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ヒコーキマニア人生録・図書室 掲載開始05/04/29

 



佐伯邦昭

 

 

目 次

発表日
1日目
このページ
(1)  プロローグ IBEXのCRJ 05/04/29
(2)  成田 航空科学博物館
(3)  潟Wャムコ東京整備工場
2日目
(4) 京急電車と金沢文庫  05/05/03
(5)  日本海軍発祥の地
(6)  ダイエー横須賀店
(7)  横浜海軍航空隊隊門と大格納庫
(8) 飛行機屋 
(9) 釣船あさなぎ丸 
3日目
(10) ヘリコプター歴史保存協会 05/05/10
(11) 桶川 ホンダエアポート
(12) ダ・ヴィンチの夜

4日目

               
(13) 靖国神社遊就館 05/05/12
(14) 国立科学博物館
5日目

        
(15) 浜松駅のバスストップ 05/05/14
(16) 航空自衛隊浜松基地見学
(17) 浜松広報館エアーパーク
(18) エピローグ 新幹線で広島へ

 

関東・東海遠征記 1日目


(1)プロローグ
 IBEXのCRJ

 前回のミヤシカクマフク旅行記は鉄道やお酒の話が多くて少しふざけ 気味でした。今回は天下の首都への旅でありますので、ヒコーキ主体に緊張して書いていこうと思っておりますがどうなることやら、 途中でお腹立ちの向きは遠慮なく抗議メールを送っていただくようにお願いします。


 4月16日土曜日、広島空港から成田空港へ直行便のボンバルディアCRJ-200ER(JA04RJ)に乗りました。この便は7時50分に離陸すると9時半には着きますので、国際線を利用する人にはとても便利です。この日も定員50満席でした。

 搭乗のためエプロンへ降りてカメラを構えますと、ご覧のようにCRJ-200ERは逆光で真っ黒、後ろを向いてA300B4-622R(JA8659)は素晴らしい朝日の順光でした。不思議なことに両機ともFair日本エアシステムという社名変更前の塗装を残しており、撮り納めのチャンスに恵まれたのかもしれません。

 

 離陸準備が整ってドアが閉まると例のご案内が始まります。
 「本日はエイ エヌ エイ コードシェア便 アイベックス エアラインズをご利用いただきありがとうございます」
とのアナウンス。
 1年前の2月にCRJ-100LR(JA01RJ)に乗ったときは「本日はフェアリンクにご搭乗いただき‥」でした 。IBEXとは筆頭株主が販売している会計関係ソフトの名称だそうで、航空界にもIT旋風、なにやらこの時期お騒がせのホリエモンさんを思い出します。

 ANAコードシェア便というのは全日空との提携という意味でしょうか、全日空の超ワリ(どこへ飛んでも1万円)の航空券が2年連続当たりましての今回の関東・東海 遠征です。

 

 座席は5D(インターネットで購入と同時に指定)を取りましたら、主翼は見えませんし、おまけに知多半島から太平洋へ出てからは密雲で伊豆の島々も見えず、これは大失敗でした。また、満席のために1人乗務の野田CAさんはとても忙しそうで、声をかけることもできませんでした。

 しかし、それで引っ込むような佐伯ではありませんで、成田到着後、搭乗証明書を作って送ってくれるように頼んでタラップを下りたのであります。後日、客室乗務員室の近藤和子さんから丁寧なお手紙と共に自宅へ送られてきました。これでアリバイは成立です。皆さんどうもありがとうございました。この誌上を借りて御礼申し上げます。

搭乗証明書

 機長さんの横文字サインが判読できませんが、上空でアナウンスを聞いた限りでは日本の方でした。

 

(2)  成田 航空科学博物館

 九十九里浜で北へ旋回しそのまま降下して成田へ、B滑走路(暫定平行滑走路2180m)へ降りて、長い誘導路を逆方向に第2旅客ターミナルビルへ着きました。

 ターンテーブルが回り始めるとトップに我がバッグが出てくるという幸運に恵まれ、バス停13番まで普通に歩いていくと、申し合わせたかのように9:41発の航空科学博物館行きの京成バスが来てくれました。1時間に1便くらいしかないので乗り逃がすと大変なのです。

 運賃200円で約15分 相変わらず広大な空港の東南側を、相変わらず警備車両の多い道路を約15分で博物館正面に到着です。

 早速、格納庫へ行って、今日のオープンハウス準備中の金澤さんとボランティアの皆さんに挨拶をすると、異口同音に、佐伯さん毎日ホームページを見ているよ!と体がぞくぞくするほどのうれしいお言葉が返ってきました。 〔 佐伯を喜ばせるにゃお金は要らぬ 毎日HP見てると言えば良い 〕 

