@ 入場券の「故マッカーサー元帥の愛用機」というのは事実でしょうか
習志野市京成谷津遊園の入場券 撮影1981 出展:たくぼん
A 入場券の飛行場はどこでしょうか
B 1984年頃、名古屋の新しい場所に移動というのは事実でしょうか
考察1 シーナ
どうもN1102の素性が気になったものの、他に調べようも無いのであれこれとインターネットで検索を試みてみたたところaerotransport.org というサイトに Aerotransport
Data
Bank があって、そこに以下の記載がありました。
Req'n
:
N1102
Type
:
L1649A-98-01
MSN
:
1001
Operator:
Lockheed
Martin
Became
:
Scrapped
at
RJNN (RJNN=名古屋空港)
Origin
: ex
N1649
本機は、1956年10月10(11?)日に初飛行したこのモデルの初号機のようです。試作機として各種の試験に用いられ、エアラインには引き渡されなかったのではないでしょうか。
スターライナーの第一号機だったのか!と感心しながら更に検索をしていくと、propliners.comというプロペラ旅客機についての航空フォーラムに行き当たり、Peter
J.
Marson
という方の著作「The
Lockheed
Constellation
Series」の中から引用したと思われる投稿を見つけました。日付はSeptember
03,
2005
05:08
Aです。
それには次のように書いてあります。(英文)
(ア) 1972年12月15日に米国から名古屋へフェリーされた後、12月19日に新潟へ飛
んだ。
(イ) 1973年8月 'Restaurant
Shinanao'として開業、のちに'Restaurant
Lockheed'
と名称変更した際、マッカーサーの「バターン号」と宣伝された。
(ウ) 1979年9月から1980年11月まで、新潟から40マイルの Higashi
Shogoで解体
保管されていた。白とブルーラインも
(エ) 上面白、ブルーライン、下面乳白色に塗られた。内部は、一方にPax
Seat(長
椅子?)を取り付けた。操縦席は変わらない。
(エ) 習志野で5年間置かれた後、1984年頃、名古屋の新しい場所に移動する。
考察2 にがうり
N1102は、バーバンクから名古屋空港に飛来し、地上ハンドリングは全日空整備が請け負いました。クルーは3人で、カラーシャツ姿のおじいさんがひょうひょうと降りてきたのにびっくりした記憶があります。
その時に輸入業者が「マッカーサー元帥の飛行機だ」と言っていました。しかし、マッカーサー元帥が解任(1951年4月)されて帰国する時の搭乗機は、ロッキードVC-121L(L-749A) コンステレーション US
AIR
FORCE
48-613であり、L-1649Aスターライナーではありません。
参考 羽田でのお別れ式 ロッキードVC-121L(L-749A) 48-613
羽田開港60年史編集委員会は既に解散し、同誌への提供者も不明のためとりあえず無断借用です。心当りの 方の申し出を待ちます
ロッキード コンステレーション系旅客機一覧
モデル L-049〜L-749A |
Constellation |
全幅37.49m 全長28.93m |
モデル L-1049〜L1049H |
Super Constellation |
全幅37.49m 全長34.54m |
モデル L-1649A |
Starliner |
全幅45.72m 全長34.54m |
考察3 にばさん
写真から見ると、内装は日本で改修されたようで、当時の飛行機に蛍光灯は使わなかったと思うし、特に縦長で角ばっているカバーは日本製でしょう。 |
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エアコンの大きな空気噴出し口の形状も飛行機のものとは思えません。壁の花瓶もいかにも日本的です。 |
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極めつけは座席カバーです。 ソファータイプの椅子も航空機用とは思えないものです。通路の柄物のカーペットも何となく違和感があります。当時は未だインテリアーデザイナーなどいなかったのではと思います。
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入場券の図柄の飛行場について 入場券
