2004/10/16 呉市企画部海事博物館推進室への公開質問状
戦艦大和に匹敵する零式艦上戦闘機
下記の公開質問状を出して1週間経過しました。
産業技術史において、零式艦上戦闘機
は、呉市が最も熱を入れて10分の1模型を製作されている戦艦大和に匹敵する存在だと思います。しかも貴重な実機ですから、修復前と修復過程を広く情報公開
してありのままを伝えるべきではないかというのが、私の願いです。
なぜ情報を公開されないのか呉市の姿勢に疑問を抱きます。
公開質問状
呉市企画部海事博物館推進室御中
2004/10/09 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作者 佐伯邦昭
開館準備にご多忙のこととお察し申し上げます。
さて、貴ホームページには戦艦大和、金星(水中翼船)、陸奥砲塔については画像つきで経過を公表しておられますが、航空マニアとして
関心のたかい零式艦上戦闘機については一言の説明もありません。これはどうしたことでしょうか。
ついては、二三質問を申し上げます。よろしくお願いします。
第一 ○○市における修復業務の完成並びに呉市への搬入予定についてお知らせください。
第二 梶宦宦宸ナ分解し職員研修をしたといわれる栄エンジンの現在の保管場所をお知らせください。
第三 大和ミュージアム内への展示に当たっては、栄エンジンは装着されないものと予想しておりますが、その場合は傍らに並行展示される予定でしょうか。
第四 展示に当たっては、海上自衛隊鹿屋航空基地史料館の零戦のようにコックピット内を観察できるタラップなどを設けられる予定ですか。
第五 大和ミュージアムという最近の広報パンフレットには、「歴史」「科学技術」という用語を多用され、その先人の努力や素晴らしさや原理を伝えるとうたってあります。大変に結構なことで共感いたしますが、さて、零式艦上戦闘機の修理復元に当たって真の科学技術史保存に値する作業を行ったと自信をもって答えていただけるかどうかお尋ねします。予算がどうとかの返事はいりません。8千万円もの巨費を投じるに当たってどれほどの検討をされ、受託業者に対してどれほどの管理監督をなされたかという点についてお答えください。
2004/10/19
呉市企画部海事博物館推進室から零戦について回答
公開質問状(10月9日)に対する呉市企画部海事博物館推進室の回答 (595番参照)
メールをいただき,ありがとうございます。 零式艦上戦闘機は、まもなく修復も終わり、近日、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)に搬入を予定しており、搬入後、当市のホームページでご紹介いたします。 エンジンは、当該技術を紹介する資料として、機体の横に設置し展示いたします。 タラップは、メンテナンス用で用意しておりますが、来館者にはスロープ式の展示通路より、上部が見られるようになっております。 なお、修復にあたっては、零式艦上戦闘機に関係した会社、技術者、搭乗員等の皆様の多大なるご協力をいただいております。 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)は,来年4月にオープンいたしますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。 10月18日付
★平成17年4月 大和ミュージアムオープン!★ 呉市企画部海事博物館推進室 〒737-0822 呉市築地町3-2 TEL
0823-25-3047 FAX 0823-23-7400
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佐伯から : 零戦のマニアは世界中にゴマンとおります。呉零のことを知る人もまだ知らない人も、今後機会をみて呉を訪れたいと思うでしょう。貴重な実機であるだけに大和10分の1模型よりも注目度は高いと思います。
何度も催促してやっとこの回答が来ました。内容は不本意ではありますが、秘密にせざるを得なかった諸般の事情もあるのでしょうか。
ヒコーキ雲に好意的に書かれるか、情報公開をしない秘密主義と書かれるかでは、訪れる人の前提が変わってきて、呉市長さん以下全体のイメージにかかる問題ですから、今後も十分に注意をしてほしいと思います。
復元過程での技術的な問題等もいずれ公開される気配ですので、三菱や中島の技術者が精魂込めて製作した零戦にどこまで近寄れたか興味をもって待ちたいと存じます。
