細かい寸法等の関係資料がありませんので、東京の交通博物館に展示してある誉エンジンの
 プロペラシャフト径
 ノーズケース取り付けボルト間隔
 シリンダーベースナットの間隔
  リングギアの歯数
等を比較して、当該エンジンは「誉」であると推定しました。

 ヒコーキ雲諸兄の判断を仰ぎたいと存じます。

 
高度計はもちろん墜落機のものではありません。 現地の高度確認のため持参しました

現地高度 851m

木谷川出会いより680mの地点です

国土地理院1/25000地図リンク
http://watchizu.gsi.go.jp/cgi-bin/watchizu.cgiid=53391150&slidex=0&slidey=2000

 

 
往時茫茫 何を想うか誉発動機

(2) 2005/01/19  丹沢は飛行機乗りの鬼門 マシラ(登山家)

 佐伯さん、我がHPマシラの部屋(丹沢の尾根と沢)へ訪問 歓迎します。
 http://HOME・SITEMAPpage2.nifty.com/mashira2/hon/kiyuha/kiyuha2.htm

 エンジンは正確には9発×2列のエンジンです。何という飛行機に備えられたものなんでしょうか。教えていただければありがたいです。写真は探していいのがあったら送ります。しばらくお持ちください。

 ところで上記のレポートは見覚えのある場所です。まさしく前回、この場所でこけて膝を打った場所なんです。

 そう言えば、30年ほど前にここかもう一つ上の滝の下で主翼状のものが半ば埋もれていて、それを足場に滝を登った記憶があるのです。今では見あたりませんが、山の先輩は「B29のだ」と言っていました。

 あっていたかどうかは分かりません。でも図書館でこのあたりでB29の搭乗員を捕らえ憲兵に引き渡したとの記述を読んだ記憶があり、戦闘機や爆撃機の残骸の集積するここキューハ沢は飛行機乗りの鬼門と言って良いのかもしれませんね。

 佐伯から : マシラさんの丹沢単独登山は途中まで自転車というあたりから、意外な展開ですし、知り尽くした上での克明な描写に惹きこまれます。ちと長いので読む方も疲れはしますが。

 昨日は飛燕で、今日は疾風かも?という記述もありますが、国産の9発×2列のエンジンなら疾風の誉エンジンの可能性が大です。

 星型エンジンは、シリンダー点火順の関係から1列の配置は7とか9の奇数です。7気筒が2列になれば空冷星型複列14気筒、9気筒が2列になれば空冷星型複列18気筒となります。

 空冷星型複列14気筒の代表的なものは、中島ので零戦などに搭載されました。

 空冷星型複列18気筒の代表的なものは、中島ので疾風や紫電改などに搭載されました。

 それから飛燕系には2種類あって、3式戦と呼ばれる通常の飛燕は液令エンジン、その液令エンジンの生産が間に合わなくて3式戦の胴体に三菱の金星(複列14気筒)を搭載したのが5式戦と呼ばれます。

 丹沢については、にがうりさんからもメールがあり、銀河らしき残骸と極光らしき残骸の噂があったそうです。極光は銀河を夜間戦闘機にしたもので、飛行機野郎の部屋(201002現在消滅)に「残骸が丹沢山中で発見され地元公民館に展示されている(?) 」と書いてあります。

 いずれにしてもマシラさんの「キューハ沢は飛行機乗りの鬼門」という表現もうなずけますが、関東平野の上空で繰り広げられた熾烈な戦いの痕が、今にして山中に見られるわけで、残骸の素性が明らかにされたうえで静かに眠ってくれるよう祈らずにはおれません。


(3) 2007 木製の慰霊碑 撮影と文 ホームページマシラの部屋(丹沢の尾根と沢)制作者 ほりさん

撮影1999/05/02
 
 碑は砂防堤脇の大きな岩前に風雪をうまくよけるようたてられています。
 おそらく、ここまでの参道もあったのでしょうが今では険しい道になってしまい訪れるのは限られた人だけでしょう。
 墓標そのものはいつ建てられたものか分かりませんが、年とともに朽ちていくのが分かります。前回来たときよりも台座はだいぶ土に埋まり、基礎部分は見えなくなっています。同じように木の墓標も何文字かかすれて見えなくなり  『・昭和・・・・・・一同・・・・』 とわずかに四文字が判読できるだけです。

マシラの部屋(丹沢の尾根と沢 )から転載

 キューハ沢入り口の砂防ダムのところ にコンクリートで固めたエンジンがあり、そばに木製の慰霊碑が建っています。



撮影2000/11/02

撮影2001/10/07
 白い輪っぱ状のものは、花輪の台でスチロール状のものでできています。
 遭難碑を建てたメンバーが何回目かに参った時に造花をささげたものと思います。 そのとき一緒にウイスキーもささげられたのでしょう。供えられているスコッチGRANT & SONSは少しだけ酒量を減らしているように思えるのは気のせいでしょうか。


