HOME・SITEMAP 日替わりメモ 山梨 県目次
 
山梨県富士櫻高原 
河口湖自動車博物館 飛行館
  館内写真の掲載不許可の経緯
  館外展示物等 2003〜2011 F-86F 02-7962の第6飛行隊時代の写真追加
  F-86Fブルーインパルス塗装02-7960の謎
 守屋登氏の遺志を継いで復元されたノースアメリカンT-6F 52-0010
 

:現地に展示中のもの ×:過去のもの :現状不明

A3901 山梨県 南都留郡鳴沢村富士櫻高原 河口湖自動車博物館飛行館
     Kawaguchiko Motor Museum ZERO Museum. Yamanashi Prefecture  

             

1 館内写真の掲載不許可の経緯


(1) 
2003/09/03記  河口湖自動車博物館の館内写真は正式許可をとってから

 河口湖自動車博物館を主宰する原田信雄さんの古典の自動車と航空機の収集・復元・保存にかける熱意と実績は、まさに日本の第一人者と言っても過言ではないでしょう。

 「ヒコーキ雲」にもその一端は紹介してきましたが、撮影と発表という面でいまひとつ原田さんの真意を測りかねております。堂々と発表されているホームページもないわけではありませんが、個人の力であれだけの仕事をしておられるものを無断で掲載するのは失礼ではないかと私は考えております。

 一方で、私の手元には、過去3年間の夏季特別公開で皆さんが撮影した記録が400枚近く寄せれており、その全貌とまではいかなくとも貴重な旧日本軍のエンジンなど紹介したいものがたくさんあります。

 そこで、とりあえず、問題のない館外の航空機だけを発表し、館内の航空機及びエンジン類などについて も掲載できるように、原田さんに許可をお願いしております。

 

(2) 2003/09/04 河口湖自動車博物館の館内写真は残念ながら不許可

河口湖自動車博物館企画部の神田という署名で次のとおり返事がありました。

佐伯様

 ホ-ムペ-ジの写真記載につきお問い合わせを頂きまして、有り難うございます。

 今年以後の開館の予定は未定となっております、又、近々移転の予定もありえます。

 皆様が来館されますと、御迷惑をかけますので、内部の写真はのせないでください。外部の写真は問題ありません(12-3月までは雪の為閉館しております)

 せっかくお問い合わせをいただきましたのに、すみません。

                              河口湖自動車博物館企画部 神田 

 理由がよくわかりませんが、不許可になった以上残念ながら従います。

 ただし、どことは言いませんが盛大に掲載されているホームページもあり、これらにも同じ対応をされないと、正直に従ったホームページの読者だけがバカを見ることになります 。

 正しい航空思想の普及という観点からは、ホームページ上から館内写真を抹殺してしまうのは愚かなことだうし、来館者に迷惑をかけるというのなら「行っても見ることはできない」旨の注釈を付けさせれば済むことだと思うのですがね。

 

(3) 2004/08/14 再び河口湖自動車博物館の問題について

  この問題の反響は大きいです。もう一度許可申請をしてみたらいかがかというアドバイスが何通もきました。皆さんありがとうございます。河口湖自動車博物館企画部の神田さん(去年、掲載拒否の回答をしてきた人)へ もう一度申し入れてみましたが無視されております。(14日6時現在)

 私は原田氏にお目にかかったことはなく、間接的な話しではありますが、何年か前は撮影禁止、次はカメラバッグなど持ち込まなければ撮影OK、今年は撮影も発表も自由だとか聞き及びます。この施設は公のものではありませんので、 私がどう矛盾を感じようとも個人管理者の自由です。

 同じようにこちらも自由な立場ですから、私は、あの回答が撤回されない限りは頭を下げてまで掲載許可をお願いする気持ちはありません。余分なことを付け加えさせていただくなら、河口湖自動車博物館はインターネット航空雑誌ヒコーキ雲に脅威を感じているから、拒否なのでしょう。

 

