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航空歴史館

 

《追悼》  艦船と航空機両道のマニア 故中井八郎さん

2015年7月 佐伯邦昭


 Checker Tail bbsのコメントで中井八郎さんのお名前に「故」が付いているのを見て、びっくりしました。世界の艦船には訃報が載っていたそうですが、近年、雑誌を読む機会も少なく全く知りませんでした。

 電話で奥様にお悔やみを申し上げるとともに事情をお聞きしました。
  去年の9月9日いつものように朝食をしっかりとって、2時頃には帰るからと神戸市の自宅から大阪へ元気に出かけられたのが最後になったそうです。

 修理に出していたレンズを受け取りにいった店のエスカレーターで転倒され、運ばれた救急病床では既に心肺停止状態で、意識が戻ることなく翌日に亡くなられました。
 享年89歳、失礼ながら年令に不足はありませんが、レンズの修理というからには、まだまだ現役であちこち撮影行を計画しておられたのだと思います。
話しを残すことなく往かれてしまったご家族の悲嘆もさることながら、ご本人も無念の思いであろうと察します。

 中井八郎さんは神戸出身だけあって、艦船と航空機両道のマニアでした。 両方の知識情報を駆使しての写真撮影は、関西のマニアに少なからぬ影響を与えていると思います。その知識をもって世界の艦船や丸への執筆が多いので、セミプロというべきかもしれませんが、 彼はそういうことを鼻にかけず、人にも気取らせない立場(兵庫県庁の職員としても)を守っておられたように思います。 多くの人に好かれる人格のようなものですかね。

 行動力も抜群でした。海自岩国航空祭を昼前に切り上げて、佐世保だったか大村だったか、これから行くんだという事もありました。八十過ぎのお年寄りがですよ!
 若い頃に、出張で広島へ寄られて列車に乗る短い時間を過した時に、売店で買ったプラモの玩具について、帰ったら子どもがコートのポケットを探って喜ぶんだよという良きパパ振りを拝見したこともありました。

  最後に会ったのは、AGCの伊丹・甲南出版記念会でした。会うなり、彼独特の挨拶抜き、前段抜きの話し掛けが始まりました。懐かしい思い出です。途中で退席されたので、こっちから問いかけての話し はできませんでしたが、そのうち、どこかの航空祭で会えるだろうと思っていました。

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲には、貴重な写真を数多く寄せていただきました。代表的なものは次の通りで、いずれも歴史記録として極めて価値が高いものであることは、皆さんおわかりでしょう。

神戸市 A5601-2 航空歴史館 神戸港 徒然の記 飛行艇と飛行艇母艦
八尾市 A5531-1 航空歴史館  ボナンザの時代 1955年12月 阪神飛行場
明石市 A5618-1 航空歴史館 再製ベル47 JA7016のG型改造の初飛行

 艦船と航空機マニアの大家、故中井八郎さんのご功績に深い敬意を表すると共に、訃報の発表が随分遅れてしまったことをお詫びかたがた、心からご冥福をお祈り申し上げます。

                     インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作 佐伯邦昭