撮影2004/11


  戦闘機や爆撃機の残骸の集積するここキューハ沢は飛行機乗りの鬼門と言って良いのかもしれませんね。
 

佐伯から : マシラさんの丹沢単独登山は途中まで自転車というあたりから、意外な展開ですし、知り尽くした上での克明な描写に惹きこまれます。ちと長いので読む方も疲れはしますが。

 昨日は飛燕で、今日は疾風かも?という記述もありますが、国産の9発×2列のエンジンなら疾風の誉エンジンの可能性が大です。

 星型エンジンは、シリンダー点火順の関係から1列の配置は7とか9の奇数です。7気筒が2列になれば空冷星型複列14気筒、9気筒が2列になれば空冷星型複列18気筒となります。

 空冷星型複列14気筒の代表的なものは、中島の栄で零戦などに搭載されました。

 空冷星型複列18気筒の代表的なものは、中島の誉で疾風や紫電改などに搭載されました。

 それから飛燕系には2種類あって、3式戦と呼ばれる通常の飛燕は液令エンジン、その液令エンジンの生産が間に合わなくて3式戦の胴体に三菱の金星(複列14気筒)を搭載したのが5式戦と呼ばれます。

補足 : このページに関連して寄せられた情報

1 銀河または極光の残骸があったという噂
2 飛燕または疾風の残骸があったという噂
3 戦中にB-29が墜落し、捕虜を憲兵に引き渡したという噂 
4 戦後にB-29が墜落したが、すぐに米軍が来て撤去したので証拠品は何も残っていないという証言(清川村役場)
5 ほりさんの先輩が、翼の残骸を指して、日本機は鋲で留めてあるが、これは溶接だからアメリカのものだと説明した話

等々、調査に値すると思われるものが少なくありません。
 上記ふたつの星型18気筒エンジンも謎に包まれていますし、特に花輪やスコッチウイスキーが供えられている慰霊碑というのが、B-29関連で米国人もしくは基地の日本人が建てたものではないだろうかなど、想像の世界が広がっていきます。皆さんからの情報提供を待ちます。

(4) 2009/10/14 丹沢キューハ沢誉エンジンの悲しい現況 イシオ

  はじめまして、丹沢キューハ沢「誉」エンジン下流側、2009年10月現在の写真を送ります。

   

   

本体に切込みが入れられています。
 誰がどういう目的で行ったのでしょうか?
 価値観は人それぞれなのですがこれでよいのでしょうか?
 法律的にはこのエンジン、どのような立場なのでしょうか?
 廃棄物なのでしょうか?
 このような物はもはや歴史的遺産は大げさとしても後世に伝えていくべきものではないでしょうか?大変残念です。
 近いうちに全て持ち去られて歴史的事実も何もかも忘れられていきそうで心配です。

 64年間保ってきた形は今年崩れました。
 崩れた物は元通りにはなりませんからこれ以上進行させたくないですね。このまま静かに他の機関に頼らず私たち個人レベルで見守る事は不可能でしょうか?
 不可能でしたら何かの団体に管理してもらいたいです。出来ればこの場所で。

 

(5) 搭乗員のお孫さんか?   はねぶたさんから  5

 2010年9月に銀河や月光の部品図が大量に発見されたそうで、上野の”空と宇宙展”で一部が展示されているそうで。今頃ニュースになっているのを知ったのですが、これに関して別の興味深い情報を見ましたのでお知らせします。

 読売新聞2001/12/17群馬版 旧海軍機の設計図1万枚
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20101216-OYT8T01173.htm

 この記事を紹介したブログ http://slashdot.jp/artiAHes/10/12/18/0125220.shtml に次のような書き込みがあります。

じーちゃんが銀河乗りでした。

それまで太平洋に眠るってことだったんですが、昭和56年に丹沢山中に銀河の残骸が発見されて訂正されました。
 「昭和191127日、厚木飛行場からB29の迎撃に向かい丹沢山に眠る。」少し離れたところでB29の残骸も発見されて、空中戦のうえ尾根に激突したということでした。誉のエンジンブロックがそのままの形で残っていたのが決定打で、発見当初は新聞記者やテレビカメラまできて子供ながら興奮した記憶があります。

 残念ながら匿名投稿ですが、内容は「キューハ沢 ハ-45誉発動機か?」で取り上げている機体と思われます。少なくとも、当時当該機の搭乗員と考えられた家族には取材があった程度にニュースになったらしいと読み取れます。

 更に想像をたくましくすると、ひょっとするとどこかで我々マニアが見ている誉の中に、実はキューハ沢付近から回収されたものがあるのかもしれません。

 

   

A  蛭ヶ岳東方 銀河の残骸 その12

1 
akizukiさんから  
2005/01/26  

 丹沢山系蛭ヶ岳の東方で発見された銀河の残骸について記録しておきます。 丹沢の銀河ですが、昭和56年6月21日に発見された物ではないでしょうか? 詳細は、 河出書房新社刊 爆撃機「銀河」 島津愛介 氏著 1988年刊に詳しいです。