(4) 2007/08/30 進展なし

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作者として初めて訪問しました。バッグ持ち込みも撮影も自由ですた。しかし発表について、受付の男性に聞きましたら、飛行機館公式ホームページにメールアドレスが書いてあるからそこから聞いて貰いたいとのことでした。帰宅して公式HPを何度ひっくり返してみてもアドレスは見当たりませんで した。 

 更に、自動車館の方でトイレを拝借するついでに原田館長がいらっしゃるかどうか尋ねましたら、来客中で30分待ってくれということでしたが、残念ながら東京に帰る時刻が迫っているため、お会いするのは断念しました。 よってホームページ掲載については進展がありません。

 

(5) 2009/08/21 進展なし

 MAVERICさんが、受付の職員に質しても要領を得ず、別の職員に「写真を載せているサイトがあるが、許可しているのですか」と聞きましたら、「聞かれたらダメというしかありません」との答えだったそうです。
 よって、館内写真をインターネットで発表してはいけないという館の方針に変更はないものと判断し、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲への掲載は控えさせていただきます。

(6) 2011/08/11 日替わりメモから転記

 零戦談話室さんの方で、河口湖自動車博物館飛行機館の館内撮影やホームページへの掲載について、多少の議論があって、その中に、原田さんがホームページへの写真掲載そのものは認めていると受け取れる書き込みもあります。

 しかしながら、当方は、8年前に河口湖自動車博物館企画部神田さんから来ている回答を忠実に守っています。 今年のホームページにも次の注意が書いてあります。

【館内撮影について】
・小型デジタルカメラ、家庭用ビデオカメラに限り記念撮影は出来ます。
・商用目的の撮影は必ずお申し出ください。
【下記のカメラなどの撮影は出来ません】

・フラッシュ付一眼レフ、交換レンズ付カメラ、iPADなどのモバイル機器、
・三脚などの機材は持ち込み出来ません。
【ご注意】

・違反された方のメディア、フィルムなどは当館の所有になります。

 コンパクトカメラで記念写真程度のものなら館内撮影をしてもよいということで、原田さんの真意は、やはり、館内零戦などはあちこちのホームページに出してほしくない、見たいのなら入場料を払ってくれ、或いはDVDを買ってくれということだろうと察します。

 俗人の考えなど到底及ばない領域にお住いの人でないと、自動車と航空機であれほど大掛かりな仕事は成し遂げられません。謎は謎として、航空史探検博物館に掲載できないことなどは些細なこととあきらめましょう。

 

 

A3901 山梨県 Yamanashi Prefecture  南都留郡鳴沢村富士櫻高原 河口湖自動車博物館
             
1 2003年以前撮影  FA300、Ogurenko、にがうり、ELINT人

建物正面

◎ ノースアメリカンF-86F-40 02-7970

◎ カーチスC-46D 61-1127 以前は八王子インターチェンジ付近に展示してありました

◎ ロッキードT-33A 51-5639  その後ろの胴体はグラマンS2F-1トラッカー

◎ ロッキードF-104DJ 26-5007 (自動車博物館玄関上屋)

 

A3901 山梨県 Yamanashi Prefecture  南都留郡鳴沢村富士櫻高原 河口湖自動車博物館 2003、2004年
             
× ノースアメリカンT-6F 52-0010

詳細は OM0109 人間航空史 守屋登氏の遺志を継いで復元されたノースアメリカンT-6F 52-0010 参照

故守屋登氏のアルバムより 撮影年月日不明   提供 A7M3-J

 

デハビランドDHC-2ビーバー JA3080
1953/07/25 c/n543
1954/01/06 JA3080登録 アジア航空測量株式会社 定置場藤沢飛行場→調布飛行場 
1975/06/24 抹消登録
  東海大学航空宇宙科学博物館に屋外展示
2004現在 河口湖自動車博物館 廃機置き場に保管.

