18日発表のフレンドシップのオーバーランの写真は今まで見ていないものです。
私は、修理関係者の一人ですのでとても懐かしいです。この写真は、引き潮時ですが、満潮時には客室窓の上まで海水に浸っていたそうです。
修理は、伊丹の新明和で行いました。鹿児島からの機体輸送は、胴体、主翼、尾翼を外して海上輸送の船倉に納めて神戸港に揚げました。
来日したフォッカー修理チームの団長は、インドネシアで日本軍捕虜になって終戦まで収監された人で、足も不自由で、はっきりと日本人は嫌いだが仕事は一生懸命協力したいと公言していました。
なお、全日空F-27フレンドシップについては、この事故も含めた拙稿が航空ファン2001年4月号(No.580)に載っています。
写真は1973.5.16フランスTAT(Touraine
Air Transport)に引き渡されたJA8617(F-BUFU)です。
機体にでかくTAFとあります。全日空はTATに売却したのですが、うちJA8617はTAT傘下のTAF(Fのイニシャル文字は不明)向けの機体というものでした。たしかローカル線会社?かと聞いた気がしますが不確かです。
フレンドシップの鴨池の写真には驚きました。出展者は、こんな鮮明な写真をどこから手に入れたのでしょうか。主翼付け根のFRPのフェアリングが取り外されているので、既に取り外しの作業中の写真でしょうか。たしかにフレンドシップは頑丈な機体でした。もう少しYS-11が早く生産されていれば、全日空が25機も購入することは無かったのです。
1964年12月に、25機目が羽田に到着した時、胴体に25の数字を入れてフォッカー社の駐在員と記念写真を撮りました。残念ながら、昭和41年丙午の歳に我が家が火災になり、写真は全て焼けてしまいました。我が家のみならず、このオーバーラン事故のあった1966(昭和41)年は日本の空は呪われていると言われたほど事故が続き、たくさんの犠牲者がでました。
2月4日 |
ANAボーイング727が東京湾に墜落 |
3月4日 |
カナダ太平洋航空のDC-8が、羽田に着陸失敗で炎上 |
3月5日 |
BOACのボーイング707が富士山の乱気流にまきこまれて爆発墜落 |
3月5日 |
ANA東京湾事故遺体捜索中の海上保安庁ヘリが墜落 |
8月6日 |
KLMの機長が羽田寸前に心臓麻痺で死亡、副操縦士によって着陸 |
9月18日 |
本件事故 |
11月13日 |
ANA YS-11が松山空港に着陸失敗 墜落 |
11月15日 |
松山事故遺体捜索中の大阪府警ヘリとANAヘリが衝突 墜落 |
松山事故の時には、ついに背広のバッジをはずして通勤したという苦い思い出があります。