広島空港に本拠を置いていた東亜航空が広島〜防府線を開設しました。
古谷眞之助著 年表山口県の航空史第3章1962年の記述からから
試験飛行中にデ
ハビランドDH-114ヘロンJA6158がクラッシュ
古谷眞之助著 年表山口県の航空史第3章1962年の記述からから
古谷眞之助著 年表山口県の航空史第3章1963年の記述からから
1963年8月23日に無事初就航を迎えました。
就航1番機のデ
ハビランドDH-114ヘロン JA6163 山口県文書館提供
ヘロンに随伴してきたデ
ハビランドDH-104ダブ JA5007 (時期不明) 山口県文書館提供
1963年の約4ヶ月 極度の不振
古谷眞之助著 年表山口県の航空史第3章1964年の記述から
1964年 遂に運休
古谷眞之助著 年表山口県の航空史第3章1964年の記述から
〇 東亜航空が広島〜防府線を開設 1年後運休
山口県文書館に防府市の歴史にとって貴重な写真が保存されていました。防府への唯一の国内民間定期便の就航を記録するものです。山口国体の開催に当たって、県が防府北基地への路線誘致を働きかけた結果で東亜航空の広島〜防府線が実現しました。
難航の末、夏季大会(9月15日〜)前の8月23日から就航したものの、近距離の広島空港からでは、大阪線の乗継があるとはいうものの、陸路に勝てるわけがなく、1年で撤退しました。秋季大会(10月27日〜)へご臨席の天皇皇后両陛下が日航特別機で岩国へ降りておられるのも、防府市にとってはちょっと残念なことだったかもしれません。日本におけるローカル航空の難しさを示す一例としての航空史になりました。