JA3046の経歴
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c/n449 |
1953/03/06 |
JA登録 大和航空 定置場藤沢飛行場 |
1958/05/21 |
宮崎県東臼杵郡北川村大崩山で墜落大破 |
1958/06/05 |
抹消登録 |
日本飛行機全集1954年版から 民間水陸両用機研究参照
『大和航空の本社(東京)から河邉新一に送ってくれた
デハビランド・ビーバーのPR写真です。
会社はこの写真を関係各社に送っていたようです。
この機体がJA3046になっていきます。
輸入直後、駐機飛行場で撮った写真と聞いてます。
飛行場が何処であったのか覚えてません。』 川邉新一
新 大和航空配布PR写真 提供 川邉新一 クリックで拡大します
『JA3056は羽田の整備工場内で検査を受けながら、農薬散布の外付けパイプや機内設置のガソリンエンジン、農薬液体タンク、配管、圧縮コンプレッサーなどの設置に時間がかかったそうです。当時わが国では、単発機の農薬散布装備のマニュアルもなくすべてが一からの試行錯誤であったようです。』川邉新一
新 撮影日不明 羽田整備工場内 提供 川邉新一 クリックで拡大します
『装備が終わったJA3046。 フル装備で初めての、離陸、散布は玉川飛行場でおこなったと書いてあります。
玉川飛行場がどこにあるのを探しておりません。
離陸5分後に散布開始と書いてあります。
この時の試験は父からよく聞かされております。
「散布は間違いなく出てくるが、上空でリコイルスターターのエンジン、コンプレッサーが調子よく動くのかが一番の問題であったそうです。』川邉新一
玉川飛行場とは 東京都世田谷区玉川にあった読売飛行場と思われます。(編)
新 撮影1955/05/01 玉川飛行場 提供 川邉新一 クリックで拡大します
『北海道美幌飛行場とあります。
北見農林局農薬散布の試験を受けた時の写真ですね。操縦は河邉となってます。』
川邉新一
新 撮影1955/06/12 北海道美幌飛行場 提供 川邉新一 クリックで拡大します
JA3047の経歴
1953/03/06 |
c/n452 JA登録 大和航空 定置場藤沢飛行場 |
1955/08/29 |
北海道北見富士で墜落 |
1955/09/17 |
抹消登録 |
撮影日不明 藤沢飛行場と思われる 福井正夫
3046又は3047
撮影日不明 藤沢飛行場と思われる 福井正夫
撮影日不明 藤沢飛行場と思われる 福井正夫
『3047は北海道でエンジン不調で事故となります。
河邉も現場に入りますが(運航部長でした)、自衛隊が歩いては入れない森林です。と言うことで、一番近い河川敷にヘリで移動、自衛隊は落下傘で降下と言う救助態勢。おひとりのご遺体は河邉がリュックで担いでおりています。』川邉新一
当事故で搭乗者がお亡くなりになっておられるということで写真はリンクのみでの
表示としていますのでご了承願います。(編)
新 撮影1955/08/29事故後の写真 提供 川邉新一
写真リンク 1枚目 2枚目
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