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つくば市 国土地理院
国立科学博物館つくば収蔵庫

:現地に展示または保存中のもの ×:過去のもの :現状不明

 
A3016-1 茨城県つくば市 国土地理院
       
Geospatial Information Authority of Japan, Tsukuba City, Ibaraki Prefecture 
       
◎ つくば市 国土地理院構内 ビーチクラフトB-65P 9101(元JA5061) 
1960/*/*  c/nL2クイーンエア65の第2号機 N820B
1960/03/08 建設省国土地理院が購入、JA5061として登録 写真測量機に改造
1960/10/02 海上自衛隊岩国教育航空隊が国土地理院から写真測量業務を受託し、B-65P 9101 「くにかぜ」として運用
1963/*/* 宇都宮の海上自衛隊第202教育航空隊で運用
1973/02/20 第202教育航空隊が徳島へ移り、徳島教育航空群となる。本機も移動
1966/11/12 JA5061登録抹消 海上自衛隊へ正式移管 
1983/*/* 海上自衛隊用途廃止 国土地理院へ所管替え
1984 国土地理院に展示
 航空歴史館総目次76 クイーンエアの鏡も参照してください

 飛行機の向こう側に写っている半球状の白っぽいものは、日本の全領域を地球規模で表してあるモニュメントです。球体になっていて、北海道から与那国島や沖ノ鳥島、南鳥島、等日本全域を歩いて感じる事ができます。知床半島に立つと、与那国島はかなり反った位置関係である事が体感できます。(シシオ)

撮影2004/02/14  シシオ

 去る11月8日につくば市の国土地理院にあるB-65Pを見てきました。
  特に変化はなく、キレイに保たれていました。(山本晋介)

新 撮影2020/11/08 山本晋介

参考写真 現役時

1981年観艦式予行 撮影1981/10/31 下総航空基地 YS-45

参考写真 くにかぜU ビーチクラフトUC-90 9102
1960/*/*  c/nLJ-1038 N1839D
1983 海上自衛隊9102、第51航空隊 くにかぜUと命名
  第202航空隊が建設省国土地理院の写真測量業務受託
2010 用途廃止 徳島航空基地参照

2004年ちびっこヤング大会 撮影2004/07/17 下総航空基地 YS-45

 

国土地理院のくにかぜ50周年展  撮影2010/07/24 MAVERIC


 奥に写っている左側は測地観測塔で、右はVLBIアンテナ


 ビーチクラフトB-65P 9101
 著変なしです ただ敷地内にある地図と測量の科学館で「くにかぜ50周年」の企画展をやっているので、それにあわせて塗装を塗りなおし、きれいな状態になっており、毎水曜日には機内の公開があるそうです。

くにかぜの説明板





ビーチクラフトB-65P 海上自衛隊 9101
ビーチクラフトUC-90 海上自衛隊 9102



セスナ208B 国土地理院 JA315G

 

A3031 茨城県 Ibaraki Prefecture 国立科学博物館つくば収蔵庫
 
◎ 霧ケ峰式鷹七型グライダー JA2001 撮影2008 M6A
  萩原木材工業製作 c/n2 
1952/10/24 JA登録 所有者日本グライダー倶楽部  定置場読売玉川飛行場
1958 使用停止
2003/05/15 抹消登録 
時期不詳 日本航空協会が秩父宮記念スポーツ博物館へ寄贈
   製作者のご子息、秩父宮記念スポーツ博物館及び日本航空協会が協議のうえ、国立科学博物館つくば収蔵庫へ現状維持のまま保管することに決定
 
理由 
 布にワイシャツ切地を用いたり、塗装が一度塗り(現在は重ね塗り)である等、材料が困窮した時代の工作原型が保 たれており、航空技術遺産としての価値が高いと認められた。
 
2009現在 国立科学博物館つくば収蔵庫に保管中

撮影2008 M6A

 

参考文献  航空情報 1952(昭和27)年11月号 今飛んでいる滑空機 より

ソアラー 鷹七型           航空局検査課機体係 高橋政雄

 ソアラーに乗って最初こ飛行機曳航の練習を行うのは、このクラスの滑翔練習機である。
ドイツのグルナウベビーを原型にしたものであるが、飛行機曳航速度120km/hまで、勿論、宙返り、きり揉み、、失速反転の曲技飛行も充分行える。
 性能上からみれば、他にもつとすぐれた機体もたくさんあるが、親しまれていたソアラーではこの鷹七型であろう。
 ウインチ曳航で上昇する場合、尾翼が失速を起してピッチングをやることや、機首が軽い(巡航滑空状態で手放し飛行をやると、やや機首を持ち上げる、この場合、体重60kg、落下傘8kgとして、68kgの搭載重量であるが)しかし、元来ウインチ曳航を主目的とするものでほなく、普通の滑空速度の約2倍の120km/hで飛行機曳航を行った場合でも機首を押さえるために操縦力を過度に必要とする訳でもなく、単座練習用には今後も必要とされるのではなかろうか。
 この鷹七型でも戦後最初に製造された機体よりも第2番機として製造された機体の方がウインチ曳航中のピッチングの傾向が少ない。やはり製作技術の向上が認められる。

                            


注 : 戦後最初に製造された機体というのが、JA2001を指し、第2番機がJA2002(鷹七型  布施工業高校製 c/n1)或いはJA2003(鷹七型 萩原木材工業製 c/n3)を指すのかは分かりません。しかし、当時の技術水準を示唆する好論文ではないでしょうか。

 なお、1954年版世界の翼(1953年12月発行)には、グルナウベビーを原型とする霧ケ峰式鷹七型JA2009(東京合板工業製)を宮原旭氏T27参照)が設計したとあります。(佐伯邦昭)


日替わりメモ091229番

○ 霧ケ峰式鷹七型グライダー JA2001

 JA2001は、記録派マニアとしては、2千番台登録の第1号機という点に大きな価値を見出すのですが、同時に、製作された1952年当時の姿がそのまま残っているとすれば、航空再開を期して各地で始まったグライダーの製造技術を示すものとして航空史上の生きた資料でもあります。

 同機が、つくばの収蔵庫に保管されている経緯も書いておきましたが、東京から筑波へ運んでくれた人が木製グライダーの修理もしていたベテラン整備士で、その人の話しから1952年当時の姿を残していることが分かったといいます。

 もともとは、この機体を作った技術者のご子息が、代々木の博物館に保管されていたのを修復して再び飛べるようにしたいという希望であったそうで、航空技術遺産保存という見地からの説得を了承してくれたものだそうです。

 ただし、例えば今後一般公開するとしても、木と布ですから、補修したりすれば、正常な部分に余計な力が掛ったりする恐れもあり、手を加えるのが躊躇される状態だそうで、結局は、昔はこうだったのかという研究材料での立場しかないように思われます。それは、同じ時期の巴式ろ之参型セコンダリーJA0005 の尾翼も同じでしょうね。(G041参照)