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東京航空東雲飛行場について
とにかく、あの頃の歴史は分からないことが多いです。
A 航空情報1953年6月号国内ニュース
「東京航空KKは4月28日東京航空飛行場(埋立地に滑走路を設定)開きを行い事業航空を開始した」
B 日本航空協会1983年日本航空史年表
「1953/04/28 東京エア・パーク(江東区月島埋立地、滑走路550m)完成」
C 日本航空協会航空年鑑1956年版(同協会による戦後初の航空年鑑)
「東京エア・パーク」等の記載なし、以後の年版にも一切記載がない
D 航空情報1960〜1965年版世界航空機年鑑
「東航飛行場 江東区深川東雲町 450×20 転圧 管理者東京航空KK」
E 航空情報1966年版世界航空機年鑑
「東航離着陸場 江東区深川東雲町 450×20 転圧 管理者東京航空KK」以後の年鑑には記載がない
F 鳳文書林 1962年版日本航空機全集
「東航 管理者東京航空 江東区深川東雲 430×30転圧 誘導路エプロン有 450,000坪 非公共用」
さて、1958年の写真には陸自のL-19が写り、上の写真には陸自の小型機と思えるものが写っています。また、パイパーPA-22(Nナンバー)には、専用のコンクリートの足場が設けられているみたいです。陸上自衛隊が少なからず利用していたとすれば、航空管制下で離着陸が行われていたに違いありませんが、日本航空協会の年鑑に記載無しというのは、脱落なのか無視なのか??
それでは困るので、参照しうるバラバラ文献
の中から、一応酣燈社を信用することにしておきます。
『東雲飛行場は、1953年から1965年まで12年間は航空法によるものかどうかは別として、とにかく飛行場であり、1965年から東京航空が阿見に移転する1980年までは場外離着陸場扱い
になっていた。』と。