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自衛隊航空の歴史

防府北基地に緊急着陸した米海兵隊岩国航空基地のF-4J


写真提供 中原 定氏  解説と感想 中国航空協会会員古谷眞之助

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A6504-05  山口県防府市 航空自衛隊防府北基地
       Hofukita Air Force Base, Hofu City, Yamaguchi Pref.
   
 

撮影1978/01/21(土)又は22(日)  航空自衛隊防府北基地エプロン
マクダネルF-4J 157269 VMFA-235 DB-08

注 F-4JのVMFA-235は1977年10月から1978年4月まで岩国航空基地に駐留した

写真1

拡大


写真2


拡大 

拡大 スターターか?


 元防府市議にして防府北基地協力会会長であった故中原定氏からいただいた写真です。しかし、当の中原氏がこの写真がいつのものだったのか記憶されておらず、長らく分からずにいたのですが、先日、防長新聞をくっていて、当日の記事にぶちあたりました。

昭和53年(1978)1月22日付 防長新聞掲載

見出し 「防府へ緊急着陸 米軍ファントム」

  21日午前9時42分頃、防府市田島の航空自衛隊防府北基地へ、米軍岩国基地海兵隊第 235戦闘隊所属のF-4ファントム戦闘機 1機が緊急着陸した。防府北基地の話によると、無線周波数の違いで、基地管制塔とファントムの間に無線交信はなかったが、ファントムは翼を左右に振って着陸を求め、管制塔はライトで着陸許可の信号を送った。当時防府北基地では訓練飛行などはやっていなかったので、緊急着陸は円滑に行なわれた。 防府北基地がファントム乗員(R・W・ワーカース大尉、ジョン・K・ヤング中尉)から受けた説明によると、ファントムは訓練飛行中だった。
 21日朝、米軍岩国基地所属のF-4ファントム戦闘機が航空自衛隊 防府北基地に緊急着陸した事故について岩国基地報道部は「同機は海兵隊第 235攻撃中隊所属で、天候不良と燃料不足のため緊急着陸した」と発表した。

 この記事を読むと、「何らかの理由をつけてわが国国内の飛行場、基地への着陸実績づくり」と考えられなくもありません。燃料不足というのが何とも不可解です。(防府と岩国は直線距離で約66q)
 一方で、滑走路長がファントムにとってはわずかに1,480mにすぎない防府に着陸するのですから、やっぱり緊急事態だったと思われなくもありません。実際はどうだったのでしょう。
 
 後日談は掲載されていませんが、燃料補給後、離陸して岩国に戻ったと思われます。確かに重量級の機体ではありますが、もともとは艦載機なのですから。写真を見ると岩国からサポート隊が来て離陸援助をしているように見受けられます。
 またウィンドソックを見ると西の風、7〜8メートルは吹いています。西向きRW30で離陸したはずです。離陸時のものすごい爆音には市民もおったまげたことでしょう。

 中国航空協会の連中にメールで問合せしたところ、当時小学生だったメンバーが「興奮してこっそり見に行くつもりだったが、親父が「はぁファントム、いんだでよ(帰ったよ)」を聞いてがっかりした記憶がある」と書いて寄こしました。歴史の一こまですね。

 また、別のメンバーからのメール
「当日は雪がちらつき悪天候でした。突然、凄い爆音がしました・・・・ F−4の機影は確認しませんでしたが、北基地に着陸したのは確かなので基地まで見に行きました。機体は見えましたが機種はわかりませんでした。昼のニュースでF−4だと知りました。離陸は翌日の昼頃(?)と記憶しています。岩国から離陸資材を持って来て離陸したと聞いています。機体の後に航空母艦からの離陸時に使うつい立を使用したと聞いています。」

  航空自衛隊のホームページでは F-4EJの離着陸距離は750m〜1,000mとなっています。別の資料では、離陸1,338m、着陸1,152mとなっています。いずれにせよ、防府の滑走路で運用しようとすれば、物理的には可能でも、ほとんど余裕はない状況かと思います。

 別のメンバーの記憶が正しいとすれば、

@ 着陸当日の天候は雪模様
A 離陸したのは翌日の昼頃らしい
B 簡易のジェットブラスト・デフレクター使用(?)

 写真2はパイロットは搭乗していますし、スターターなのかどうか、ともかく機器が写っていますから、離陸する前だと推測されます。離陸当日は打って変わって晴天です。かなり風もあります。

私の疑問

C 燃料補給、ファントムは確かJP-5でしょう。当時防府北基地で使用されていたのはまだT-34だと思います。こちらはレシプロエンジン。燃料は岩国から持ってきたのだろうか。
D 新聞記事には「無線周波数の違いで、基地管制塔とファントムの間に無線交信はなかった」とある。防府タワーは今でこそVHFもUHFもありますが、当時、機体の側にVがなく、管制塔側にUがない、なんてことがあったのだろうか。
E この時の管制塔の判断。機体側が翼を振り、管制塔側がそれに応えてライトガンを使用して着陸支障なしを伝えたとある。昔試験対策で覚えことだが、支障ナシは「緑色の不動光」。この色をライトガンで送った管制官は、防府の滑走路でファントムが着陸できると瞬時に判断したのだろうか。

という訳で「何らかの理由をつけてわが国国内の飛行場、基地への着陸実績づくり」と考えられなくもないと思った次第です。


着陸実績づくりの可能性は低いのではないか  はねぶた      

 防府や伊丹に降りたF-4の件、知りませんでしたが大変興味深く拝見いたしました。

 防府からの離陸は、岩国までの最低燃料+最大出力+機首を抑えたままの加速から滑走路端での浮上といった迫力の情景であったろうと想像します。

 滑走路長は発進後の離陸中止には足りなかったでしょうが、浮かぶには十分だと判っていたものと思いますが、ブラストデフレクタの使用については疑問が残ります。母艦のブラストデフレクタは基本的に排気による他機や人員機材への被害を防ぐ為のもので、離陸を補助するものではないはずですし、下手にモノを排気中にさらせば相当重くても吹き飛ばされるだけだからです。

 何かその様に見えるモノやコトがあったのか、誰かの想像による発言が一人歩きしているのか、本当にそのような効果のあるものを使ったのであれば、ぜひ詳細が知りたいです。

 着陸実績のためかどうかについては、私はその可能性は低いと考えます。米軍機の使用実績なら、わざわざF-4を使わずともA-4等で十分ですし、滑走路長などのリスクや支援、コスト、日本側の反発等を考えればなおさらです。

 当時米軍が日本での行動をどう考えていたのか等も含め、当時を知る諸先輩がたの分析や見解をうかがいたいところです。