現役時 1970

青森空港 撮影1970 Blue1


2004年

撮影2004/08/11 ねこ重 

 

レークLA-4-200 バッカニア JA3663 

撮影2004/08/11  ねこ重 
 
ビーチクラフト双発機 

撮影2004/08/13  Ogurenko

また、色が変ったボンネットバス 撮影2004/08/11  にがうり



 

 

2005年の館外 撮影2005/08/15  HAWK

 屋外に今年はH−19がありました。また昨年は見つける事が出来なかったビーチクラフト機もじっくり見て来ました。この機体はF-86の背後にあって丁度死角になるんですよ。かなり立ち入って撮っていますが勿論許可を得て入りましたので問題はありません。

シコルスキーH-19C 40012
グラマンS2F-1
   
ビーチクラフトC-18S または D-18S




 

2007年 撮影2007/08/30  佐伯邦昭


プロペラ 型式不明

(以下、ヒコーキマニア人生録・図書室 その25から)

 河口湖自動車博物館飛行館の外まわりは、車などの展示が少し変わっていました。

 バスがいた位置に3翔のプロペラ(詳細不明)があり、三輪トラックと消防車が増えています。その他のF-86の胴体、C-46D、自動車館屋上のF-104DJは変わりなく、向って左側囲い内のF-86FとT-33Aの展示、ビーバー、トラッカー、ビーチC18Dなどの(貴重な)ガラクタもそのままでした。

 館内は、本年の公開終了一日前にしては入場者が少ないように思えましたが、天候の影響もあったのでしょう。入館料1000円を払って「入場券です」と渡されたのが絵はがきでした。カラー写真は靖国神社へ奉納された零式艦上戦闘機52型を飛行機館前の駐車場で写したものと思います。

 入場券は、下手な切符よりも人々はこの方を喜ぶと思ってのことでしょうが、山梨県の税務関係の方が見付けたらちょっとした騒動になるような気もします。いや、そんなことには首を突っ込まないのが大人のマニアだよと言われれば、引っ込みます。

 今年の公開の目玉だという2機目の52型は、スピナー無し、エンジンカウリング無し、主脚無し、エレベーターとラダーが骨のままで羽布張り前という状態で低い台車の上に載せられ、我々の目線で水平に観察できるようにしてありました。

 もう1機の白い塗装の22型は、翼端を折り曲げてあり、その断面に熊谷航空工業株式会社 部品番号4611 熊航第649号というプレートが残っています。

 その他、たくさんの機体と発動機・プロペラがあり、初見算の者として一通り写真も撮りましたが、当ホームページへの発表は禁じられたままですので、(何故かたくさん載せている)他のサイトをご覧いただきたいと存じます。

 その件に関し、受付の男性に聞きましたら、ホームページに載せて良いことになったかどうかは知らないので、飛行機館公式ホームページにメールアドレスが書いてあるからそこから聞いて貰いたいとのことでした。帰宅して公式HPを何度ひっくり返してみてもアドレスは見当たりませんです。
 (掲載不許可の件は 上記日替わりメモ参照)

 更に、自動車館の方でトイレを拝借するついでに原田館長がいらっしゃるかどうか尋ねましたら、来客中で30分待ってくれということでしたが、残念ながら東京に帰る時刻が迫っているため、お会いするのは断念しました。

 でも、受付での物品販売状況くらいならHP発表に目をつむって頂けるものと思いますので、零戦の超々ジュラルミン部品が如何に高価なものかという例示までに紹介しておきましょう。確か3万円から3千円まであったように思います。一見ガラクタを結構な商売にしている人が、あちこちに居るとききます。

 館内の休憩テーブルで、声高に話しをしていらっしゃる方がいて、撮影中にも聞こえてくる内容は、第二次大戦機に大変に詳しく、いろいろな情報をお持ちのようでした。私も、少しの間加わりましたが、北海道深川市にあった全日空のダグラスDC-3 JA5024の結末について、我々が隠し通している事実をさらりと言ってのけたのには驚きました。やっぱり情報というものはどこかで筒抜けになるのですね。
 (だからといって、私は時効になるまでは当事者に約束した内容を一方的に明らかにする気はございません。)

 私にとって待望久しかった飛行機館の自己流紹介は以上のとおりです。

 これだけの退役機体や南方島々の残骸スクラップを集めて、殊に零式艦上戦闘機3機分、九三式中練1機を正確に復元している原田さんのご努力には頭がさがりました。欲を言うならば、やや雑然とした館内展示から一歩抜けて、航空史、技術史に区分した歴史の検証の跡を教育的に見せる展示館にしていって頂けるならばいいなと思いました。