2004/10/20
私への回答は「近日、搬入を予定しており」とぼかしておりますが、某雑誌編集部からのお知らせでは、「22日に搬入し、この日から組み立てを始め、3、4日で組み上げ、その後コクピットなど細かな作業に移る予定、マスコミには公開」ということだそうです。 (ヒコーキ雲の人格権ははまだ認められていないようです)
2004/11/26
白浜から救い出した姿のままの保存処理でよかった
「零戦談話室さんで呉零の塗装はおかしい、開館までに塗りなおすべきだといったような意見が続発しています。殿様商売の方々はさぞ頭が痛いことでしょう。」
きのうこのように皮肉を書きました。当たったようですね。
情報によると、マニアの質問に対して海事博物館準備室は、塗り替えると即答したそうです。
即答は結構なことです。しかし完成したばかりの塗装を、はい間違えておりましたで済むのでしょうか。というのは、事前に何を考証していたのかという博物館としての根源的な問題です。復元飛行機の真価は最終的には塗装によって決まります。それを選りによって大間違いするとは! これでは、各部分のボロが次々に出てくるような気がします。
自称零戦(もしくは大戦機)専門家はたくさんいらっしゃいますし、模型製作などを通じて微にいり細にいり情報交換をしているマニアは世界中に何万といるでしょう。それだけ魅力のある飛行機なのです。零戦オタクに事あるごとに指摘をされたら担当学芸員はノイローゼに…。
結局、この貴重な産業遺産について事前のしっかりした考証を怠ったツケが回ってきたとしか言いようがありません。
痛んだところを繕って、きれいに塗っておけば、来館者が喜ぶだろうという見世物小屋的発想をするくらいなら、白浜で処分寸前のところを呉市が救ってくれた姿で保存処理して展示してくれた方がましでした。ただ、館の運営としてはいい状態を見せたいでしょうから、それなら、じっくり時間をかけて本当の復元修理をすればよかったと思います。それだけ値打ちのある財産です。
北海道倶知安郷土館は、ニセコ零戦の主翼について、関係の大学とも保存方法などをじっくり検討して、ゆくゆくは倶知安の名物にしていこうという行き方をしております。
敢えて言うならば、予算の制約とか、オープンに間に合わせるとかの次元ではなく、博物館の研究者として文化財に対する姿勢の問題です。
大和ミュージアムは国の補助金を受けているはずです。(博物館法第24条) よって呉市民だけでなく全国民が監視し発言する権利を有します。はばかりながら、
インターネット航空雑誌ヒコーキ雲も考証や監修者について繰り返し質問したり警告したりしてきました。しかしほとんど通じませんでした。
それを承知で、文林堂航空ファン編集部にひとつ質問があります。1月号のアメリカの零戦や隼の復元についての素晴らしいレポートの後に、呉零のことも載っています。そのキャプションの中で、従来63型と言われていたが学術調査の結果62型と判明したとあります。航空ファンが「学術調査」と報道するからには根拠があるのでしょうから、如何にして62型と判定されたのか取材の結果を教えていただきたいと存じます。
2004/11/27
続 白浜から救い出した姿のままの保存処理でよかった
呉零について
きのうの呉零に関しては、たくさんの反響がありました。やっぱりゼロセンは偉大なヒコーキだなあという感慨にふけります。
○ 反響の中のひとつ 塗り直しにあらず
機首の黒塗装は下地塗りであって、これから塗装するのは「塗り直しにあらず、正規の作業を行うのである」という指摘がありました。
へー! 大和ミュージアムに運び込まれた公開写真を見て、あの塗装が下地の段階だと解る人がいるのでしょうか。
ただし、この情報も呉市からのものではありませんので、正しいとしても、呉市の情報非公開主義に変わりはありません。わいわい騒ぐマニアはうるさい存在であることを否定はしませんが、関心をいだく人達を博物館から遠ざけよう遠ざけようとするがごときの呉市長のやり方はいかがなものでしょうか。
○ もうひとつ 学術調査の結果
航空ファン編集部からの連絡によりますと、「学術調査の結果62型と判明」というのは呉市が写真の提供とともに伝えてきたものだそうです。
そのまま載せてしまったことについては苦笑して頭を掻いておられます。
それでお分かりのように、62型と63型は諸説紛々、海軍航空本部公表資料もあいまいだし、三菱と中島が航空本部指令のとおり従っていたかというと、連日の空襲を避けて疎開をしたりする中で、非常に疑わしいともいわれています。
