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航空歴史館 掲載04/12/30
更新14/11/03

熊本のビーチクラフトG18S JA5503とJA5505について

元写真は 東病院 フライトギア 熊本市立博物館

佐伯邦昭

@ はじめに

  海上保安庁は1956年から1981年までの25年間にビーチクラフトE18S/G18S(スーパー18)とH18(スーパービーチ)を8機使用しました。次表のとおり購入のつどE/G/Hと改良を加えた新しいタイプに代わっています。このうちEとHは民間も購入し多数活躍しましたが、G型は 海上保安庁のJA5503JA5505の2機だけに終わりました。

 G型は 前面ガラスが広げられて、客室にもパノラマウインドウを初めて採用するなどすぐ後に出たH型へのつなぎとして記憶される貴重な機体です。(ただしパノラマ窓はJA5505のみ、JA5503は通常窓)

海上保安庁のビーチクラフト双発機保有実績

記号

タイプ

キャビン窓

登録ー抹消

現状

JA5501

 ビーチクラフト E18S 

 

 1956/01/30ー1981/03/27

 

JA5502

 ビーチクラフト E18S

 

 1956/01/30ー1980/07/21

 

JA5503

 ビーチクラフト G18S

通常型

 1960/11/10ー1981/04/18

 熊本市

JA5505

 ビーチクラフト G18S

パノラマ型

 1962/09/05ー1981/04/18

 熊本市

JA5506

 ビーチクラフト H-18

 

 1964/10/23ー1980/07/21

 苫小牧市

JA5507

 ビーチクラフト H-18

 

 1965/09/01ー1981/07/01

 

JA5508

 ビーチクラフト H-18

 

 1968/01/31ー1981/07/09

 滝川市

JA5509

 ビーチクラフト H-18

 

 1969/10/20ー1981/02/19

 

 JA5503JA5505が熊本へ来たのは、熊本飛行連盟という団体が45万円で購入し持ち帰ったものです。恐らく連盟会長の東病院の院長さん(お名前不詳)が航空思想の普及を図るためにお金を出されたものと推察します。

 

A ビーチクラフトG18S JA5503

登録記号

製造年月日

製造番号

登録日

所属

抹消登録日

JA5503

1960/10/17

BA-551

1960/11/10

海上保安庁鹿児島航空基地

1981/04/18

東病院職員駐車場のJA5503 通常窓 撮影1981 DOC.K CONTRAIL 107号から転載

 東病院は、JA5503を1984年に病院の宣伝媒体らしく塗装し、屋上に展示しました。この時に、JAレターをJA5505と書き入れたために、市立博物館にあるJA5505と紛らわしくなり、編集上の迷いが生じていました。

 JA5505と記入 東病院 撮影1985/04/28 KUPANBA

 JA5503は、2004年ごろに熊本のアクロバットチーム スーパーウイングスの三好恒紀さん経営のフライトギアが引き取り、全面を黄色に塗って店頭に展示しました。JAレターはすべて消されましたが、フライトギア は、関連資料としてJA5505の航空局長発行登録証明書、飛行記録(フライト ログ)、大阪航空局長発行耐空証明書、大阪航空局長発行運用限界等指定書検査証を保管しており、このことも、この機体をJA5505と混同させる理由のひとつでした。

フライトギア
 撮影2004/06/01 FUKU

 しかし、この機体の胴からJA5503なることを示す確実な証拠が発見されました。昇降口枠にある登録記号の打刻(航空法施行規則第11条に規定するかまちへの打刻)の写真を拡大すると、末尾は明らかに03です。
 

 

 

B ビーチクラフトG18S JA5505

登録記号

製造年月日

製造番号

登録日

所属

抹消登録日

JA5505

1960/08/21

BA-617

1962/09/05

海上保安庁鹿児島航空基地

1981/04/18

 JA5505は、1981年に熊本博物館へ寄贈され ました。

熊本博物館中庭のJA5505  パノラマ窓 撮影1981 DOC.K CONTRAIL 107号から転載

 熊本の方の記憶によると中庭になかった時期があるようです。それがいつごろでどういう事情があったのかは分かりません。中庭へ戻っていることを示す最も古い証拠は、山本晋介さん の次の写真です。

撮影1996/11 山本晋介


 

 

 

 

 

 

 

 
 問題は、東病院の機体とこの機体とが同じJA5505を記入していることですが、博物館の野口学芸員さんに調査をお願いしたところ、博物館の機体について次のように判明しました。