 また、富士桜高原という地の利を活かして、全国の航空博物館関係者による「航空機の復元と展示」に関するシンポジュウムを開き、横の連絡がきわめて希薄な航空機展示関係者の問題意識の共有とレベルアップを図っていただきたいです。

 

◎ ノースアメリカンF-86F-40 02-7962 (7960と表示) 航空自衛隊F-86研究参照   7962
1960/12/28 c/n256-82 US57-6419 航空自衛隊へ引渡
撮影1970/07/21 築城基地 興野博士


撮影1980/05/03 岩国フレンドシップデー 佐伯邦昭
1980/08/29 第6飛行隊で用途廃止 同隊が三菱F-1と交替するまでの最終機
  河口湖自動車博物館に展示 02-7960と表示

撮影2007/08/30 佐伯邦昭
 

 

 

2011年の状況

撮影2011/08/15 インプラント

 F-104DJの前の木の枝が切ってあり、やっと全体をクリアに撮影できるようになりました。きっと枝を切ってくれとリクエストした人がいたのでしょうね。

 

参考 撮影2007/08/30 佐伯邦昭


2009年の状況

撮影2009/08/21 MAVERIC

 8月21日 河口湖自動車博物館を見学してきました。
 日本航学園山梨キャンパス直近の塩崎駅を出発し、中央線の大月駅で富士急行に乗り換え、河口湖駅まで約2時間半の各駅停車鉄道の旅でした。
 駅に着いてから観光協会に行きタクシー以外で河口湖自動車博物館に行く方法は無いか聞いてみると、本数は少ないが別荘を回る無料のバスがあり博物館前に停車しますと聞いたのでそれに乗ることにしました。

富士急行河口湖駅

 
 

博物館入り口  右側に3っつある看板の一番奥がバス停


富士桜高原バス 京王1次入口バス停




飛行館全景  ボンネットバスの塗装は2007年と変わっておらず駐車位置が変わったのと、三輪トラックとタンクローリーがなくなっていました


F-86F-40  変わらず


F-104DJ 26-5007  変わらず


C-46D 61-1127  変わらず

屋外に3翔のプロペラ以外にT-33尾翼・キャノピー・何かの機首部分?などが置いてありました




航空館入口掲示  ここを通った後の撮影写真はネットに掲載できません

 中には今にも飛び立ちそうな零戦2機・2枚翼の93式練習機がピカピカの状態で置かれており、後部胴体だけですが一式陸攻も置かれています。
 天井には多数の飛行機が吊るされており、零戦などの大戦中の航空機のエンジンや各種航空機部品がゴロゴロしています。
 全国の大戦機フアンは一見の価値があると思いますので、今から来年8月の旅行計画は河口湖と決めていたほうがいいと思いますよ。

館内から内庭に出られます 内庭にある機体はネット掲載OKです
T-33A 51-5639  変わらず

F-86F-40 02-7962  変わらず


S2F-1? 機体番号不明  変わらず


H-19C 40012  機首部扉が閉まりました


ビーチクラフト機2機? 機体番号不明  変わったかどうか見えないしゴチャゴチャしていてわかりません


トラックに積まれた翼2枚(機種不明)


 


2008年の状況

 カモフ Ka-26D 同軸反転ローターヘリコプター  JA7992 

撮影2008/08/31  小規模板工房

参考 撮影2004/08/11  ねこ重
参考 撮影2004/08/12  ドルフィンライク テールブームの文字拡大 EROFLOT

JA7992であることについて 2008/09/13

 シーナさんから1998年株式会社タクト・ワン発行「日本ヘリコプター事典」及び「さっぽろの翼」札幌市消防航空隊情報サイトhttp://ryuta111.hp.infoseek.co.jp/等による詳しい情報を頂きました。それによって、日本に在籍した4機のカモフKa-26Dをもう一度整理しておきます。そして河口湖自動車博物館資材置き場にある機体は元JA7992に間違いないものと確定いたします。