呉零を「62型と判明」というのは、工場で分解した時に燃料タンクや何やかやを見ての消去法的判断だと言う方もおります。それなら学術調査と権威付けた根拠について呉市長さんに説明を求めましょう。
○ 白浜のままがまだましであるという極論
なお、佐伯が「白浜から救い出した姿のままの保存処理でよかった」と言っていることについては、琵琶湖から引き上げた時の修理のずさんさや、白浜へ運ぶ時などに加えられたひどい工作、部品の盗難などの状況から見て、呉市が復元修理をするのは当然だという反論がありました。
そのとおりだと思います。でも、それなら、すくなくとも後世の批判に耐えられるように、時間をかけて考証し、その経緯を公開し、多くの方の協力を得て墜落前の正しい状態に近づける努力をすべきでした。(「航空機の保存と修復」「幻の名機再び−航研機復元に挑んだ2000日」「ヤンキー修復記録」がたいへん参考になります)
現実はそうなっていないので、白浜から救い出した状態の方がましだといっているのです。
ずさんな修理や盗難は、それも日本の旧軍機の扱いないしは修復や展示方法の一断面であったと正直に見せてやればよろしい。新しくオープンさせる大和ミュージアムにとって酷な議論だということは承知の上で言っております。博物館のあり方に一石を投じたいと存じます。
2004/11/30
零戦プロペラのカウンターウエイトについて
呉零の機首は、プロペラもスピナーも所沢町工場製のダミーがつけられているみたいなので、本物は栄エンジンと一緒に機体のそばに置いてくれるのでしょうね。
その時には、スピナーははずして置いて下さいな。というのは、この零戦のカウンターウエイトが私どもが書籍などで見慣れている丸型でなく、角型がついているからです。
日本軍用機が採用した住友ハミルトンのプロペラは、パイロットがピッチレバーを操作する方式でした。
しかし、ハミルトン社はこれを改良して高低ピッチを完全油圧自動化した、文字通りコンスタントスピードプロペラの名に恥じない最高級品を開発しました。しかし、米政府がこれを輸出禁止にしたため、困った日本では、ドイツからVDM(機械式)とユンカースの油圧式、フランスからラチェ(電気式)などを輸入して間に合わせたそうです。佐貫亦男 酣燈社航空学入門 プロペラの話しから
呉零に見られる角型のウエイトは、そのどれに当たるのでしょうか。あるいは、その型を採用したのが、52型丙以降だとか何とかの資料があれば、また呉零の型式決定の情報に加えられるかもしれません。
ということで館長候補さん、ぜひともカウンターウエイトが見えるように展示してください。 なお、角型は丸メカニック零戦に嵐山で63型復元中という写真に出ています。
2005/05/05 行列
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大和ミュージアムへ行ってきました。10時頃に館内のロビーに切符購入の列ができていましたが、12時に外へ出てみるとご覧のとおりです。
もちろん館内はごった返しているし、ミュージアムショップへ入るのにも30分待ちくらいの列です。国立美術館にモナリザが来たときみたいです。
呉市長さん、当たりましたね。まもなく防衛庁の潜水艦実物を見せる博物館が隣に建設されますから、相当長期に亘って賑わうことでしょう。
(奔走した某地元代議士は建設利権の見返り受けないうちに死んでしまいまして、さぞ残念でしょう。)
零戦展示室では、A6M232さんが現れるのを待っていたのですが、昼になったのであきらめました。その間約1時間私の相棒がボランティアガイドの
川西さんにいろいろと教えてあげて、感謝されました。零戦搭乗者や超オタクみたいな人が来ると、専門的な質問や疑問を呈されるので弱っているというお話しでした。
上の写真の道路のもう少し向うに、広島県で最初に作られた地ビール工場のレストラン”クレール”があります。
大和ミュージアムの近辺の食事どころはどこも行列でしたが、ここはゆったりとしていて、相棒と旨いビールやピザを堪能して午後3時の電車で広島へ帰りました。
今日も、大和ミュージアムは賑わうでしょう。岩国のフレンドシップデーも20万人に達するのではないでしょうか。ああ焼肉前の長い
行列! |
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2005/05/08 修復は業者のやりたい放題
