HOME・SITEMAP 兵庫県目次 川西〜新明和の飛行艇研究二式大艇からUS-2まで総目次 tto
History of the Kawanishi Nishiki Flying boat
1945/08/15 | 香川県詫間海軍航空隊に3機の二式大艇が現存した |
1945/*/* | 占領軍指令により、うち1機を保存機とし、2機を破壊処分した |
1945/*/* | 海軍第801航空隊司令日辻常雄少佐に保存機を横浜へフェリーするよう命令が出る |
1945/*/* | 呉の海軍第11航空廠の7人の整備員により弾痕の修復など飛行可能状態に整備 |
1945/11/10 | 米極東戦略爆撃調査委員会のシルバー大尉がPBYカタリナで詫間に飛来 (注1) |
1945/11/12 | 米極東戦略爆撃調査委員会のシルバー大尉がPBYカタリナで詫間に飛来 (注2) |
1945/11/11 | 日辻少佐の操縦で詫間から横浜へフェリー、PBYが先導 (注1) |
1945/11/13 | 日辻少佐の操縦で詫間から横浜へフェリー、PBYが先導 (注2) |
1945/*/* | 船で米国へ搬送 |
1945/12/* | ノーフォーク海軍航空基地へ陸揚げ オーバーホール後再組立 |
1946/05/23 | テスト飛行(これが最後の飛行となった) |
1946/08/22 | 水上滑走テスト開始 |
1947/01/30 | エンジン故障のためテスト打ち切り 米国での運航時間12.6時間 |
1947/02以降 | 外翼を取り外し、機体をゴム被膜で包んでモスボール化 |
1959 | 新明和興業顧問の菊原静男氏が米海軍の招きで米国を旅行し、返還について原則了解を取り付けた |
1979/04/23 | 現地で日本への返還式挙行 |
1979/06/19 | コンテナ船にゅーじゃーじー丸へ積み込み 日本へ搬送 (注3) |
1979/07/13 | 大井コンテナ埠頭からはしけで船の科学館へ搬送 陸揚げ (注3) |
1979/07/20 | 東京都船の科学館で式典 日辻元少佐も列席 |
1980/02/20 | 修復保存工事開始 (注4) |
1982/03/27 | 修復保存工事終了 一般公開開始 (注3) |
200*/*/* | 火星エンジン2基を小牧市三菱重工名古屋誘導システム製作所名誘ギャラリーへ貸与 |
2003/12 | 日本財団から防衛庁へ譲渡 |
2004/03 | 東京港から鹿児島県鹿屋航空基地へ移送 |
2004/05 | 鹿屋航空基地史料館屋外で公開 |
出典 |
二式大艇完成記念盃 叔父が川西の二式大艇の設計部にいて、完成記念に貰ったもののようです。
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二式大艇設計者 菊原静男氏関連記事 菊原
航空情報1960年2月号 地の人空の人欄
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アメリカから返還の直後 撮影1979 阿施光南
アメリカから返還の直後 鈴木紳吾 コクーン(保護皮膜)をはずした時のもの
到着直後の操縦席
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撮影1980/02/11 にがうり
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撮影1980 Ota
右胴体の米軍マークを消して、展示場所の基礎工事を待っている段階と思われる
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撮影日不明 阿施光南
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撮影1981/12/8 にがうり | |
更 撮影1989/04/27 丹羽八十 |
撮影2003/04/23 にがうり | |
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撮影2003/12/21 佐伯邦昭 | |
撮影2004/03/16 ゼロナナ
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8 鹿屋基地へ移送決定 防衛庁長官へ岩国基地格納庫廃材転用で二式大艇上屋を要望
拝啓 防衛庁長官殿二式大艇に岩国の1格上屋を
イラク派遣でお取り込み中のところ失礼いたします。
このたび川西二式飛行艇が解体運搬、設置基礎工事費込み7,750万円とともに船の科学館から防衛庁へ譲渡されました。世界に誇る日本の名艇が寿命を延ばしたことに一航空愛好家として喜びにたえず、日本財団と防衛庁に心から敬意を表します。
そこで、問題は鹿屋航空基地史料館においての扱いであります。錦江湾に面する鹿屋は塩害、桜島火山灰、台風直撃等の自然災害にあいやすく、維持管理に十分な注意が必要なことは先刻ご承知のとおりです。
聞くところでは、航空公園の展示機群の道路を挟んだ西側空き地を予定されているそうですが、当分の間は露天もやむを得ないとしても、将来はぜひとも上屋を建設して、風雨や火山灰から保護してやっていただきたいのです。世界にただ1機しか残っていない名機を露天で朽ちさせるのは、歴史を粗末に扱うものと先進国の物笑いになると思うからです。
ついては、いま岩国飛行場の沖合い展開事業が進行しておりますが、並行して進められる海上自衛隊岩国航空基地の格納庫移転による廃材を活用されるようお薦めいたします。
例えば、戦時中建設の第1格納庫です。床や壁は修理を重ねているものの、鉄骨はまだ十分に使用可能のようにお見受けします。これを鹿屋に運んで上屋に組み立てるというようなことは考えられないでしょうか。
1格の広さなら二式大艇はもちろんR4D-6QやP2V-7も同時に格納できるかもしれません。
沖合い展開事業の完成は4年後と予想されております。時間もありますので予算措置を含め十分にご検討くださるよう希望いたします。
2004/01/07 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作者 佐伯邦昭
撮影2004/05/03 G7
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撮影2004/08 HAWK |
撮影2004/12/06 佐伯邦昭 (方向舵を仮固定)
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撮影2005/10/27 永野修一 (方向舵を固定) |
2007/05/13 鈴木紳吾
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撮影2010/06/13 元村博之 |
撮影2013/11/04 高田
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再び上屋を要望する
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