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航空歴史館技術ノート 掲載04/05/11
追加15/01/07

ロッキードF-104Jシリアルナンバーの怪

たかがシリアル されどシリアル

 
 このたび文林堂から発行された世界の傑作機104 ロッキードF-104J/DJ”栄光”はファン待望の書として好評裡に受けとめられております。内容は書評11をどうぞ。

 それはそれで結構なのですが、記事中のリストと写真との関係でおやっと思うことがあり、文林堂へ照会をしたり他の書籍を当ったりしております。問題は製造番号C/NとシリアルナンバーS/Nのことです。

 たかがシリアル、されどシリアル 同じ顔をしていても飛行機は1機ずつ違います。正確な航空史をつくる上で基本のひとつがS/Nであり、C/Nであることは言うまでもありません。

 ロッキードF-104JのC/N1号機と2号機のS/Nについて発した疑問については、今のところ決定打となる根拠を見出し得ず、マニアによる航空史研究の限界でもあるし、逆にみればきわめて面白いテーマだということもできます。

 なぜなら、下の表をじっくりと観察していただけばわかりますが、C/N3001の航空自衛隊におけるS/Nは#505か、#506か、#502か、はたまた#501か・・・ ?
 同じくC/N3002の航空自衛隊におけるS/Nは#501か、#502か・・・?? 等々、どの資料が正しいのかというパズルです。

 資料1から4までの8機分のリストでピタッと一致するのはC/N3004だけです。資料4のようにきれいにS/Nが並んでいれば文句はありませんが、他は無作為抽出みたいに順不同となっております

 

製造番号

航空自衛隊シリアルナンバー

資料1

資料2

資料3

資料4

資料5

資料6

683B-3001

26-8505

26-8506

26-8502

26-8501

 

26-8506

683B-3002

26-8501

26-8501

26-8501

26-8502

26-8502→26-8501

26-8502→26-8501

683B-3003

26-8508

26-8508

26-8503

26-8503

   

683B-3004

26-8504(KD)

26-8504

26-8504

26-8504

   

683B-3005

26-8502(KD)

26-8502

26-8505

26-8505

   

683B-3006

26-8503(KD)

26-8503

26-8506

26-8506

   

683B-3007

26-8506(KD)

26-8505

26-8507

26-8507

   

683B-3008

26-8507(KD)

26-8507

26-8508

36-8508

   

(注) KDはノックダウン

資料1 文林堂 世界の傑作機104(2004年発行) 下郷松郎氏発行のDVD「プロダクションリスト」も同じ
                リストは
Japan Aviation Research Group(JARG日本航空機研究会)発行の
               
“Japanese Military Aircraft Serials”から採用    

資料2 渡邉明著 Japanese Air Arms 1959〜1984 (1984年発行)
資料3 モデルアート1985年10月号臨時増刊 F-104STARFIGHTER  リストは幸田恒弘さんの独自調査
資料4 F-104Jでネット検索

資料 航空ファン 1986年2月号 櫻井定和 篠原倍雄 「栄光の航跡 F-104Jの生産と部隊建設」 
資料 J-Wing 2000年8月号


完成機かノックダウンかの疑問

 疑問の発端は、日本初登場として1962年2月8日にカナディアCL-44輸送機で小牧基地へ空輸されてきた完成機に#502と書かれてあったことなです。到着写真は世傑104 p75

 完成機なのに資料1の#502がノックダウンとしてあるは何故かということなのですが、これは世傑担当の湯澤豊さんから大要次のような回答が来ました。

 
 
当時F-104Jに関しては、ノックダウン生産機でもロッキードで一度全部組み上げて飛行試験で機能を確認してから輸出していた。し たがって、実際には完成機輸入とノックダウン組立のあいだにあまり垣根がなく、あくまでも書類上の類別だったようである。

 三菱ではこうしたほぼ完成機に近いノックダウン機を「オール・ノックダウン」と呼んでいたそうである。

 さらに、ノックダウン機でも段階的に細分化度が違い、最初のうちは完成機に近かったものが、徐々に細かく分解されて三菱に搬入されていったようだ。

  ロッキード社は、そこまでしていたのかと驚きましたが、これで ひとまず理解できましたし、AH-44から引き出されている翼のない胴体がそもそも完成機としてはなくノックダウン部品の扱いであったのかもしれないと思うようになりました。