先に「零戦展示室では、A6M232さんが現れるのを待っていた」と書きましたが、彼は入れ違いに来館されて、それから約16時間、計器盤付近の不具合の調整に汗をかかれたそうです。その中身については、敢えて書きませんが、市側が修復に当たっての事前と途中と完成後の調査検討や管理監督を十分にやっておきさえすれば、彼にこんな苦労をかけることもなかったと思います。
公共の建設工事では、問題が起きるたびに検査体制が整備拡充されてきて、業者サイドでもなかなか手抜きができにくくなっていますが、それは官庁用語で「請負」の場合であって、博物館のレイアウトや展示品の製作など「委託」の場合は、チェックが形式的になりがちです。
発注側の職員に専門知識がないのですから、今度の零戦修復だって仕様書の表面的な摺り合わせ程度の検査はしたかもしれませんが、殆んどは業者のやりたい放題でやっていると見られても仕方がないのです。
そんなことはないとおっしゃるなら、『零式艦上戦闘機 平成の大修理 受託:〇〇会社 受託金額:8000万円』と堂々と出したらいかがです。この零戦を数少ない国民的産業遺産として認識するなら、そのくらいの良心があってもよいと思うのです。
(因みに戦艦大和の模型には製作費を寄付した業者がプレートを出しております。それは大和ミュージアムの建設工事を請け負ったゼネコンの子会社です。なにやら見え見えで、あまりいい気分にはなれませんね。呉市の納税者はわかっているのでしょうか。)
とにかく、問題の多い呉市海事歴史科学館です。一般の方やヒコーキマニアまでが素晴らしいと賞賛の声を上げている裏で、誰かが笑っているということを皆さんお忘れなく。
くどいようですが、ある程度日本の博物館行政に共通する問題(例えば上野の国立科学博物館へ行ってボランティアガイドの本音を聞いてみれば、いかに運営がずさんであるかすぐ分かりますよ)なので、これからも取り上げていきます。
なお、4日にはA6M232さんだけでなく、ニアミスだったようだとのメールを何本か頂きました。お顔を知らないので失礼なことがあればお詫びします。どこへ行っても職員やガイドに根掘り葉掘り質問している男がいたら、佐伯かもしれませんので声をかけてください。
2005/05/09
修復は業者のやりたい放題に関連して 絵塗師さんから
飛行機とは関係ありませんが、横浜のマリタイムミュージアムの話を思い出しました。
船舶マニアで横浜の名士であるイラストレーターの柳原良平氏が企画に参加しましたが、当初はプランが電通に丸投げされており、目玉がコロンブスの大航海だったりと、日本の港湾を代表する横浜の海事博物館としての個性も特色もないいたっておざなりなもので、怒った柳原氏らが強く抗議して電通を降ろさせたそうです。
お役所のやる文化事業は、似たり寄ったりな事態になりがちのようです。
佐伯から : そんなことがあったのですか。
展示物の向きの問題ですが、栄エンジンについては相当特殊なことになるので、まあ我慢するとして、戦艦大和1/10模型の向きをご覧ください。
普通感覚の人間なら、まずは艦首の方向から観察したり撮影したりするでしょう。しかし、このようにきつい逆光線です。菊のご紋章を暗闇の方向に向けたのは、最後の片道燃料での特攻出撃をイメージしているのかと思いました。艦船マニアは納得しているのかな? 恐らく、片側ガラスで自然採光による省エネを強調した建築設計と、展示構想との調整ミスでしょうね。
零戦のコックピットは、2階デッキから見るようにしてありますが、風防は閉じてあり、5メートルも上からでは、内部はぼんやりとしか分かりません。A6M232さん苦心の計器板を皆さんに披露してあげようという心遣いのかけらも感じられないのです。(海上自衛隊鹿屋航空基地史料館を手本にしてもらいたい)
建築設計と展示設計の摺り合わせ調整などは職員には無理な話で、業者にはねまかせとまでは言いませんが、随分と後悔している人もいることでしょう。
2005/06/17
呉零の計器盤を復元したA6M232さんが、取り付け不具合(業者のミス)を修正し、午前4時41分にOKサインを出している素晴らしいショットが彼のホームページ零式戦闘機計器板を飾っています。管理用のタラップからの近撮なので、どこの写真よりも明瞭に計器盤が写っているのも感動です。この秋には二人目の男の子ご誕生の予定とか。がんばれ快男児!
以下大和ミュ―ジアムに関する疑義へお
進みください
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