HOME SITEMAP 日替わりメモ 日本におけるビーチクラフト モデル18研究総目次へ
航空歴史館 |
E 讀賣(読売)新聞社のビーチクラフト18
登録 | 型式 | 1952 | 1952 | 1953 | 1954 | 1955 | 〜 | 1972 | ||
1 | JA5002 | C18S | 讀賣 | 青木航空 | ||||||
2 | JA5012 | D18S | 読売 | |||||||
3 | JA5014 | E18S | 読売 |
讀賣(読売)新聞社のビーチクラフト18
航空再開後の朝日、毎日、讀賣、産経、中日5社の激烈な航空機獲得競争の中で、読売は単発機登録の抽選で ナンバーワンのJA3001(セスナ195)を獲得し、朝日は双発機でいち早くエアロコマンダー生産第1号機を手配して ナンバーワンのJA5001を獲得しました。読売は、八方手を尽くしてインド航空が使っていた米軍払下げのビーチクラフトC18S(C-45)でやっと ナンバーツーのJA5002を獲得し、この機体で戦後の日本航空界初の海外渡航となる台湾双十節祝賀飛行を挙行して、朝日に返り討ちを浴びせたのでした。因みに他の新聞社双発機は、毎日がダブJA5005、産經がD18SのJA5010、中日はずっと遅れてエアロコマンダーJA5047でした。
読売は、どういう訳かC18Sをすぐに手放して青木航空に譲渡しています。 中古の機体を台湾飛行で無理を重ねた結果、報道取材に耐えられないと判断されたのでしょうか。あるいは、既にD18Sの新造機をビーチクラフトに発注しており、当分はセスナ195、パイパーPA20、ベル47D-1の3機体制で十分であったのか、 自社の二子玉川河川敷での使用が不便であったためかもしれません。
しかし、続く新造機のD18Sも、9か月足らずで羽田沖 で不時着水事故を起こしてしまいました。 高度計の誤表示ということでした。その1か月後には青木航空に譲渡していたC18Sも福島県でクラッシュします。
お祓いを受けたいほどの読売ビーチクラフト18でしたが、3機目のE18Sは、E型としては日本で初めて輸入し、その後に輸入するC50ツインボナンザ、B55バロンとともに長く活躍し てモデル18の面目を施しましたね。
JA5002 ビーチクラフト C18S
1949 c/n6176 USAF43-35542 → インド航空 VT-AVV 1952/09/27 JA5002登録 愛称よみうり103号 定置場東京国際空港 1952/10/09-25 台湾双十節祝賀飛行実施 戦後初の国際飛行 1953/01/22 ▼青木航空 定置場東京国際空港 1954/09/25 アジア航測チャーター 羽田から千歳へ向かう途中 福島県 会津若松南方六石山中腹に激突 5人死亡 1954/10/27 抹消登録
航空情報1952年12月号
世界の航空機1954年1月号
イラスト ヒコーキの会機関誌ヒコーキ雲56 1968年 佐伯邦昭
戦後初の海外渡航となった台湾双十節祝賀飛行の概要
訪問団編成 操縦士大関昇、木暮右太郎、機関士佐々木春美ほか読売新聞関係者 合計7人 1952/10/08 コース上の天候不良のため、午前5時出発の予定を中止 1952/10/09 05:25 羽田飛行場離陸 板付経由 16:20那覇に到着 1952/10/10 台湾双十節 祝賀行事には間に合わず 1952/10/11 天候不良のため飛行中止 1952/10/12 14:40 那覇飛行場離陸、 17:55台湾松山飛行場に到着 1952/10/14 16日まで台南など各地歴訪 1952/10/22 09:10 台北発 那覇に一泊 1952/10/24 07:45 那覇飛行場離陸、板付経由 途中低気圧のため焼津飛行場に不時着 1952/10/25 09:16 焼津飛行場離陸、10:05羽田飛行場に帰着 世界の航空機 1954年11月号
JA5012 ビーチクラフト D18S 102 | ||||||||
|
JA5014 ビーチクラフト E18S 讀賣新聞107 | ||||||||||||
|