シリアルの疑問

(この写真の撮影者又は提供者を探しています)

 垂直尾翼に25-8502とだけ書いて、日の丸もない無塗装状態のこの写真は、 別冊航空情報 自衛隊メモリアルシリーズNo.2「F-104J/DJ」のp21に載っている写真の連続コマと思われます。

 そして、写真の裏に「自衛隊では501号機になった」とメモがあります。それは、資料5の栄光の航跡にある「バ−バンクでの評価試験に #501(C/N3001・#506に変更)と#502(C/N3002・#501に変更)を使用し、106回のテストフライト〜」 という記述と一致します。

 また航空情報1962年4月号国内ニュースに「 ・・・・到着したF-104J1号機(ロッキード番号3002号機)はロッキード社の技師の指導で約30人の作業員が直ちに組立に着手・・・・」とあります。

 資料5の栄光の航跡については筆者を尋ねたのですが、文林堂のほうで篠原倍雄さんと連絡が取れませんでした。噂では栄光の航跡は防衛庁も注目していたということで、確度の高い資料が用いられているものと思われるので残念です。

 航空ファン三井一郎編集長は、世傑104のリストと栄光の航跡の記述が違うことについて大要次のように答えてきました。

 
 製造順(製造番号)とシリアルの整合性に諸説あることについては、結論を現段階でだすことに無理があるように思う。仮に内部資料と言われるものが出たとしてもその信憑性を確認する手段がわれわれにはない。

 ともかく、佐伯さんのような疑問を公開して、意見を出し合うことが今のところできうる最善の策だと考える。 

 そういうことでしょうね。

 

 もうひとつ、資料6のJ-Wingsに次のような記事があります。(イカロスはメールアドレスを公開していないので質問はしておりません が、筆者の松崎さんは各雑誌で活躍しておられるようなので、お目に触れたらご教示ください。)

 
 ロッキードで製作されたF-104J、1号機(製造番号3001、後に26-8506は1961年6月30日にアメリカで初飛行を行い、引き続き米国内でのテストに使用された。続いて完成した2号機(同3002/26-8501がいったん分解されてフライング・タイガーのAH-44D4貨物機により62年2月8日小牧の新三菱重工に運び込まれ、再組み立ての後3月8日日本の初飛行に成功した。J型は3号機までがロ社で作られてテストフライトの後日本へ運ばれるという方式が採られ、・・・・ 

 

 以上のような事情ですので、C/NS/Nの関連付けの疑問については、 ここで決定的な結論を出すことなくひとまず置いておくこととします。


自衛隊が#502を#501に書き換えたのか

 

 最後に佐伯の大胆な推理をひとつだけ展開しておきます。

 ロッキードが26-8502をAH-44で送ってきたのは、26-8501とすべき機体が何らかのトラブルを起していて、日本の会計年度に間に合わ なくなり、急遽2号機の26-8502を1号機として出したのだと思います。だから国内ニュースはわざわざF-104J1号機(ロッキード番号3002号機)と書いているのです。 

 そして#502と書かれて小牧に降ろされた1号機は、3月8日に初飛行した時には#501となり、更に、4月1日の「航空自衛隊へ1号機引渡式」でも #501となっております。 

 航空情報1962年5月号の生産計画表によると、J型の月産は
 3月が1機 累計1機
 4月が0機 累計1機
 5月が1機 累計2機
 6月が0機 累計2機
 7月が1機 累計3機
というように、当初は2ヶ月に1機しか完成しておりません。また防衛庁発表の昭和37年度末の保有機はF-104Jは1機です。

 つまり、2機体制になったのは5月でした。3月8日初飛行と4月1日引渡式の時には、#502の1機しかおりません。初号機は明らかに番号を#502から#501へ書き換えたのです。

 書き換えの理由は?

