航空大学校には、航空自衛隊から1962年に2機、1963年に1機、1964年に4機のT-34Aが移管されました。当時、大学ではKAT-1の稼働率の低さに悩んでいたそうで、
メンターの実績と、たまたま航空自衛隊のT-34A教育に余剰が生じていたことから、お互いの思惑が一致したものと思われます。
1970年には、全機JA登録を抹消し、書類上は航空自衛隊へ返還となっていますが、実態は宮崎で廃棄処分されたようです。うち4機が5年後に宮崎実業高校へ移送されていますが、同校に航空学科はないので、これらをどのように活用されたのかは不明です。
宮崎実業高校へ移送 撮影1975/03 T67M
B45の後継には同じくビーチクラフトのE33ボナンザが選ばれました。噂では、通産省から国産機を使えとクレームがつき、富士重工のFA-200も導入されることになったといわれます。