 

ボーイング747−400大型可動模型

 航空科学博物館が目玉として売り出し中のボーイング747-400世界最大の可動模型です。私も15分間のブリーフイングを受けて操縦の原理を勉強し、成田〜ソウルを5分間 操縦しました。


ブリーフイング

ブリーフイング用パネルの1枚




証明書交付手数料300円也

 説明員の方はブリーフイングが終わるとキャプテンとコパイ席の後ろでお客さんの操縦を手伝いますが、午前中というのにたいへんお疲れの様子で気の毒でした。また、 シミュレーションは模型のレスポンスに時間がかかり、操縦しているという実感にやや難点を感じました。長続きするためには改善の必要があると思いますね。

 相模原市の模型会社に作らせたという何千万円かの模型で、博物館の目玉にふさわしいといえばそのとおりです。しかし、その場所に開館当時からあったスケルトンの富士FA200 JA3528がお蔵入りしてしまいましたが、それでいいのかな?とも思いました。

 

格納庫でのオープンハウス

 私がわざわざ土曜日に成田便を利用するのは、このオープンハウスを見たいためです。その名のとおり格納庫 (いうなれば倉庫兼作業場)をオープンするので、がらくたみたいな収蔵品の中からダイアモンドを見つけたいという下心があります。

 今回もありました。「昨日、届いたばかりですよ」というスーパーカブJA3117です。新聞社でも航空大学校でも使っていた小型機のベストセラー、パイパーPA-18はもう日本にはないのかと思っていましたが、日本学生航空連盟機が北九州市の博物館にあったのだそうで、 ちゃんと塗りなおされて整備すれば飛べそうな姿で届いていたのには感激しました。

 学連では、グライダー曳航のほかに串型座席を利用して操縦訓練にも使っていたようで、操縦桿は前後席にあり、スロットルも左の窓際のところに前後連動して動くように特設してあります。計器盤やパネルのスイッチ類はこれが原点といわんばかりの簡単なものですから、私のような頭と運動神経の鈍い者にもすぐに操縦ができたかもしれません。

 スーパーカブの写真は千葉県A3502の方へ載せました。ひとつだけ、グライダー曳航装置をここへ置いておきます。

 

 尾輪のダンパー脚柱の先にロープを引っ掛けるフックがあり、解除のワイヤーをひくとフックがだらんと下がってロープがはずれるという仕掛けです。

 今まで空中でどうやって切り離すのか知りたかったのですが、見てみれば実に簡単な理屈でした。最近の曳航も同じなのでしょうか。

 格納庫には、ボーイング737の可動パラポラアンテナ付きのレドームも入っていました。オープンハウスの主体は毎回20人の希望者に、さまざまな実験器具を使って飛行の原理を教えるもので、そのうちこのパラポラアンテナも自動で回るようにして見て貰うのだということでした。ここにくるお客の99%はレドームの中で傘が回っていることを知らないでしょうから、皆さんどんな顔をするか楽しみです。

 このように、座学にあらず、諸装置を使い、使わせての航空教室は世界中でここだけではないでしょうか。その模様を今回も写真を追加しましたので是非千葉県A3502で見てください。

 ボランティアの中に海上自衛隊のMさんのお顔が見えました。煙風洞実験装置を使って 翼の揚力発生の解説を試みていましたが、帰りに 同乗させてもらった車の中で、彼は「子どもたちの中から一人でも将来航空界に進 む人が現れてくれればと願って、ボランティアを買ってでました」と話していました。

 本当に、皆さんの願望は、ライカミングがうなる傍で操縦桿でN-62模型を傾けたり、轟音を発するアリソン 250−C20型ジェット エンジンに目を丸くしている子どもたちの心の中に、確実に届いていると思います。

 

図書室―木村秀政文庫

 航空科学博物館の図書室に木村秀政文庫という書棚があります。あれだけの大家ですから東西の航空文献が大量にあるのかと思ったら、ご自分の著書も含めて数十冊程度、詳しいマニアなら知っている本が殆んどです。蔵書の一部に過ぎないと思いますが、中には入手不可能なものもあります。

 木村秀政文庫以外では、ざっと見て戦前の古書1割、戦後から今日まで発行されている図書9割というところでしょうか、分類や並べ方には工夫の余地があるとはいうものの、東京新橋の航空図書館よりも広いし、ビデオ装置なども完備しています。毎日通って漁ってみたいですね。