 そのヒントは、世傑104の75ページに加賀さんが書いている「防衛庁調達本部が3月31日午後11時30分に三菱などと生産契約を締結した」にあります。あと30分で年度が代わるというぎりぎりの時間に滑り込みセーフみたいな調印をしております。

 グラマンかロッキードかで大騒動を展開した次期戦闘機の国産契約にふさわしいドラマですが、5ヵ年の長期請負契約というと予算外義務負担(現在は債務負担行為という)を伴ない、これは国会議決事項ですから、おそらく防衛庁の事務方と大蔵省とで相当に紛糾していたことでしょう。

 それだけ注目されている飛行機の初飛行や引渡式が
 「2号機では格好がつかないではないか‥」 
 「昭和37会計年度の決算書にとりあえず1機記帳しておかなければならないが、それが2号機では説明がつかんではないか‥」 
 「野党やマスコミから何を言われるかわからんぞ‥」
といったようなことではないでしょうか。

  木更津に遊ばせていたノースアメリカンF-86Fを隠すために、現役のシリアルを書き換えて、さも全機飛んでいるように見せた前歴のある航空自衛隊ですから。


日替わりメモ474番 2004/06/08

大石治生さんから投稿

 推測ですが、F-104Jのシリアルナンバーが新造時から乱れていたのは、納入すべき機体部品が製造時に破損したか、納入前に改修問題が発生して製造ライン上の部品を改修して部品取りし、納品する機体に取り付けたのかも知れません。

 また、納品後に部隊運用を始めてトラブルや故障・改修が必要となった場合に製造中の機体から部品を調達したのではないでしょうか?

 もちろん、そういうことはLOG BOOKにはきちんと記載されているものと思います。


日替わりメモ 2008/06/28

 〔表紙絵38〕  今日は何の日 1961年6月30日 ロッキードF-104J初飛行の日

〔表紙絵38〕  6月30日 今日は何の日 1961年 ロッキードF-104J初飛行の日 


(上) F-104Jの2号機 米国での撮影なら、日本で航空自衛隊初号機26-8501にされた機体である

(下) 翼端増槽を装着してのテスト飛行 エアインテークの赤い三角マークが未記入 1号機か2号機かは不明 

○  たかがシリアル されどシリアル

 いまだに人気が衰えないマルヨンですが、そのJ型の初号機から8号機までの製造番号C/Nと航空自衛隊のシリアルナンバーS/Nが書籍によってばらばらという問題はいまだに未解決です。

 S/Nが違うじゃないかと騒ぐのは佐伯くらいのものでしょうか。
 しかしですね、表紙絵の写真が初号機か2号機か・・ 撮影場所はアメリカか名古屋か・・ 撮影時期は・・  ノーズナンバーが無いのは・・ エアインテークの標識が無いのは・・ と次々に追及したくなる性癖は死ぬまで治りませんね。 すっきりと答えが出るまではどうも寝覚めが悪いようで。

今日は何の日 ― 1961年6月30日、アメリカのロッキード社バーバンク工場で 航空自衛隊向けF-104J(製造番号)683B-3001が初飛行した日です。それに引っ掛けて再び『ロッキードF-104Jシリアルナンバーの怪
たかがシリアル されどシリアル』
を世に問います。

 そもそも、フライイングタイガーのAH-44貨物機が初めて積んできたF-104JがC/N683B-3001ではなく 、2号機のC/N683B-3002であったところから、航空ライターさん達による8号機までの自衛隊シリアルの混乱が始まっているみたいです。例えば、C/N683B-3001のS/Nは著者によって#501・#502・#505・#506と多彩なもんです。豚の子なら、名前が少々入れ替わっても育てに支障はないでしょうが、航空機の経歴書がころころと変わってしまったら、耐用年限で取換やオーバーホールする部品をどうするのかなど、現場が困りませんかね。

 といっても空自や三菱にとっては既にどうでもいいことで、何号機が何番かとほじくり出しているうちに何か隠している事実でも出てきたら大変だと。8号機までは、4機が事故で失われていますが、組立工場での場当たり的な扱いに遠因があったりすると、触らない方が得策かと。 

 2015/01/07

〇 ともかく下郷説に従います

 別項「ロッキードF-104J/DJ研究」を始めるにあたって、当時の雑誌のニュース欄等を丹念にあたってみたところ、どうやら資料1下郷説「世界の傑作機104(2004年発行)」が正しいのではないかという心証を得ました。もちろん確定とする事はできませんが、ほぼそれに近いものとして、以後の研究に使うこととします。