 これによると機種は銀河、はっきりと 18気筒発動機で、譽発動機である 旨書かれています。該当機も2機まで絞ってあります。丹沢のキャンプ場から山深く歩くようです。第一発見者は、早戸川の川沿いの登山道をのぼり、大滝沢の分岐点から蛭ヶ岳の頂上を目指すこのルートの途中で道に迷い、最初にタイヤを発見したとのことです。

 この本は、日本の古本屋サイトで 島津愛介 氏の名前で検索すると10冊前後でてきます。
 

2 
Ogurenkoさんから
 2005/01/26  

 キューハ沢のエンジンですが、自分が中学のころテレビで丹沢山中に銀河の残骸発見、というのを見た記憶があります。 今から25年くらい前でしょうか。

 テレビ局と自衛隊の人が現地調査に行っていました。部品レベルしか発見できなかったと思います。なぜ銀河と分かったかは忘れました。これが、キューハ沢と同じものかもしれません。

 あと青梅市立郷土博物館にB−29のエンジン、大江戸博物館にB−29の機銃があります。

 

3 神奈川のリブさんから連絡 2005/05/22
 
 はじめまして、飛行機好きの山好きのリブと申します。「ホリ」さんのキューハ沢のエンジンの慰霊碑の記事は知っていましたが、以前に登山のHPから戦時中にキューハ沢で墜落した戦闘機を発見し駐在に届けたという記述を思い出したのでリンク先をお知らせしておきます。(201002現在消滅)
 
 制作者から : リブさんありがとうございました。山男の回顧談というのは面白いですね。ただ、液冷エンジンで、計器に三菱の文字、プロペラの風防というのが、どうにもつながらないので、何の墜落機か判断しかねます。

 既に掲載している調査結果や登山家のホームページにあるものとの関係もわかりません。どなたか、丹沢の神様の怒りにふれないようにして、どこに何の残骸があるかをまとめてくれませんかね。

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B  蛭ヶ岳東方 銀河の残骸 その2  3


「丹澤気ままな山歩き」MASAHIKOさんから

 ブログ記事「丹沢気ままな山歩き 2nd」から要請により要約転記
 http://tanzawa-kimama2.blog.so-net.ne.jp/2013-06-24

 残骸は、銀河ではないかと推定していますが、詳しい方のご教示をお願いします。なお、詳しい場所は公表していません。興味本位で危険な場所を訪れて遭難者を出すのは本意ではありませんので。

 戦時中、丹沢での墜落事故は多かったと聞きます。実際にその部品を目にしますと、そこで散った当時の若者たちの思いに触れずには要られません、(私の祖父も戦死しているので)

 墜落機は特定されているのか? 遺族の方は情報は知っているか? そのあたりが気がかりとなっています。

クランク 傘歯車式減速機 スプラインシャフト
















主脚ダンパー部分と思われる部品







タイヤ 1000×360 常用気圧








 

当面の推理 佐伯

1 タイヤ径の1mは銀河、極光系

2 ファルマンギア(傘歯車)減速装置のエンジンと搭載機

機体 エンジン 減速装置
銀河11型 誉11、誉12 傘歯車
銀河12型 誉23 傘歯車
銀河14型 ハ43 不明
銀河21型 火星25 平歯車
極光 火星25 平歯車
銀河16型 火星25 平歯車

 一応、このような結果から銀河11型又は12型と推察できますが、より詳しい観察が必要でしょう。体力のある大戦機専門マニアは、山の仲間に連絡をとって現地調査をされたら如何でしょうか。


参考 
 
 山男さんのために減速装置の説明をしておきます。11年前にヒコーキ雲が手掛けていたダグラスDC−3研究技術編の一部復刻です。


ダグラスDC-3輸送機に積んでいたプラットアンドホイットニーR1830エンジンの図解

 左図の鍋蓋(ノーズケース)の中に減速歯車(リダクションギア)が収納されています。その役割は、エンジンの高速回転を半分程度に落としてプロペラに伝えるものです。
 右図のc(主動歯車)が数個のE(遊星歯車)を介してa(プロペラシャフト)に固定されているd(固定歯車)に減速した動力を伝える仕組みです。

 このR1830エンジンは、最高では2700rpmにも達するので、そのままでプロペラを回すと、プロペラ先端の円周上の速度が音速を超えて効率が低下するために減速が必要なわけです。

 

 下図が減速歯車(リダクションギア)の例です。

 

 減速の割合を減速比と言います。
 図のcの歯数は9の倍数、dの歯数は7の倍数で、減速比は、c/(c+d)=9/(9+7)、即ち16分の9となり、16:9または0.56と示されます。遊星Nbは減速比には関係がありません。

 R1830の最高回転の時のPropeller回転数は2700×0.56=1512rpmであり、その先端速度は(3.53×π×1512)/60=279m/sで、音速の約82%まで落ちていることがわかります。

 

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