 でも、わが国の航空関係図書館の現状はどうなんでしょうか。航空講座をもつ大学や専門学校の図書室は覗いたことがありませんが、蔵書も多く、分類コード付けや検索機能がしっかりしており、収蔵や閲覧環境も良好という航空専門図書館が生まれたら、私も死後蔵書一切を寄付するように遺言しておくのですが‥。 

 

 (3)  潟Wャムコ東京整備工場

 成田空港北西の野毛平という大きな臨空工業団地の中にJAMCOの東京工場があります。博物館展示課の金澤さんの特別の計らいで、機体整備グループ長の塙 隆之さんに見学の案内をしていただきました。

 ここでは、大型旅客機のタイヤの再生を一手に引き受けています。羽田のANAやJAL整備工場へ行くといつでも交換できるようにたくさんの車輪が置いてありますが、それらはJAMCOで再生されたものです。物によって最大6回くらいは再生するそうです。

 傷ついたり擦り減ったりした車輪が、厳重な品質管理のもとに数十の工程を経て新品同様に仕上がっていく様は驚きと感動です。日本の大型旅客機の車輪の経歴は、すべてこの工場のコンピューターが記憶しているということで、たかが車輪、されど車輪、ため息がでます。

エアバスA380の構造材など

 4月27日に超大型旅客機エアバスA380初飛行のニュースに接しましたが、その機体の垂直尾翼用構造部材、2階席用フロアクロスビーム、ギャレー、後部電子機器収納棚をJAMCOで製作しています。その中の2階席用フロアクロスビームの実物がPR室に展示してあります。

 これをA380胴体の中に65本わたして2階フロアを支えます。

 炭素繊維複合材で1本がわずか15キロ、こんなもので大丈夫かなと思うほど軽いです。さすがに1階フロアの桁はアルミ合金製 だそうですが 。

 

 

 

 

 いろいろ紹介すればキリがなくなってしまいますが、ここでは防衛庁向けH-60ヘリコプターのフレームも生産していますし、ギャレーやトイレなどの製造と修理もやっています。

 
 左は、生ビールの装置です。旅客機で生ビールをと各社に売り込んだそうですが、商談いまだ整わず。
 地元の祭典で実演したら大成功だったというのですがね。

 右は玄関にあるN-62ラジコン機のそばで記念撮影。木村博士渾身の設計になる日大N-62イーグレット小型機は、JAMCO前身の伊藤忠航空機整備鰍ナ生産したのでした。

 

  続く

 

2日目

 

関東・東海遠征記 2日目


(4) 京急電車と金沢文庫

  汽笛一声新橋を♪の新橋は私にとって日本で一番便利な駅です。

 まずは、都バス。
 常宿の近くの麹町四丁目から新橋駅終点まで約10分です。降りればJR京浜東北線・山手線・東海道線、地下鉄銀座線・浅草線があり、ゆりかもめも目の前というわけで首都圏のどこへでもいけるようなものです。

 特に、都営浅草線で成田と羽田の両空港へ直行できるというのがすごいです。ただし、京成、京急、都営がどのように車両を回しあっているのか、都営浅草線 新橋駅の深いホームから階段に強風が吹き上がってくるはなぜなのか訳分からずに乗っておりますけど。

 さて、関東・東海遠征の第2日目は、新橋駅から横浜市の金沢文庫駅へ向かいました。

 京急電車三崎口行き快特は、品川から小さい駅を飛ばして快調に走り‥と言いたいところですが、もともと昔の入り組んだ海岸線に沿って敷かれた鉄道だそうで横浜駅を過ぎたあたりからカーブの多いこと。運転手のすぐ後ろの席で見ていますと、曲がりくねったところで60km/h、直線区間の最高が108km/hでした。後日、JR福知山線で悲惨な大事故が発生しましたが、日本の全運転手をこの線路で安全運転を叩き込んだらいいのにと思います。

 

金沢文庫

 石川県でもないのに金沢とは? 景勝の地、金沢八景で有名なこの地名は、北條氏の前の豪族の名前がついたものです。金沢文庫は北條氏が建てた文書館であり、約700年を経た今は神奈川県立金沢文庫(図書館)となっています。以上、にがうりさんからの うけ売りです。

 知らずに来ると駅名からマンションから美容院から〒からPにいたるまで金沢文庫の氾濫で、なんとこの町は読書家が多いのかいなと驚いてしまいます。

 

米軍用機のプロペラ

 金沢区の前方の海で魚網に掛かり引き揚げられたプロペラを見に行きました。航空歴史館総目次47に詳しく載せているとおりです。60年間海中に眠っていた証拠みたいに小柄なフジツボがびっしりと付着し、既に乾燥していて簡単には取れませんので、ブレードのネームプレートも不明です。