1 寄贈者はJA5505として寄贈していること

2 博物館の資料登録は、すべてJA5505で行っていること

3 搬入時に海上保安庁のマークと記号は塗りつぶされており、その後、海上保安庁の許可を得て塗装復元し、その写真も提出してあること

4 博物館の書類の中からJA5505の航空日誌と飛行規程が見つかったこと

5 かまちの打刻と機内の無線機にはっきりとJA5505という記号が読み取れること

かまちの打刻 撮影提供:熊本博物館

 

無線機のプレート 写真撮影提供:熊本博物館
 

 

 

C  残る疑問

1 東病院がJA5503を展示物として再塗装したときにJA5505と記入した理由は、不明です。

2 FUKUさんがフライトギアでチェックしてくれた航空局長発行登録証明書、飛行記録(フライト ログ)、大阪航空局長発行耐空証明書、大阪航空局長発行運用限界等指定書がすべてJA5505となっており、なぜ博物館の機体から分散したのか疑問です。

 更に公式書類については、本来は用途廃止したときに海上保安庁文書規程に従って内部処理をすべきものであり、これがなぜ機体と一緒に流出したのか疑問ですが、 ずさんな扱いのために(下記参照)、熊本飛行連盟がまとめて持ち帰り、何かのルートで分散してしまったとも考えられます。

 いずれにしても人騒がせな展示機ですが、そんな迷惑を吹き飛ばしてしまう航空産業遺産としての価値 を持っております。博物館では毎年塗装をしていると聞きますが、フライトログなど関係資料とともに末永く 正しい航空思想の普及のために管理していかれるよう心から期待いたしましょう。最後になりましたが、ご協力いただいたFUKUさんと野口さんにお礼を申し上げます。

 

2005/01/10 「書類のずさんな扱いのために」について  ONMYODOさんから投稿

 ビーチ18の記事を見てひとつだけ気になりました。
 それは機体の書類のことです。 実際に海上保安庁から払い下げられた時にずさんな処理だった可能性が書かれていますが、そうだったのでしょうか?

 もし、海上保安庁から好意で書類が出たとしたら、これから払い下げられる機体に書類がつかなくなるのでは? 海上保安庁のB-200がリタイアしましたが、アメリカにフェリーされて販売されていました。誰が落札して、どうしてアメリカに行ったかは不明ですが。(海上保安庁の塗装のままで)

 ずっと以前に務めていた会社から見たのですが、H18がリタイアしたあとに共立航空で使われていたような気もしますが。(?) ただし、海上保安庁の機体だったか、航空大学校の機体だったか。 

 もうだいぶ前なので定かではありませんが。リタイアしたときに時間が多少残っていたようで、使われたようです。別に航空大学校の機体も仙台で個人に引き取られて少しの間飛んでました。 共立航空で使われた機体にHFが付いていたような気もしますので、たぶん海上保安庁の機体だったような気がするのですけど。(書類が出なければ移転登録は出来ないはずですが) 
 もし違っていたらすみません。

佐伯から回答

 ご意見を興味深く拝見しました。私は、航空関係の実務をやった経験がないのでこの種の記事には間違いも多々あると思います。海上保安庁の処理を自衛隊機の場合と混同しているのかもしれません。自衛隊機の用途廃止後のスクラップ払い下げでは、関係書類が一緒ということはないと思います。飛行日誌や修理記録などは防衛機密にかかわってくると想像しているからです。

  熊本のビーチ払い下げの書類をずさんと書いた理由

 官庁の文書取扱規程では、すべての文書の保存年限を1年から永久まで5段階くらいに分類し、期限がきたら公文書館へ保管または焼却処分にして民間への流出を防いでいます。検査済証や航空日誌も勿論公文書ですから、その例外には当らないはずです。

 今度のビーチの場合、1981年4月11日に老朽廃棄、4月18日抹消登録で、それから数ヶ月後には熊本市内で海上保安庁の文字やマークが消された状態で確認されています。ということは、飛行可能な航空機として処分したのではなく、廃品として処分しています。

 したがって、 廃品の航空機に、航空法で義務付けられている検査済証等の文書はもう用がないはずであり、規程に基づいて管理されなければならないと考えました。機体から海上保安庁マークを消すというところまで神経を使っているのですから。

  ただしONMYODOさんの言われるように、飛行可能な状態で払い下げる場合(本当はこれが好ましい)には、必要書類がないと航空局が引継ぎを許可しないでしょう。この場合においても、警察業務をしてきた海上保安庁機の飛行記録をそのまま引き渡してしまうのかどうか、機密情報管理の面で非常に疑問に思います。熊本博物館とフライトギアの双方にJA5505のJOURNEY LOG(飛行記録)があるのを見て、そのように思った次第です。実際の運用を知りたいですね。

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