1972年5月15日とうとう沖縄が本土に復帰しました。これで夢にまで見た嘉手納へピザ無しでいけると思うと、もう居てもたってもおれません。中井八郎さんと梅雨明け一番で日付の並んだ7月7日JAL101便、ボーイング727-100で沖縄へ直行!
中井八郎さんは艦船と両道なので那覇軍港に約1時間ほど居て嘉手納へ‥ とにかく58号線を走るバスを手を振って止めて聞けば嘉手納へ行くとのこと、一時間半くらいで到着、コザ行きのバスに乗ればランウエイの端に行けるとのことで乗車、サンパウロを通り過ぎて次のL/Dの真下にあるエリア4のバス停で下車、約10分くらい歩いてサンパウロ(注)まで引き返すと、KC-135Aが次から次へとT/OやL/Dがありますが、他は全く飛ばず! でも、私の主目的はKC-135を大量に撮ることでしたので満足でした。
翌土曜日の8日、朝からサンパウロでねばっていると、昼過ぎに西の方にB-52らしき機影が見え、中井さんにいうと「そんなことあるわけないやろう」と一蹴されましたが、そのうちNHKや地元の放送局が続々とサンパウロに集まり出しました。聞いてみると、今からB-52が30機着陸するとのこと、すごい数です。
天気は快晴で、R/Wは23Rとなれば200mmでも大き過ぎます。幸い、私は85〜210というペンタのズームでしたので、さあいつでも降りて来いという気分でした。午後2時半くらいから3機ずつL/Dが始まり4時ごろには1機がパンクしましたが、1時間ほどで修理、その間B-52Gは上空待機していたようで、23Lは使わず、日没まで27機を撮影できました。あとの3機は8時ごろ着陸しました。R/W23R(幅60m)を使わなかった理由は、両端の誘導灯をB-52の翌端が当って壊すので、23R(幅90m)になったそうです。
更に翌日の9日の午前中に3機降り、10日から帰り始めたようです。
1972年の10月下旬には大量103機が嘉手納にきていますが、それよりも二ヵ月半も前に33機降りているのです。
以上、私のB-52初見参で、その後撮ったことも見たこともありません。
※各写真をクリックで大きく見られるようにしました。(編) 2023/01/12
B-52G 0201
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B52-G 2579
B52-G 2591
B-52G 6477
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B-52G 6508
B-52G 6508
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B-52G 0169
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B-52G 7209 ?
B-52G 7209 ?