国内であれば実際に着陸した名古屋空港か新潟空港ですが、どうも日本的な風景に見えないので、フェリー出発地のロッキード バーバンク飛行場かもしれません。
1972/12/15 |
アメリカバーバンクから名古屋空港へフェリー到着 |
1972/12/19 |
新潟空港へフェリー |
1972/12以降 |
三条市 レストラン信濃へ展示 |
1979/09 ? |
新潟から40マイルのHigashi
Shogoで解体保管 内部を改装 ? |
1979/09〜11/14の間 |
この間に習志野市京成谷津遊園へ運ばれ据え付けられた |
考察4-1 2020/02/13 GT 考察4
入場券の図柄の飛行場は名古屋空港と思います。
画面右の主翼下の遠景建物が小牧基地の倉庫に見えます。2012年に写した写真を添付します。
考察4-2 2020/02/14 れある
名古屋空港では無いと思います。
背景が小牧基地だとすれば、コンステレーションは西南西を向いていることになりますが、それでは光の当たり方が不自然です。
光の回り込みと地上の影からすると、太陽は撮影者の後方やや左それも高い位置にあります。名古屋空港では撮影できない写真です。背景自体も小牧基地ではないと思います。
N1102が新潟への空輸途中に名古屋に立寄ったのが1972年12月15日から12月19日。
この頃の太陽高度は、最も高くなるお昼頃で地平線から32度程度。この角度を「搭乗入場券」に引くと添付写真のようになります。
なのにノーズコーンの影はノーズタイヤにかかっています。印刷するときに修正したのか。それとも1972年12月15日以前にも名古屋に飛来していたのか。謎です。
考察4-3 2020/02/15 TRON
気になるので過去の空中写真から検証してみました。結論からいうと、「おそらく名古屋(小牧)であろう」となりました。
まず、添付の1972年5月31日撮影と1974年6月16日撮影の空中写真を見比べると、名古屋空港側は結構変わっていますが、小牧基地側はほとんど変わりないことが分かります。
入場券の背景右側の小牧基地倉庫の左端の長屋風の建物2棟もそれらしく見えます。
ただ、背景左側の格納庫の屋根が入場券では直線の山型に見えるのに対して、空中写真では丸型(円弧)に見えるのがちょっと気になるところです。(入場券画像のもっと詳細なものがあればより判断し易いのですが・・・。)
そんなわけで、「おそらく」付きの検証となってしまいましたが、ご勘弁の程を。
1972年
1974年
決定 2020/02/17 れある
GTさんが考察された「名古屋空港」が正解でした。FLY
Teamで見つけたハミングバードさんの写真で確認しました。
https://flyteam.jp/photo/1431043
以上3氏の指摘から導かれる結論 佐伯邦昭
@ 入場券の「故マッカーサー元帥の愛用機」というのは事実でしょうか
マッカーサー元帥のバターン号は、L-749Aコンステレーションであり、司令官の解任5年後に初飛行したL-1649Aプロトタイプ(第1号機)を専用機とする可能性は低いです。退役後、レミントンタイプライター鰍フ会長に就任しているので、スターライナーに乗る機会はあったでしょうが、愛用機というところまではいかないと思われます。
よって、「故マッカーサー元帥の愛用機」というのは、かってコンステレーション同系機を愛用したという意味を強調するための宣伝文句に過ぎないと断定します。
A 入場券の飛行場はどこでしょうか
名古屋空港でした。
B 新潟以降について
上記投稿にある「1979年9月から1980年11月まで、新潟から40マイルのHigashi
Shogoで解体保管されていた。」というHigashi
Shogoなる地名を新潟から約60キロメートル圏内で探しましたが、わかりません。
ところが、国土交通省ウエブマッピングシステムに1979年9月5日と同年11月14日に習志野市を写した写真があり、後者にスターライナーが写っています。つまり、1980年11月というのは誤りで、すくなくとも1979年11月14日までに習志野市谷津へ運ばれていることが判明しました。
(国交省ウエブマッピングシステム1979/11/14撮影
右はその拡大)
また、習志野の展示終了後、1984年ごろ名古屋で解体するという点についても
、情報を持ち合わせません。解体されてごく一部の部品だけが残されただけだとしたらとても残念なことです。
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