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航空歴史館

 

嘉手納基地の思い出

1975年 ベトナム戦争終結によるF-4Dの帰参
1979年 コブラ ゴールド 1979作戦に参加したF-111
1972年 沖縄復帰後、初めての嘉手納基地 B-52Gに初見参 SR-71Aも

 

濱野博司

A8831-02 沖縄県中頭郡嘉手納町 嘉手納基地
              US Air Force Kadena Air Base, KadenaTown, Okinawa Prefecture 
 

1975年ベトナム戦争終結によるF-4Dの帰参   F4D


 1975年4月30日にサイゴンが陥落し、タイから作戦に従事していた米空軍のF-4Dが6月27日嘉手納へ20機帰ってきました。いずれもPACAFのマークとシリアル下三桁のみの迷彩でテイルコードはありませんでした。PMテイルコード付きの2機も飛来しましたが、これらは後にすべてZZ(18TFW)になりました。

F-4D 撮影1975/06/27 嘉手納基地 濱野博司




 

 

1979年 コブラ ゴールド 1979作戦に参加したF-111  F-111

 1979年9月に3機飛来しました。2機はすぐに帰国しましたが、写真の機体は”体調不良”で残り、9月23日 に2回テストフライトを行いました。F-111の何型かは不明です

F-111 CC AF68 178  撮影1979/09/23 嘉手納基地 濱野博司




 

 

   

1972年 沖縄復帰後、初めての嘉手納基地 B-52Gに初見参 SR-71Aも   B-52

 1972年5月15日とうとう沖縄が本土に復帰しました。これで夢にまで見た嘉手納へピザ無しでいけると思うと、もう居てもたってもおれません。中井八郎さんと梅雨明け一番で日付の並んだ7月7日JAL101便、ボーイング727-100で沖縄へ直行!

  中井八郎さんは艦船と両道なので那覇軍港に約1時間ほど居て嘉手納へ‥ とにかく58号線を走るバスを手を振って止めて聞けば嘉手納へ行くとのこと、一時間半くらいで到着、コザ行きのバスに乗ればランウエイの端に行けるとのことで乗車、サンパウロを通り過ぎて次のL/Dの真下にあるエリア4のバス停で下車、約10分くらい歩いてサンパウロ(注)まで引き返すと、KC-135Aが次から次へとT/OやL/Dがありますが、他は全く飛ばず! でも、私の主目的はKC-135を大量に撮ることでしたので満足でした。

 翌土曜日の8日、朝からサンパウロでねばっていると、昼過ぎに西の方にB-52らしき機影が見え、中井さんにいうと「そんなことあるわけないやろう」と一蹴されましたが、そのうちNHKや地元の放送局が続々とサンパウロに集まり出しました。聞いてみると、今からB-5230機着陸するとのこと、すごい数です。

 天気は快晴で、R/Wは23Rとなれば200mmでも大き過ぎます。幸い、私は85210というペンタのズームでしたので、さあいつでも降りて来いという気分でした。午後2時半くらいから3機ずつL/Dが始まり4時ごろには1機がパンクしましたが、1時間ほどで修理、その間B-52Gは上空待機していたようで、23Lは使わず、日没まで27機を撮影できました。あとの3機は8時ごろ着陸しました。R/23R(幅60m)を使わなかった理由は、両端の誘導灯をB-52の翌端が当って壊すので、23R(幅90m)になったそうです。

 更に翌日の9日の午前中に3機降り、10日から帰り始めたようです。

 1972年の10月下旬には大量103機が嘉手納にきていますが、それよりも二ヵ月半も前に33機降りているのです。

 以上、私のB-52初見参で、その後撮ったことも見たこともありません。

  ※各写真をクリックで大きく見られるようにしました。(編) 2023/01/12

B-52G 0201    

B-52G 0201

B52-G  2579

B52-G 2591

B-52G 6477

B-52G-6477

B-52G 6479

B-52G 6491


B-52G 6508

B-52G 6508

B-52G 6508


B-52G 0169

B-52G 0178


B-52G 7209 ?


B-52G 7209 ?


SR-71A

SR-71A 17980


SR-71A 17968


注  サンパウロとは、見物撮影ポイントに来る商売のバスがサンパウロ号だったので、いつしかサンパウロの丘と呼ばれるようになりました。