登録記号  製造番号 所 有 者  新規登録 抹消登録 抹消理由
JA7990 7303804 坪井一郎 1974/01/17 1987/05/13 用途廃止
(航空科学博物館展示中) 
JA7991 7605620  朝日ヘリコプター 1977/03/11 1979/10/12 事故(1979/06/09徳島) 
航空事故調報告あり
JA7992   7806504  森川商事 1979/09/06 1981/05/20 事故(1979/10/19桶川)
航空事故調報告なし 
JA7993 7806505 朝日航洋 1979/09/06 1989/12/12 用途廃止 (中田商店保管)

 JA7992JA7993は、 東京ヘリコプター(代表 城三彦)が1979年に森川商事を通して2機を輸入し、農薬散布機として桶川で整備して耐空証明を取りました。しかし、JA79921979年10月19日台風20号(和歌山に上陸して本州を縦断)によってに横転大破し、8か月後の翌年5月20日に抹消登録されました。

 これにより東京ヘリコプターは倒産を余儀なくされ、無事であったJA7993森川商事が朝日ヘリコプターへ振り向けたものと思われ、同機は左右にパイプを張り出した農薬散布専用機として老朽廃棄まで活躍しました。大破したJA7992は河口湖自動車博物館が引き取って資材置き場に保管してあります。

 東京ヘリコプターの城三彦氏は、森川商事あるいは○○文男、笹川良一といった人々とつながりがあり、当時の共産圏との貿易にタッチしていたとか、いないとかの噂(各種掲示板に書いてある)もあります。

 1979年10月19日台風20号による横転大破については、航空事故調査委員会の調査報告にあがっていません。航空事故に該当しないのでしょうか。政治力で抑えたのでしょうか。それもよく分かりませんが、河口湖自動車博物館修理部品も保管しているらしいので、抹消登録するまでの8か月間に部品を手配していたのかもしれません。そのあたりの事情も不明です。

 また、テールブームのAEROFLOTの文字も大きな疑問として残ります。更に青い塗装が、輸入時のものか、桶川で塗り替えたものかも分かりません。

 以上、08年9月4日545番以来続けてきた河口湖自動車博物館のカモフKa-26Dの戸籍調べですが、対共産圏輸出規制(ココム)との関わりがある人物の名前が出たりしますので、ヒコーキマニアの一線を越えて危険水域に入らないように打ち止めにしたいと存じます。貴重な情報提供の皆さん、ありがとうございました。


◎ ノースアメリカンT-6かSNJ 機番不明 撮影2008/08/31  小規模板工房 


 

◎ デハビランド DHC-2ビーバー JA3080 撮影2008/08/31  小規模板工房 


◎ レーク LA-4-200バッカニア JA3663 撮影2008/08/31  小規模板工房 

愛知 「アツタ」水冷倒立V型12気筒エンジン 3基 撮影2008/08/27  にがうり


日替わりメモ540番 2008/08/30から

 河口湖自動車博物館飛行館のアツタエンジン   BUNさんからメール

 彗星の「アツタ」(熱田ではなくカタカナが制式名称)発動機の件ですが、海軍が彗星試作一号機に搭載したのは燃料噴射式のDB601ではなく、気化器式のDB600で、ライセンス購入交渉は昭和11年に結ばれています。燃料噴射式のDB601のライセンス購入は昭和14年ですから、全て彗星の試作機完成前のことです。

 また河口湖にあるアツタは実機に搭載されていたものと考えられます。何故なら、実機に搭載されていたと思われる痕跡があり、各接続部がそれぞれ変形して新品の予備発動機のように整然とはしていません。話に聞いた通り、実機残骸からの回収品なのだと思います。

 「日本に航空水冷エンジンの基礎技術が無かった」とのことですが、空冷二重星型発動機が成功するまで国産の軍用航空発動機は水冷列型が主力です。栄や金星の完成で水冷発動機から空冷主体に移行できたというのが日本の発動機開発の大まかな流れになります。そして地震や空襲被災、工場疎開の前に愛知での彗星生産は空冷型に移行しています。 

 ちょっと気になりましたのでお知らせいたします。