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三式戦闘機「飛燕」二型6117号機の記録 Kawasaki Ki-61Ukai Hien 6117 Uncoverd
編集 苅田 重賀(かんだ しげよし) 英訳 Paul Thompson
発行 2023年7月1日
日本航空協会航空遺産継承基金
体裁 255×260×25 A3変形 ハードカバー
発売 オフイスHANZ
価格 11,000円
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《はじめに》
私は、航空機の保存と修復
(hikokikumo.net)において下記4冊の本を紹介してきました。
1 2000年刊 未来につなぐ人類の技 航空機の保存と修復 (二式大艇ほか)
2 2009年刊 未来につなぐ人類の技 航空機遺産の保存と活用 (九一戦闘機ほか)
3 2009年刊 文化財としての航空機修復 コルセアKD431
4 2018年刊 未来につなぐ人類の技 鉄構造物の保存と修復 (晴嵐ほか)
1、2及び4には、長島宏行氏の論文が多数掲載されています。氏は、アメリカでFM-2艦戦と晴嵐の修復に関わった経験から、保存機に文化財としての価値を見出し、航空協会に航空遺産継承基金を設置して活躍し、勿論、今回の飛燕の修復保管にも大きな役割を果たしておられます。
3は、飛燕修復過程のモデルともなったコルセアKD431戦闘機復元の記録本で、長島氏から航空遺産継承基金を引き継いだ苅田重賀氏が翻訳したものです。
こうして見ると、『三式戦闘機「飛燕」二型6117号機の記録』の出版は、長島氏と苅田氏の業績の流れの中にあり、特に長島氏にとってはアメリカ以来の活動の集大成となったのではないでしょうか。
かと言ってお二人の顕彰を云々しているのではありません。この本は、日本における文化財保護の中で最も遅れている航空機生産技術分野において、現時点での最高のレベルを隈なく示した著作であることを強調しておきましょう。
《第1部 現在の「飛燕」6117号機》について
写真と解説で現状の飛燕を紹介しています。機体の前後左右上下は勿論ですが、修復中にしか写せない大小の部品が網羅され、戦後どさ回り中に加えられていた工作箇所や修復でやむを得ず新しく加えた部品も明示されています。
本機を6117号機と特定した赤いペンキの発見は、特筆ものです。尾翼に17と描かれていた意味も分かりました。
素人の私は、本書を手に取った第一感として、第1部は巻末に資料として載せるのが普通ではないかと思いました。
しかし、現在の岐阜かかみがはら航空宇宙博物館の展示は、関係者でも必要のない限りは触ったり覗いたりできない扱いとなっており、既に見ることができない内部構造を含めて、詳細に紹介することが大切だということで150頁に亘って数百枚の写真と解説が第1部として編集されたということです。
いわば、博物館の展示以上の価値が持たせてある訳で、納得です。
《第2部 戦闘機 「飛燕」とは 》について
三式戦飛燕の生い立ちから五式戦に至るまでの解説は、既に多くの書籍に発表されていますが、本書では、この機体が会社番号6117号機であることを示す1944年夏に行われた川崎航空機の会議プリントも載せてあります。
★ 6117号機の来歴
本機が福生(横田)から日比谷公園など経てかかみがはらに落ち着くまでの70年、或る時はデパートの目玉広告に、或る時は新聞社主催の航空博覧会に、或る時は自衛隊の航空祭において、応急的な修理や勝手な再塗装などもあってどさ回りを続けてきた歴史は、わが国の文化財保護の盲点であったとしか言いようがありません。
その経緯をまとめたのが表1-3「飛燕」6117号機の履歴です。 (注)下記に文献が示されていますが、どさ回り時の記述はいずれも断片的なものなので、これに併せて各地のヒコーキマニアから寄せられた情報(事業名、場所、修復、塗装の変化など)を細大洩らさず記録してきたインターネット航空雑誌ヒコーキ雲なくして、この
表はなり立たなかったでしょう。
インターネット航空雑誌ヒコーキ雲からの写真もかなり採用されています。ただ、版が小さいので歴史証拠写真としての価値が薄められているようで残念です。また6119号機の戦後トップの写真(下)は非常に重要なのですが、何故か省かれています。
もっと多くの写真を 或る戦闘機(川崎キ61三式戦U改飛燕)の戦後史 で見ることができますので、じっくり拝見してくださいませ。
ともかく、知覧から引き上げてオリジナル第一主義で修復される前の日本の民度の低さを知ることができる来歴なのです。
《第2部 2 文化財としての「飛燕」の修復 》 について
川崎重工業による修復の模様が13ページにわたって写真と共に書かれています。ここでも謝辞としてインターネット航空雑誌ヒコーキ雲が挙げられておりますが、思い起こすのは、2016年8月に川重の修復現場を訪れた時の会話です。
佐伯「インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の飛燕のページは役立ったでしょうか」
冨田プロジェクトリーダー「勿論です。あれが無かったら取り掛かっていないでしょう」 飛燕、或る戦闘機(川崎キ61三式戦U改飛燕)の戦後史 見学会 参照
知覧市長に対して、度々岐阜に戻すよう要請メールを送っていたことと併せて、この言葉ほどうれしいものはありませんでした。そのことを思い出します。
《資料編》について
資料も充実しています。
1 「飛燕」6117号機の舵面羽布の張り替え
大和ミュージアム零戦の羽布がビニールであったり、立川R-53のかなり手を抜いた張り方を見てきた私には、亜麻布はもとより糸、かがり方、糊に至るまで、徹底的に1944年の実際に近づけていった努力――文化財保存の鑑(かがみ)と表現しておきましょう。
2 「飛燕」6117号機の現存する塗装の測色 同じようにすごいです。 3 「ハ60」41型発動機取扱法
4 横田基地及び日比谷公園で撮影された写真 5 日本航空規格 航格8609 航空機用塗料 識別標準
6 「飛燕」6117号機の図面
三面図は、模型製作用の断面を含めてたくさん描かれています。24頁に、エンジン起動車用のフックがあったらしいとあるので、スピナーの先端は開いていてフックが見えていたはずです。その図面も1枚加えてほしかったですね。
7 イギリス空軍博物館の五式戦闘機のディテール 製造番号写真など
《終わりに》
文はもとより、表に至るまですべてに英訳が付けられていること、その為に大型の本になり、値段も高いですが、鐡構造物のオリジナルを追及する人、或いは展示機などを探索するマニアさんなどには、ぜひ座右の書として備えて頂きたいものです。
今後、海外の反応も加えながら、真価が定まっていくことと存じます。
終りに、6117号機に関する佐伯の役割について本書のいたるところで触れて頂いており、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲に取り上げた者として誇りに思いますが、一方で、写真情報などを提供してくれた方々あっての編集作業でありますから、これはインターネット航空雑誌ヒコーキ雲全員に与えられた勲章であると心得ます。
皆さん大いに胸を張るようにお願いしておきましょう。
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