航空歴史館 | 開始16/11/17 更新21/07/30 |
テーマイラスト 古谷眞之助
このページ |
第1 略 歴 | |
既存情報の機数のあいまいさについて ヒコーキ雲上の結論 | ||
第2 全機の経歴と写真 | 輸入機の部 | |
ノックダウン生産機の部 | ||
更 ライセンス生産機の部 | ||
番 外 | フィリピン空軍のT-34A | |
第3 技術ノート T-34Aの背面飛行について | ||
第4 技術ノート 航空自衛隊T-34Aのシリアルナンバーのつけ方の疑問 | ||
工事中 | 第5 技術ノート 警備隊と海上自衛隊のメンターの変遷 | |
第6 技術ノート 陸上自衛隊の塗装の変化について |
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第7 技術ノート 航空自衛隊救難隊T-34Aの懸架物について | ||
第8 技術ノート 航空大学校のB45メンターについて |
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協力者 |
石手隆之、インプラント、大平昌美、 かかし、金澤理勝、幸田恒弘、コノミ、 シシオ、菅原 康、高尾 真、高田和彦、チャーリーマイク、戸田保紀、ハービー、ひうち、飛行浪人、平塚 滋、古谷眞之助、 山内秀樹、山本晋介、遊佐 豊、吉田家、A-330、CTSsuga、eaglet、ELINT人、geta-o、GUNDUZAMK、KUPANBA、NPC、RENAT、T67M、TADY BEAR、TRON、YS45 【まとめ 佐伯邦昭】 |
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参考文献 |
下郷松郎「国産機プロダクションリストCD」、佐藤正孝JAPANESE MILITARY AIRCRAFT SERIALS 07/08、航空情報 ・世界の航空機(記事・写真を借用) 、1999年刊文林堂自衛隊航空機オールカタログ、2005年刊文林堂航空自衛隊50周年、年表山口県航空史ほか |
1952/08/01 |
保安庁発足、保安隊(陸)と警備隊(海)新設 |
1952/10/15 | 浜松に保安隊航空学校新設 |
1953/10/15 |
警察予備隊小月訓練隊を保安隊小月駐屯地に変更 |
1953 |
保安隊(陸)と警備隊(海)にビーチクラフトT-34Aを各10機輸入を決定 伊藤忠扱い 富士工業がメンターの製造ライセンス取得
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1953/09/10 |
富士重工業がメンター製造権取得
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1953/10/19 |
保安隊が富士重工にビーチクラフトT-34Aを30機を発注内示
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1954/03/13 |
警備隊の輸入1、2号機 富士重工から引渡
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1954/03/25 |
警備隊鹿屋航空隊開隊
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1954/07/01 | 防衛庁発足 保安隊を陸上自衛隊に、警備隊を海上自衛隊に変更し、航空自衛隊を新設 |
1954/07/16 | 保安隊分の輸入10機 富士重工から航空自衛隊へ引渡 |
1954/08/31 |
航空機の分属を決定 (注) 3自衛隊の航空機に付与するシリアルナンバー方式は、この分属決定以降に審議決定 されたものと思われます。また、浜松の保安隊航空学校は、航空自衛隊操縦学校となり、分校を小月と防府に置き、陸上自衛隊は、翌年明野へ全面移転しました。 |
1954 |
部品メーカーの決定
直径短縮プロペラの試作 (後日、200mm短縮したプロペラを採用) |
1954/09/01 | 小月に航空自衛隊第1教育航空隊 第1操縦学校開設 |
1954/10/26 | 富士重工のノックダウン生産1号機 製造番号KD-1 41-0311を航空自衛隊へ引渡 |
1954/12/25 | 航空自衛隊第1教育航空隊 第1操縦学校小月から防府へ移動 |
1955/03/01 | 防府に航空自衛隊第2教育航空隊編成 |
1955/03/14 |
防衛6ヵ年計画にT-34Aを150機調達の計画
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1955 |
海上自衛隊機を航空自衛隊へ
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1955/07/29 | 浜松の陸上自衛隊航空学校が明野へ移動 |
1955/10/13 |
国産メンター1号機完成 製造番号FM-1 51-0361
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1955/11/01 |
防府に航空自衛隊第一操縦学校分校開設 T-34A 6機配備 初期の格納状況 年表山口県航空史1910〜2010より |
1956/04/01 | 陸上自衛隊小月駐屯地を航空自衛隊に移管 第1操縦学校小月分校開校 |
1956/04/01 |
第1操縦学校分校が防府から小月へ移動 1956/12現在の航空自衛隊学校編成 1969年刊航空情報写真集自衛隊の航空機より |
1957/03/31 |
1956年度末の航空自衛隊学校編成 2005年刊文林堂航空自衛隊50周年より
第1操縦学校 小月、防府 |
1959/06 |
小月の航空自衛隊第1操縦学校が第11飛行教育団として独立 |
1964 |
航空自衛隊のT-34A 余剰機を各方面へ譲渡
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1964/05 | 航空自衛隊のT-34A 9機を陸上自衛隊へ移管 航空学校岩沼分校へ |
1964/07/25 |
航空自衛隊第11飛行教育団が小月から静浜へ移動 航空自衛隊 はつかぜ雄飛乃跡碑 撮影2007/10/21 佐伯邦昭
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1965/03/25 | 海上自衛隊小月派遣隊が小月教育航空群に昇格 鹿屋から第201航空隊が異動 |
1969 |
海上自衛隊がT34Aによる教育を停止
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1980/10 | 第12飛行教育団のT-34A教育が終了 富士T-3に変更 |
既存情報の機数のあいまいさについて ヒコーキ雲上の結論 結論 |
航空フアン別冊 1999年刊 自衛隊航空機カタログ
航空情報1960年12月号 自衛隊機ノート ビーチクラフトT-34Aメンター
航空情報1967年7月号別冊 現用日本の航空機
ウイキペディア T-34 (航空機)
日本におけるビーチクラフトT-34Aメンターの機数 編集者の一応の結論
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