 なお、大手新聞社横浜支局の記者が調べて記事にするらしいので、発表されたら、当方も残骸が置いてある場所など明らかに します。

 

 

 

(5) 海軍航空発祥の地

 私は、ここ数年の旅行で
 東京代々木の日本航空発祥の地
 埼玉所沢の日本陸軍航空発祥の地
 千葉稲毛の日本民間航空発祥の地
をそれぞれ訪れました。残るは日本海軍航空発祥の地でした。
 横須賀にある遺跡などの写真は既に航空史探検博物館へ収録してありますが、やはりこの足で歩いて、発祥めぐりを完結させたいものと願っていたのです。

 奇しくも代々木、所沢、稲毛をにがうりさんと二人で回わっています。これは因縁というべきことです。よって仕上げ の海軍もにがうりさんにお願いし、幸いに近くにお住まいのため勝手知ったる我が家で、天気もよく快適なドライブで完結編を飾ることができました。

 

 まずは横須賀市と境を接する金沢区の野島公園です。

野島公園から追浜の旧横須賀海軍航空隊を見る

 野島公園の展望台から見下ろすと追浜(おっぱま)の横須賀海軍航空隊の跡が目の下にあります。今は日産自動車のテストコースと研究所です。

 84年前に河野三吉大尉がカーチス水上機、金子養三大尉がファルマン水上機でこのあたりを滑水して飛行し、海軍航空が始まりました。

 海面は埋め立てられて飛行場となり、後背地には航空廠が展開され、一帯が終戦まで日本海軍航空の拠点として栄えました。

 この上空で下川万兵衛大尉の零戦が、犬塚豊彦大尉の秋水がと、尊い犠牲の数々が頭をよぎります。

 しかし、初夏の陽気の中に追浜はあくまで静かでした。

 野島に残る隧道式格納庫と自転車の大きさを比べてください。飛行機の格納だけではなく工場もあったという いかにも巨大なコンクリート構造物です。

 隧道式格納庫に向かって運河の中に橋杭が残っており、零戦や烈風がその橋を渡っていたのでしょうか。

 その野島側の岸は公園になっており、大勢の家族連れが楽しんでいました。

 

野島隧道式格納庫追浜側入り口 野島隧道式格納庫反対側入り口
野島への橋杭 追浜工場群(航空廠跡)

 

 

 次いで、野島から横須賀市内に入って、夏島の貝山緑地へのぼり、次の三つの石碑に対面しました。写真は神奈川県A3711でご覧ください。

海軍航空発祥の地碑 1912(明治45)年 海軍機の初飛行 
豫科練誕生乃地碑 1830(昭和)5年  少年飛行兵の養成開始 
甲種飛行予科練習生鎮魂乃碑 1937(昭和)12年 中学校生徒による甲種飛行予科練習生の養成開始

 拝見していて碑を建設された方々の熱意は伝わって きます。

 しかし、環境としては樹木に囲まれた狭い土地で、かっての海軍航空を偲ばせるにはやや淋しく感じます。
 海軍航空発祥の地碑 は、もともと飛行場の初代格納庫跡に建立されていましたが、戦後見捨てられていたのを有志がここへ移したものだし、予科練の方も、後発の霞ヶ浦が有名になってしまいました。

 追浜の戦後史は意外なものです。それが石碑にも反映しているように思います。

 飛行場はもちろん接収されて米軍基地となりましたが、朝鮮戦争勃発とともに軍用車両の修理場と化したのです。太平洋各地に置き去りにされていた車両がここへ陸揚げされ、日本人の手で修理再生して朝鮮へ送られました。その数16万台といい、連合軍勝利の一因とまで言われています。

 修理に当たったのが、かっての日立航空機や東京瓦斯電の優秀な航空技術者集団でした。このときの富士自動車という会社が、やがて日産に引き継がれ、追浜はニッサンの拠点になったのです。

 私は、今年からニッサンの小さな車に乗っています。広島では少し肩身の狭い思いで走っていますが、横浜・横須賀へくると同じ車に次々と出会い、なるほどここはニッサンの本拠なのだと妙な安心感を覚えます。海軍を尋ねてきて、その色合いは薄く、自動車により濃いものを感じるとは! ゴーンさんよ、追浜の利権に安住せず海軍航空発祥のメモリアルにも力を入れてくださいな。

明治憲法草案起草遺跡記念碑

 この記念碑は富士自動車が再建し、日産工場拡張などの曲折を経て、夏島の一角に整備されています。

 伊藤博文がこのあたりの別荘で明治憲法を起草したのを記念するもので、幹線道路に面して広い敷地に立派な石碑が座っております。

 ひがむ訳ではありませんが、海軍航空隊や予科練の碑とくらべて、これは何と良い待遇であることか! 

