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私のアルバムから 伊丹・甲南
今日から発売された『私のアルバムから 伊丹・甲南』です。内容等については、私の独善批評を読んで、面白いなと思ったら、どうぞ買ってあげてください。
併せて帆足さんの鉛筆画による来年の飛行艇カレンダーの宣伝も代行しておきました。
『私のアルバムから 伊丹・甲南』出版記念パーティが大阪のリバーサイドホテルで行われ、私もはるばる広島から駆けつけました。ヒコーキが飯より好きで、伊丹や甲南に日参してレンズを向けていた人たちの集まりですから、楽しかったですね。
私は、浪速の名匠高見保市さんの隣に座ったので、見事としか言いようのないソリッドモデルや新明和工業の内部写真などでいろいろと勉強した次第です。
ただ、残念に思ったのは、かって一世を風靡していた関西航空機写真クラブいわゆるKAPC(人生録参照)のメンバーが山内秀樹、佐藤潔、中井八郎の各氏くらいの出席で、私に多大の感化を与え、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の原点にもなってくれた上田新太郎君らの顔が無いことでした。
病気や他都市への転居でマニアから離れてしまうのはやむを得ないこととはいえ、せっかく大阪へ行きながら、あの当時の懐かしい話しを交わすことができず、そこだけぽっかり穴が開いたような気持ちで大阪を後にしたのが心残りです。
という訳で、当時のKAPC主力メンバーの一人倉本信章君が、マニア活動はしていないものの、中小企業の社長として頑張っていると聞きましたので、彼の傑作写真を1枚載せておきます。1968年4月16日伊丹での大韓航空F-27です。
実はこの本にフレンドシップが取り上げられていないので、多分、涙を飲んで落したのだろうと赤塚さんに言ったら、そのとおりでした。限られた誌面に限界線を引くのは断腸の思い、編集者にとって鬼門中の鬼門です。よく分かります。
だから、読者から気持ちは分るよと言われると無性にうれしくなるものです。そんな意味を込めて、この本を手に取って貰いたいし、率直な意見を送ってやってほしいと思います。