○ 大刀洗の零式艦上戦闘機など
大刀洗平和祈念館は、零戦だけを撮影可能にしているのだそうです。九七戦をなぜ写してはいけないのでしょうか。遺品撮影からプライバシーが侵されるというのは分かりますが、九七戦の(操縦者の遺品などはともかくとして)機体などの撮影禁止の理由がわかりません。メールで問い合わせていますので、そのうち回答がくるでしょう。
○ 大刀洗平和記念館から回答 2009/11/27
佐伯様
大刀洗平和記念館の撮影の件についてお答えさせていただきます。当館では開館にあたり、館内での撮影は全て禁止させていただ方針を持っておりました。同様の資料館等において撮影禁止している施設が多いことや、当館には遺族や資料提供者からの寄贈、預かりの遺品、資料が多いことなどからです。しかし、零戦を寄贈いただいた福岡宇宙協会から、入館者の零戦撮影をさせてほしいとの要望があり、零戦のみ撮影できるように対応させていただいております。97式戦闘機については周辺に遺品や遺書、写真もあり、撮影をご遠慮いただいております。ご理解いただきますようお願い致します。
佐伯から : お答えありがとうございます。零戦の撮影に関する福岡宇宙協会のお考えに敬意を表します。
一方で撮影禁止処置について、私は次のように考えます。
デジタルカメラの普及、特に携帯電話にカメラ機能が付いてからは一億総カメラマンの様相を呈しており、目に焼き付ける前にカメラに収めて後で見ようという風潮が蔓延しています。よって撮影禁止にするところが増えているのは分かります。
しかし、社会教育施設の役割のひとつとして、写していいものといけないものとをきちっと説明してルールを守らせるというような管理(教育)はできないものでしょうか。
一律に禁止しておけば管理が楽だからという発想は情けない限りです。九七式戦闘機には、独特の機銃発射装置や日の丸の塗料など貴重なこん跡もあり、遺品などを周辺から遠ざけ
、撮影可とするような配慮(館の努力)を求めたいと存じます。
○ 続 大刀洗の零式艦上戦闘機など
昨日、大刀洗平和記念館へ回答のお礼をメールし、次のように付記しておきました。
九七式戦闘機を、遺品という観点から展示するのも結構ですが、世界にただ1機しか残っていない貴重な科学技術遺産としての価値も合わせ考えて頂きたいです。その細部写真も撮ることができないというのは、人々をいたずらに科学から遠ざけてしまうことになりませんか。平和祈念の概念の中には、こうして平和であるからこそ昔の科学技術の粋がまじかに観察できるという点も含まれると思うのです。
もちろん返事はきていません。
今朝は阿施光南さんもブログに疑問を書いていますが、期待して訪れたのにがっかりしている人が多いでしょう。零戦を写させて九七戦を写させないという天地ほどの差をおかしいとするのが普通人の感覚ですからね。
昨日の回答文の中に「同様の資料館等において撮影禁止している施設が多いことや」という言葉がありますが、同様の資料館というのが知覧特攻平和
会館を意識していることは明らかです。それは、何年か前に、知覧特攻平和会館(全館撮影禁止)から旧大刀洗平和記念館に「うちが迷惑しているから、そっちも撮影禁止にしろ」という要求があったからです。知覧を訪れた客から「大刀洗は写させているじゃないか」と文句をいわれたのが理由とか。
それで、旧大刀洗平和記念館は特定の室を撮影禁止にしましたが、目玉とも言える九七戦は撮影させていました。福岡の海から引き揚げて甘木市などが譲り受けたのを、プールにつけて塩分を洗い流したり、欠損部分をFRPで補充して復元したのは館長の渕上さんであり、日本の優秀な航空機技術を見てもらいたという執念からでしょうか、克明な経緯や機体の詳細構造など多くのパネルもあわせ製作展示されていました。来館者が写真に撮って多くの人に広めてもらいたいという気持が渕上さんの中にあったのではないでしょうか。
新大刀洗平和記念館は、復元者渕上さんの気持を汲んであげているのでしょうか。
他の館がそうしているから、うちもそうするというお役人の横流れ主義の犠牲になっているのが、今の九七戦です。零戦を写させて九七戦を写させないという天地ほどの差をおかしくないとする人間の異常な感覚でもあります。
敢て他の館の横並びを言うなら、同じ九州の鹿屋航空基地史料館では、遺品史資料の撮影禁止の中で零戦と栄エンジンは撮影可です。靖国神社遊就館も同じく彗星などの室だけは撮影可であることを申し上げておきます。