 

 

 

(6) ダイエー横須賀店

 港の見える店で昼めしにしましょうという訳で、ダイエー横須賀店の5階レストランへ入りました。日曜日のためか駐車場も店内もごった返しており、これが問題のダイエーかと疑いたくなります。優良店舗に目がくらんで、あれこれ手を出さなかったら倒産もしなかったでしょうにね。

 港内は、停泊中の潜水艦1隻と縦横に走り回っているヤンキーのモーターボートしかおりませんでしたが、ちょうど正午に砕氷艦しらせが横須賀地方隊桟橋へ入港しました。数日前に南極航海を終えて晴海埠頭へ帰ってきたばかりです。ヘリ甲板に人だかりが望見されましたので、家族などを招待していたのかもしれません。

 

 

(7) 横濱海軍航空隊隊門と格納庫跡

 横濱海軍航空隊隊門、浜空の碑、浜空神社、飛行艇格納庫建物については、神奈川県A3709で紹介しています。

 横浜市金沢区富岡総合公園内の横濱海軍航空隊隊門のある一帯は桜の名所です。この日も名残の桜を愛でるグループが何組かありました。 門柱の傍はごみ置き場、皆さんごみは持ち帰りましょうね!と呼びかけたいような気持ちになりましたが、かってこの桜花の舞う中を隊門をくぐった兵士たちは浜空神社の中でどう見ているでしょうか。

 隊門から坂を降りると、海に面してスリップ、エプロン、大格納庫がありましたが、今は県警機動隊や中央卸売市場に生まれ変わり、海岸線ははるか東に行ってしまっています。

 その県警機動隊が使っている旧大格納庫の横を走ってみました。いや大きいですね。

 試みにゼンリンの地図で平面図を計測してみたら、幅が66m、長さはなんと172mでした。

 全幅38m 全長29mの二式大艇が4機、ジグザグに並べたら8機すっぽりと入る計算です。

 中を見たいですが、怖い機動隊員さんが警棒を構えているので、ちょっと声をかける気になりません。でも見てみたいですね。

 

 

(8) 飛行機屋

 金沢区能見台にある知る人ぞ知るの飛行機屋さんを訪問しました。ご主人が携帯パソコンで航空史探検博物館を開き、各地の保存展示機について薀蓄(うんちく)を傾けてくださいました。こんなに利用してもらっているのかと、制作者は驚きかつ喜びます。

 なお、ここはクリーニング屋さんと兼業のようで、ご主人が不在の時が多く無遠慮な電話や訪問はしないほうがいいと思います。

F-104J(46-8561)の胴体とDJ(16-5005)の翼端タンク

 

 

(9) 釣船あさなぎ丸

 さて、横浜の最後はご縁があって、釣船あさなぎ丸へ、釣客の後片付けも済んだ18時ごろにお邪魔しました。ご主人の太田さんとやはり漁師でヒコーキ仲間の久保寺さんと(車運転のにがうりさんには気の毒でしたが)会津の冷酒を 一升瓶から湯呑でやりながら、愉快なヒコーキ談義です。

 金沢や追浜の地先には墜落した航空機がかなりあったようで、以前は、網に掛かったら八景島シーパラダイスの埋め立てなどに便乗して棄てたりしていたそうです。

 しかし、海中投棄が厳しくなって漁師さんは捨て場に困っているようです。その上プロペラひとつでも、引っ掛ければ高価な魚網がオシャカですから、全く腹立たしい話で、 我々が偉そうに調査して保存をなどと、気安く言えないことも、現場で話を聞いてはじめて理解できます。

 大戦中のエンジンで、アメリカ製はシーリングなど基礎部分がしっかりしていたが、日本製はパッキングもひどいものだったという話から、今でも船外機のグリスは日本製では錆がくるのでだめだとか、面白いお話も数々。しかし、宿へ帰る時間もあり冷酒に心を残しつつ辞去しました。

 なお、釣船あさなぎ丸の場所は、金沢シーサイドライン野島駅の対岸で、釣りバカ日誌のロケーションで有名な屋形船太田屋の隣です。電話045-781-8038 お近くの方は東京湾の釣りとヒコーキ談義に利用してあげてください。

  続く

 

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