HOME・SITEMAP・サイトマップ 日替わりメモ グライダーの部屋目次


 グライダーの部屋 G-11

霧ケ峰式鷹七型グライダー JA2001について

 

A3031 茨城県 Ibaraki Prefecture 国立科学博物館つくば収蔵庫
 
◎ 霧ケ峰式鷹七型グライダー JA2001

霧ケ峰式鷹七型 JA2001の経歴

  萩原木材工業製作 c/n2 
1952/10/24 JA登録 所有者日本グライダー倶楽部  定置場読売玉川飛行場
1958 使用停止
2003/05/15 抹消登録
時期不詳 日本航空協会が秩父宮記念スポーツ博物館へ寄贈
   製作者のご子息、秩父宮記念スポーツ博物館及び日本航空協会が協議のうえ、国立科学博物館つくば収蔵庫へ現状維持のまま保管することに決定
 
理由 
 布にワイシャツ切地を用いたり、塗装が一度塗り(現在は重ね塗り)である等、材料が困窮した時代の工作原型が保 たれており、航空技術遺産としての価値が高いと認められた。
2009現在 国立科学博物館つくば収蔵庫に保管中

撮影2008 M6A

 

参考文献  航空情報 1952(昭和27)年11月号 今飛んでいる滑空機 より

ソアラー 鷹七型           航空局検査課機体係 高橋政雄

 ソアラーに乗って最初こ飛行機曳航の練習を行うのは、このクラスの滑翔練習機である。
ドイツのグルナウベビーを原型にしたものであるが、飛行機曳航速度120km/hまで、勿論、宙返り、きり揉み、、失速反転の曲技飛行も充分行える。
 性能上からみれば、他にもつとすぐれた機体もたくさんあるが、親しまれていたソアラーではこの鷹七型であろう。
 ウインチ曳航で上昇する場合、尾翼が失速を起してピッチングをやることや、機首が軽い(巡航滑空状態で手放し飛行をやると、やや機首を持ち上げる、この場合、体重60kg、落下傘8kgとして、68kgの搭載重量であるが)しかし、元来ウインチ曳航を主目的とするものでほなく、普通の滑空速度の約2倍の120km/hで飛行機曳航を行った場合でも機首を押さえるために操縦力を過度に必要とする訳でもなく、単座練習用には今後も必要とされるのではなかろうか。
 この鷹七型でも戦後最初に製造された機体よりも第2番機として製造された機体の方がウインチ曳航中のピッチングの傾向が少ない。やはり製作技術の向上が認められる。

                            


注 : 戦後最初に製造された機体というのが、JA2001を指し、第2番機がJA2002(鷹七型  布施工業高校製 c/n1)或いはJA2003(鷹七型 萩原木材工業製 c/n3)を指すのかは分かりません。しかし、当時の技術水準を示唆する好論文ではないでしょうか。

 なお、1954年版世界の翼(1953年12月発行)には、グルナウベビーを原型とする霧ケ峰式鷹七型JA2009(東京合板工業製)を宮原旭氏T27参照)が設計したとあります。(佐伯邦昭)


日替わりメモ091229番

○ 霧ケ峰式鷹七型グライダー JA2001

 JA2001は、記録派マニアとしては、2千番台登録の第1号機という点に大きな価値を見出すのですが、同時に、製作された1952年当時の姿がそのまま残っているとすれば、航空再開を期して各地で始まったグライダーの製造技術を示すものとして航空史上の生きた資料でもあります。

 同機が、つくばの収蔵庫に保管されている経緯も書いておきましたが、東京から筑波へ運んでくれた人が木製グライダーの修理もしていたベテラン整備士で、その人の話しから1952年当時の姿を残していることが分かったといいます。

 もともとは、この機体を作った技術者のご子息が、代々木の博物館に保管されていたのを修復して再び飛べるようにしたいという希望であったそうで、航空技術遺産保存という見地からの説得を了承してくれたものだそうです。

 ただし、例えば今後一般公開するとしても、木と布ですから、補修したりすれば、正常な部分に余計な力が掛ったりする恐れもあり、手を加えるのが躊躇される状態だそうで、結局は、昔はこうだったのかという研究材料での立場しかないように思われます。それは、同じ時期の巴式ろ之参型セコンダリーJA0005 の尾翼も同じでしょうね。(G041参照)