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航空歴史館 いしぶみ
 
 
 
A7401-5 高知市 鷹匠町
       Frank Champion Monument, Kochi City, Kochi Prefecture 
    

 ◎ フランク チャンピオン没後100年の高知新聞記事 

 高知新聞がフランク チャンピオン没後100年を2017年10月30日に大きく報道しました。
提供かつお


・ フランク チャンピオンが米国に戻る予定を変更して高知に来たのは、宮尾登美子「鬼龍院花子の生涯」に出てくる鬼龍院政五郎がモデルの侠客(通称鬼頭)が招いたためであること
・ 午後3時過ぎ、2回目のショーに朝倉練兵場を飛び立ち1200メートル上空で曲技中に左翼が根元から折れ、水田に墜落した
・ 公会堂の葬儀では、沿道が3万の市民で埋まった
・ 翌1918年に鬼頭らがフランク チャンピオン之碑を境川河畔に建立した
・ チャンピオンの一人娘ジーン マスキュリンさんと文通を続けた市民もおり、彼女は1996年に来日し熱烈な歓迎を受けた
・ 墜落した田んぼの持ち主は、落ちていたフランクの腕時計を憲兵隊に届け、正直もんやと褒められたが、子孫はチャンピオンの田と呼ばれた伝承を受け継いでいる
・ 飛行場漫画家の英国人リチャード アンセルさんが、今、コンピューターグラフィックで「翦風 せんぷう」号の精密5面図を描いている  等々。
  

 高知市 フランク チャンピオン乃碑   写真と文 かつお

 フランク チャンピオンは米国の女流飛行士キャサリン スチンソンの機関士として来日し、スチンソン嬢が帰国した後は、自分の操縦で興行を続けました。
 碑は、1917/10/30高知市で10万人の観衆を集めて曲芸飛行中に墜落死し、これを悼んで同市柳原に建立されました。


 フランク チャンピオンの乗機は、荻田常三郎飛行士が使っていたモーラン ソルニエ単葉機H型(グノーム7気筒80馬力)「翦風 せんぷう」号でした。
 荻田飛行士は1915/1/3にこの機体で墜落死しましたが、当時、来日して曲芸飛行を見せていたチャールス ナイルスがこの飛行機をたいへん気にいっていたといわれ、恐らく修理していたものを、スチンソンの帰国後チャンピオンが乗るようになったものと思われます。
 下左の写真でエンジンカバーがサルムソンになっているのは、修理したときにグノームから換装したのではないでしょうか。